第13話 不採用と採用

 秋葉市立図書館主催のイベント【あおぞら朗読劇】


 子どもたちに本のおもしろさ、読み聞かせの楽しさを知ってもらうため、家族といっしょに図書館へ来てもらおうという企画である。

 また、5月の連休に遠出することができない子どもたちに、物語の世界を旅してもらおうという意図も含まれているらしい。


 このイベントを企画したのは本山理香である。

 まだ若いながらも精力的に仕事に取り組み、図書館利用者を増やそうと日々がんばっているようだ。感情の見えづらい表情をしているが、実際には情熱的で積極的な性格なのかもしれない。


 本山に朗読劇の仕事を依頼されてからちょうど一週間。

 約束通り、一志と玲は0番街裏通りにある駄菓子屋に集まった。


「お世話になっております。中野零先生、天ヶ沢玲さん。本日はよろしくお願いします」


 小さな体を灰色のスーツに収め、小学生と間違われそうな童顔に化粧を施し、硬質なメガネをかけた本山が礼儀正しくあいさつする。


「こちらこそ、お世話になってます。今日は、よろしくお願いします」


 一志も相手のマネをするように一礼する。

 まだ大人との会話、それも仕事の打ち合わせに慣れていないから仕方ない。それでも前回よりは、多少マシになっていると思う。

 隣に立つ玲も静かに頭を下げてあいさつを済ませる。


「プロットを書いてきました。ご確認よろしくお願いします」

 一志は、机を挟んで向かい側に座る本山に書類の入ったクリアファイルを渡す。


「確認いたします」

 本山は、メガネをかけ直して書類を読み込んでいく。

 早く、それでいて正確に。

 一字一句見逃さないという風に鋭い視線が紙の上を走る。


 一志は深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 いくら経験しても緊張してしまう。

 

