第26話 才能の活かし方

「やっぱりそうだ! 久しぶりだな! ずっと心配してたんだぞ、玲!」


 ようやく動けるようになった一志が振り向くと、大柄な男がこちらに歩み寄ってきていた。

 寝ぐせだらけの無造作ヘアに太い眉、伸ばしっぱなしの濃いひげ。灰色のスーツはしわだらけで、離れていてもタバコの臭いが漂ってくる。年齢は三十代半ばくらいだろうか。


「誰ですか? なんの用ですか?」

 どう見ても不審者だと判断して一志は立ちふさがる。


「はっはっは! ごめんごめん! こんな見た目のおっさんが近づいてきたらそりゃ怖いわ。安心して。俺は怪しい者じゃないから……ってそう言う奴が一番怪しいか。はっはっは!」


 男は自分で言ったくだらない冗談に大笑いしている。

 一志は不信感をさらにつのらせる。 


「一志……大丈夫……」

 背後から震える声で玲が話しかけてきた。


「大丈夫なわけないだろ。すぐ家に……」

「マネージャーさんだから。元だけど」

 あまり縁のない単語に部活動のマネージャーを連想した。

 だがすぐに玲の仕事を思い出して声優事務所のマネージャーだと理解する。

 

 一志は改めて男を見る。

 一般人にとって芸能界は華やかな印象がある。

 そのため、働く人すべてがきれいに着飾っていると勘違いしていたのかもしれない。しかし、それにしても目の前の男の格好はだらしなさすぎる。


「あったあった。これ、俺の名刺ね。心配だったら事務所に電話して確認してもいいよ」


 男は一枚の紙を出してきた。タバコのせいなのか、名刺は黄ばんでいた。そこにはかつて玲が所属していた声優事務所の名称と男の名前が書かれていた。どうやら玲の元マネージャーというのは嘘ではないらしい。


「すみませんでした!」

 勘違いに気がついた一志はすぐに頭を下げる。


「気にしないでいいよ。1日に最低3回は職質されるから慣れちゃったよ。はっはっは!」

 千代子に負けず劣らずの低く大きな声で笑う。

 その容姿に合った寛容な性格なのだろうか。

 しかし一志は、完全に相手のことを信用したわけではなかった。


「お久しぶりです……沼田ぬまたさん」


 玲があいさつする。

 ただし、今もまだ一志の背後に隠れたままで声は震えている。

 この二人の関係、そして過去になにかあったことはすぐにわかった。

 できるだけ表情には出さないで様子を見守る。


「お前が事務所を突然やめたからずっと心配してたんだぞ。元気だったか?」

「はい……」

「そうか。それはよかった。今も声優の活動はしてるんだろ?」

「いえ、私はもう……」

「はっはっは! なに言ってんだよお前! こんなに活躍してるじゃないか! はっはっは!」


 大きな笑い声をあげながら沼田が携帯端末を出してくる。

 画面に図書館のあおぞら朗読劇の映像が流れる。

 マイクを持って懸命に芝居を続けている玲の姿がしっかり収められている。おそらく観客の誰かが勝手に録画して動画サイトに上げたのだろう。


「知ってるか? 事務所をやめた者は、最低3カ月は別の事務所に移籍することができない。うちの事務所だけの規則じゃない。暗黙の了解、業界のルールってやつなんだよ」

「ち、ちが……わた……私は……」


 玲は沼に引きずり込まれてもがき苦しむような声をあげる。


「事務所には入ってませんよ。それはボランティアでやっただけですから」


 一志は体だけでなく沼田と玲の話に割って入る。


「そろそろ塾の時間って言ってなかった? 早く行った方がいいよ」

 この場を脱することができる適当な嘘をつく。


「……うん」

 玲は青ざめた表情のまま頭を下げる。

「すみません……失礼します……」


 沼田はなにも言わずに見送った。

 それから一志に目を向ける。


「はっはっは! なかなかの演技派だね!」

 その言葉をそっくりそのまま返したいが、一志はできるだけ冷静になって言葉を探す。


「あいつを事務所に戻すために来たんですか?」

「俺はそこまで暇じゃないよ。たまたまこっちで仕事の用事があったから来たんだ」

 こんな田舎で仕事? 

