彼岸の守り人

@ayako_annie

前編

「あなた、怖い話は大丈夫?」


 前に立って廊下を歩く介護士さんがそんなことを聞くので、私はちょっと警戒しながら、


「べつに、はい、たぶん」


 と、曖昧な返事をした。


 楽そうだという理由で高校入学と同時に入部したボランティア部の活動は、残念なことに割とハードだった。なにもない日は部室でダラっとしていればいいけれど、顧問が予定を入れてきた日は平日休日関係なく急に忙しくなる。

 たとえば、今日みたいに、お年寄りを訪問する日。部員たちは、一人ずつ個室へ行って、縁もゆかりもないおじいさんやおばあさんの話し相手になるのだ。


 土曜日の昼下がりの老人ホーム。時が止まったような気だるい空気の中、介護士さんは、私をちらりと振り返った。


「今日お相手してもらいたいおばあさんね、ちょっと変わってるのよ」


「はあ」


「たまにへんなお話をしてくれたりね。でもまぁ、黙って聞いてくれてればいいから」


 ぽん、と肩を叩かれて、部屋に押し込まれる。言われなくたってこっちもそのつもりだ。私は扉を後ろ手に閉め、ベッドに近づいた。


「こんにちは。花の木高校ボランティア部です」


 機械的に挨拶すると、半身を起こして窓の外を眺めていたおばあさんが、ゆっくりと、こちらに顔を向けた。


 どんな変なお年寄りかと思いきや、至って普通のこぎれいな人だ。80代くらいだろうか。少し丸まった背中。ふわっとおしゃれにカールした白髪。カーディガンの下に小さな赤っぽい色の花が散ったきれいなブラウスを着て、手元には花と同じ色のハンカチをきっちりと畳んで持っている。介護士さんは変わっていると言ったけど、私の目には、いたって普通に見えた。


 どうぞ座ってと言われて、おばあさんのすぐそばの丸椅子に腰掛ける。じっと見つめられ、私は居心地悪く肩を揺らした。


「あの」

「何年生?」

「えっ、あっ、高一です」

「そう。学校、楽しい?」

「別に……」


 学校の部活として来ているから、嘘でも楽しいと言うべきだったかもしれないのに、素直な感想が漏れた。一瞬しまったと思ったが、おばあさんは笑って、でしょうね、と言った。


「だってあなた、人生つまらないという顔をしているもの」


 人の顔見てなんてことを。でも、図星だったので私はすっかり言葉に詰まった。


 窓から、春と夏が混ざり合った心地よい風が吹き込む。おばあさんは、すっと目を細めて、手の中のハンカチをゆるゆると撫でた。


「私もね、つまらないなぁと思いながらも、なんとかこの歳まで生きてきたわ」


 視線を窓の外へ戻して、ひっそりと呟く。その声色があまりにも寂しげで、少しどきっとした。


「ここには毎日、かわるがわるたくさんの人が来てくれる。それで、話題に困らないように、私はいつも同じ作り話を聞いてもらっているの」


 作り話というのは、介護士さんが言っていた「へんなお話」だろうか。あんな言い方をしていたけれど、おばあさんなりにこちらを気遣ってのことなのか。


「ここで会ったのもなにかのご縁。私のお話、聞いてくれる?」


 きっといい暇つぶしにはなるから、と笑うので、恐る恐る頷くと、おばあさんは手元に視線を落とし、ぽつりぽつりと話し始めた。



***


 灯台守のルリのところに少女が尋ねてきたのは、三日月が水平線へ沈み切った頃だった。

 いや、尋ねてきたというのはちょっと語弊がある。正確には、ルリが起きて外へ出ると、彼女が目の前の海で、溺れていたのだ。


 どうにかこうにか引き上げて、震えが止まらない手に熱い紅茶のカップを持たせると、ようやく彼女はほうと一息ついた。そして突然、「あなたもしかして、ここに住んでるの?」と聞いた。


 見ればわかりそうなもんだけど、と思いながら頷くと、彼女は、じっ……とこちらを見つめて、「ちょっとしばらく、一緒に住まわせてくれないかな」などと言うではないか。


 いきなりのお願いに、ルリは思わず眉をひそめた。


 ベッドは1台しかないものの、灯台の中にはそれなりにスペースはある。今さら住人が1人くらい増えたところで問題はない。でも、気になるのは、少女が着ていた服だ。ルリは、台所の風通しの良いところに干してある、ずぶぬれのセーラー服を見上げた。ワンピースタイプのグレーのセーラー服。襟の部分は白色で、そこに赤い線が入っているところまで、ルリが着ているものと全く同じだった。


