第28話 本当にやりたいこと
「大丈夫。がんばれ」
その直後に否定の言葉を繋げる。
「なんて言うわけないだろ!」
いつも迷ってばかりいるけれど、これだけは迷わない。
いつも間違ってばかりいるけれど、これだけは間違わない。
幼馴染を不幸にしてまで自分を幸福にしようなんて絶対に思わない。
「大丈夫じゃない! がんばらなくていい!」
玲は目を見開いて驚いた表情を見せる。
一志は気持ちを落ち着かせてから話す。
「天ヶ沢玲は、僕の知っている中で一番の声優だ」
その言葉に嘘はない。
声優に興味はなくても、天ヶ沢玲という声優だけは別だ。
「そんなすごい人に自分の作品を朗読してもらえるなんて……感謝してもしきれないよ」
一志は、才能があるのにもったいないと考えていたことを恥じた。
自分の才能のなさを
「本当に事務所に戻りたいっていうなら応援する」
人にはそれぞれ事情がある。
声優になる目標を叶えた玲にも、メジャーデビュー寸前でバンドを解散した千代子にも、事情があるのだ。そんなごく当たり前のことを忘れていた。
どこでなにをするのか。
それはその人自身が決めること。
他人がとやかく言うことではない。
「だけど、そうじゃないんだろ?」
「本当だよ……私は声優としてもっと大きな舞台に立ちたいから戻るの……」
「嘘をつくならもっと上手くついてくれ。そんな顔で言われても説得力ないんだよ」
玲自身も気づいているのか、顔を隠すようにうつむいてしまった。
「僕からあの人に電話する。事務所に戻るつもりはないって伝える」
「ダメだよ……そんなことしたら出版社を紹介してもらえなくなる……」
昔からそうだった。
玲は他人を思いやるあまり自分のことを
「僕の作品はつまらないか? 僕の作品は読む価値がないか? 正直に答えてくれ!」
その問いかけに玲はゆっくりと頭を上げる。
そして真剣な表情で言葉を発する。
「一志の作品は最高におもしろいし、みんなに読んでほしいと思ってる」
それを聞けて安心した。
「ありがとう。そう言ってもらえてうれしいよ」
こんな時でも感謝の言葉が自然と出た。
表情や声にも喜びの感情がにじみ出る。
「だったら信じてほしい。僕はあの人の力を借りずにプロ作家になる。だから本当にやりたいことを教えてほしい。そのためならなんだって協力するから」
その想いが通じたのか、玲は重い口をゆっくりと開いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
玲を家まで送り届けた後、一志は沼田に連絡する。
新幹線の車内だと思っていたら意外にもまだ秋葉駅前にいると言う。
近くまで行くと、大きな体のおかげですぐに見つけられた。
「待ってたよ。それじゃあ返事を聞かせてくれる?」
あいさつもなしに話を切り出してきた。
それでも一志は用意していた答えを述べる。
「事務所に戻るつもりはないそうです。僕も説得するつもりはありません」
沼田の表情に変化はない。
最初からこうなることを予期していたようだった。
「幼馴染の君から頼んでくれたら折れると思ったんだけどなあ。やっぱりダメだったか」
「昔からこうと決めたら絶対に曲げない頑固な奴ですから」
「だけど君はいいの? こんなチャンスめったにないよ? もったいないと思わない?」
「たしかにもったいないかもしれません。でも、二人で考えて決めたことですから」
「才能がすべてだと言ったよね。それは声優だけじゃなくて作家も同じなんじゃないかなあ。売れる声優も売れる作家も結局は才能なんだよ。君は自分に才能があると思ってる?」
この人は自分の作品を読まずに言っているのか、それとも読んだうえで言っているのか。
一志にはどちらでもよかった。
才能がないことは、自分が一番よく知っているから。
「尊敬する人が言ってました。才能があってもなくても努力するのは当たり前。目標を叶えるまでやり続ける。僕もその人と同じ考えなんです。期待に応えられなくてすみません」
一志は、社会人がやるようにしっかりと腰を曲げて頭を下げる。
沼田は口を大きく開けて笑いだした。
「はっはっは! 若いね!」
それは皮肉にもほめ言葉にも聞こえる。
「さてと、俺はそろそろ帰るよ」
沼田は振り返って頭をかいた。
その背中は、ひどく疲れているように見える。
「今度この街でイベントがあります。そこであいつの本当にやりたいことがわかると思います。お時間があれば来てくれませんか?」
「こう見えてもそんなに暇じゃないんだよね。これから戻って仕事をしないといけないんだ。どんな時でも会社のために利益を出さないといけないのが……会社員の辛いところだよ」
大きな体を揺らしながら駅に向かっていく。
その背中にもう一度問いかけてみる。
「あいつを連れ戻しに来たのは仕事ですか? それとも沼田さん個人の意思ですか?」
ほんの一瞬足を止めたように見えたけれど、沼田はすぐにまた歩いていく。
『午後8時になりました。それではみなさん、0番街で会いましょう』
街に設置されたスピーカーからよく知っている女の子の声で時報が流れる。
一志は、駅とは反対方向にゆっくりと歩き出した。
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