 嘘としか思えない言葉に一志の中で疑念がうずまく。


「だけど、玲に戻って来てほしいとは思っているよ」

 沼田は、吐いた言葉をあっさりとひっくり返す。


「玲は、うちの事務所の若手の中では売れっ子だった。歌って踊れるアイドル声優ユニットとしてさらに大きく売り出すところだったのに、途中でやめられてこっちも困ってるんだよ」

「違約金を払えってことですか?」

「若いのによく知ってるね。だけど、そんなんじゃないよ」

「じゃあなんですか」

「もったいないと思わないか? 才能のある若い人間がこんな田舎町で終わるなんて」

「え……?」


 沼田の言葉が一志の心に突き刺さる。

 傷ついたわけではない。

 会ったばかりの人が自分と似たような考えを持っていたことに驚いたからだ。


 玲が事務所をやめたと知った時に思った。

 才能があるのにやめるなんてもったいない、と。

 それだけではない。

 千代子がメジャーデビュー寸前でバンドを解散した時も同じことを思った。才能のない一志には、そんな二人がうらやましくて仕方なかったのだ。


「どんな業界でもそうだけど、結局は努力よりも才能なんだよ。声優になりたくて専門学校に入る奴や養成所に行く奴はたくさんいる。でも結局売れるのは才能のある一握りの人間だけ。才能っていうのは顔がよくて声がいいってことね。芝居は下手でもなんとかなる。あと若さ。これも重要。特に女性声優は、若くてかわいくないと仕事がもらえないんだよ。あ、今言ったことはSNSに書かないでね? バレたらえらい人に怒られちゃうから。はっはっは!」


 どこまで本気でどこまで冗談なのか。

 芸能界に疎い一般人の一志には、わからなかった。


「それでもあいつは、事務所に戻るつもりはないと思いますよ」


 あの様子を見れば誰だってわかるだろう。

 だがあえて言葉にすることでより実感させる。


「そのために君に協力してもらいたいんだよ」

「事務所に戻るよう説得しろってことですか。お断りします」

「理解が早いのは助かるけど、ちょっと急ぎ過ぎだね。いい人を紹介してあげるよ」

「声優さんを、ですか。べつに興味ないです」


 嘘でも冗談でもなく、一志は声優にそこまで強い関心がない。

 そろそろ面倒になってきたので家の方へと足を向ける。


「はっはっは! それは理解が飛び過ぎだ。もっといい人を紹介しよう。俺はこれでも顔が広い方なんだよ。例えば、大手出版社の編集者なんてどうかな?」


 それを聞いた瞬間に心臓が高鳴る。

 知らず知らずのうちに足は元の位置に戻っていた。


「玲がハマっていた小説投稿サイトがあってね。これ、君の作品じゃない?」


 沼田が操作する端末の画面には、一志の作品が表示されていた。


「商店街のスピーカーから朗読劇が流れてきて、最後に作者の名前が聞こえてピンときたんだ。玲はよく言ってたよ。この人は、いずれ必ずプロとしてデビューするってね。声優もそうだけど、作家もデビューするなら若いうちがいいんじゃない?」


 ふと思い出す。

 以前、玲は数万字の短編小説をすぐ読んで感想を伝えてきたことがあった。声優で役者だから読むのが速いと勘違いしていた。実際は、すでに読んだことがあったのだ。


 沼田が大きな足を一歩踏み出す。

 タバコの臭いがより一層強くなった。


「このままなにもない田舎で一生を終えるか。多くのファンが待つ都会で才能を活かすのか。玲にとってどちらが幸せなのか。君から教えてあげてほしい。だから、頼むよ」

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