 つまり。


「あなたも、どこかの灯台の灯台守じゃないの?」


 ここに来てから他の人間を見た記憶はないので証拠はないものの、なんとなく少女のいでたちにはそう確信させるものがあった。だっておかしいじゃないか、自分と同じ制服を着ている人間がいるなんて。そしてこの世界で自分に与えられた役目が「灯台守」なら、この少女もそうに違いないのだ。


 その考えは、少女も同じだったらしい。きっとそうだね、と困ったように呟いて、素肌の上に巻きつけた毛布の胸元をぎゅっと握って黙ってしまった。


 記憶喪失か。

 咄嗟に察する。

 ここではよくあることだ。なにしろ自分も、気づいたらこの世界にいたのだから。ルリは少女をまじまじと見つめ、やがて、ほぅ、と溜め息をついた。


「わかった。なにか思い出すまで、ここにいていいよ」

「ありがとう」


 少女がホッとした表情を見せるので、ルリもつられて口角を上げた。


「私はルリ。あなたは?」


 それもわからないと言われたらどうしようかと思ったが、少女は嬉しそうに右手を差し出した。


「私、ミコトって言います」


 手を握り返せば、冷たい肌の感触に、胸の奥がツキリとふしぎに傷んだ気がした。


***


 すっかり乾いた制服に身を包んだミコトと一緒にぐるぐると灯台を昇り、展望室に向かった。巨大なフレネルレンズがいつもと変わらずゆっくりと回転している。縦方向の直径が1mくらいの楕円体で、屈折レンズがフレームに沿ってブラインドのように並んでいる。


 興味深げに眺めているミコトを見やって、ルリは、扇風機みたいでしょ、と笑ってみせた。


「中に火がともっているの、見える?」


 楕円体のフレームの中心を指差して、


「あの光が灯台の明かりの正体。レンズの屈折を利用して、何十kmも遠くまで飛ぶんだよ」


 回転するフレネルレンズの中心の丸いフレームがこちらを向くたび、部屋の中に虹色の虹彩が飛ぶ。ふたりはしばらく黙って、その光を目で追った。ガラス張りの展望室の外は真っ暗闇。レンズのあかりは、その中によく映えた。


「なにをしようか。私、なんでも手伝うよ」

「あ、うん、じゃあ」


 ミコトが嬉しそうに言うので、ルリはスイッチを押してレンズの回転を止め、布を渡した。


「これでレンズを拭いてもらってもいい? あんまり長時間止められないから、軽くでいいよ」


 ミコトはわかったとうなずいて、さっそくレンズの表面を磨きはじめた。


「毎日点検するの?」

「うん。この岬、朝が来ないから。だから、灯台守の役目はとても重要。彼岸へ行く魂たちが、迷わないように」


 ほら見て、とルリははるか遠く、水平線を指差した。丸くて白いうすぼんやりした光が、ゆっくりと海の上を移動しているのが見える。


「三途の川とはよく言うけどね。ここは、三途の海なんだ。この灯台がなければ、彼らはたちまち闇にまぎれて迷ってしまうの」


 ミコトは、存外なんでもすんなりと受け入れしまうたちらしい。一見摩訶不思議なルリの言葉にも、そうなんだ、と興味深そうに返事しただけで、そのまま黙々とレンズを磨き続けている。

 なんだか肩透かしをくらった気分で、ルリも布を持ってミコトの正面に回った。フレーム越しに覗き見える線の細いミコトの姿。無造作に切り揃えられたショートカットの黒髪が、白いセーラーの上で揺れている。そうやって正面から見てはじめて、ルリはあることに気づいた。


 瓜二つのかっこうをしている二人。しかし、唯一の違いがあった。

 ルリは、胸元に朱色のスカーフを結んでいたが、ミコトはなにもつけていなかったのだ。

 取るに足らないこと、と思いつつ、強烈な違和感を覚える。いったい、なぜ?


「ルリ?」


 ハッと目を瞬かせれば、いつの間にかすぐ隣に来ていたミコトが、こちらの顔をのぞきこんでいた。


「ここは拭く?」


 フレームの一部を指差し尋ねる。そこだけ金属ではなく、20cm四方のざらざらした茶色い板が取り付けられている。


「あ、そこはいい……。なにに使うかわからないし」

「じゃあ、いちおう、拭き終わったよ。もう動かしたほうがいいんじゃない?」


 長い時間止められないんでしょう? と問われて、あ、うん、と曖昧な返事を返しながらルリは慌ててスイッチを押した。

 フレネルレンズが不気味に軋みながら、再び回転を始める——。


***


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