 玲にプロットを読んでもらう時も完成した小説を読んでもらう時もそうだ。読み終えて感想をもらうまで心臓の鼓動が痛いくらい速まる。

 だがそれは、苦しくも楽しみな痛みでもある。 

 自分が時間をかけて書いたものを他人が時間を割いて読んでくれる。こんなにありがたいことはないと思っている。


「読み終わりました」

 本山の顔がいつの間にか正面に向き直っている。

 やはりその表情にはなんの感情も見えない。

 おもしろかったのか、つまらなかったのか、一志には予想がつかない。


「読んでくださって、ありがとうございました」

 それでも、いつも通りに感謝の言葉は欠かさない。


「どうだった、でしょうか」

 おもしろいか、つまらなかったか。

 いや、それよりも大事なことがある。

 採用か、不採用か。それこそが問題だ。


「7作品……」

 本山がつぶやく。


「先週、わたしが依頼してから7作品ですか」

 圧を感じさせる言葉と鋭い視線によって一志の心臓はさらに鼓動を速めていく。


「すみません。本当はもっと書きたかったんですが……」

 そこで言葉を切った。

 なにを言っても言い訳にしかならないから。

 誰のせいでもない。

 自分の責任だ。

 仕事を受けたのは自分なのだから。

 〆切までにこれだけしか用意できなかった自分が悪い。

 プロの作家になっても〆切はあるのだ。

 この程度のことで言い訳していたら大問題だ。


「責めているのではありません。少ない資料と短い時間でよくこれだけ書けましたね」

「それは、天ヶ沢も、手伝ってくれましたから。なんとか書けた、という感じです」

 しどろもどろになりながら答える。


 いつもなら玲が助けてくれるが、今日は置物のように口を堅く閉ざしている。考えてみれば先週からずっとこの調子だ。

 一志がプロットを考える時に意見を求めても「うん」「そうだね」「いいんじゃない」と気の抜けた返事しかなかった。


 玲がもう少し手伝ってくれていたら、とは思っていない。脚本は一志の仕事であり、彼女の仕事は朗読だから。やはり自分の実力不足だと思っている。


 しかし元気がない理由は気になる。

 なにかあったとしたら先週のことだろう。

 あおぞら朗読劇の企画書を見た時からおかしくなった。

 玲はなにも言わないし、一志も脚本のことで頭がいっぱいだったので詳しいことは今も聞けていない。


「どれもしっかり書けていると思いますし、どれもおもしろいと思います」

 本山が机の上にプロットを並べながら感想を述べていく。


「本当ですか? ありがとうございます」

 量は書けなかったけれど、質はそれなりのものを書いたつもりだ。

 そこを評価されて一志は素直に喜んだ。

 渡された設定資料をその日のうちに何度も読み、モミジロウくんや秋葉市のことをネットで調べたおかげだろう。

 新人賞を受賞するために出版社が売りたいものを研究してきた経験がこんなところで活きた。


「しかし、このままでは使えません」


「え?」


 たった一言で息の根を止められた気さえした。

 一志は納得いかずに問いただす。


「どれも、ダメですか? おもしろいと言ってくれたのに、ですか?」

「わたしは、おもしろいと思います。ただ、子どもたちはどう思うでしょうか」

「僕は子ども向けに書いたつもりです。なにがダメなのか教えてください」

「そうですね。例えばこのプロットを見てください」

 本山が指したのは、モミジロウくんトモミコちゃんがいっしょに踊るという物語だ。

 モミジロウくんは、風に乗って踊るのが好きという設定がある。

 詳しい踊りの種類は書かれていない。それならブレイクダンスでも社交ダンスでも問題ないだろう。

 そう解釈した一志は、妖精たちが手と手を取り合って踊るというプロットを作ったのだ。


「設定をよく理解して物語に上手く活かしていると思います。このまま採用したいほどに」

「ありがとうございます」

 こちらを傷つけないようにほめてくれているのがわかる。もちろんお世辞でないこともわかっている。

 だが今は、なぜ採用できないのか、どこがダメなのか、早く知りたい。


「二人が踊っているシーンで『楽しいね、モミコちゃん』とモミジロウくんが話しかけますが、彼女は笑顔でうなずくだけ。これでは、モミコちゃんがそこにいることが観客に伝わりづらいです。やはりセリフがないと存在感を出すのは難しいですね」

「だけど、いっしょに踊っているんだからそこにいるってわかりませんか?」

「大人なら伝わります。しかし子どもたちには、セリフがないと印象に残りづらいんです」

「図書館によく来る小学生なら本を読んでるから、読解力も高いと思うんですが……」

「そうですね。ただ、普段の読み聞かせに来る子どもたちのほとんどは幼児です。小学校に上がっていない子どもたちに、この物語の意味やおもしろさがちゃんと伝わるでしょうか」

「ああっ……」


 今になって一志は、自分の失敗に気がついた。

 それは、あおぞら朗読劇に来るだろう観客の年齢層を見誤ったこと。


 0ちゃんねるの朗読劇を聞くために0番街にやってきた子どもたちの大半が小学生だったから、あおぞら朗読劇に来るのも小学生が多いだろうと勘違いしていた。


 少し考えれば気づくことだ。

 一志が玲に無理やり読み聞かせに連れて行かれた時、周りには幼児ばかりだったことを。小学生は、ほとんどいなかったことを。


「申し訳ありません。わたしの不手際ふてぎわです。企画書に対象年齢を書いておくべきでした」

 本山は頭を深々と下げて謝ってくれる。


「違います。悪いのは僕です。本当にすみません」

 頭といっしょに気分も沈んでいく。

 穴があったらそのまま埋まりたい気分だ。


 だがその時、机の下で一志の手が強く握られた。

 玲のおかげで冷静になることができた。

 今は自己嫌悪している時ではない。

 そんなことは家に帰ってから一人でやればいい。

 失敗したことは仕方ない。

 むしろ今の段階で間違いに気づくことができてよかった。


「ふぅ」

 小さく息を吐いた。

 ほんの少しだけ気分を軽くしてから口を開く。 


「これ以外のプロットはどうですか? 使えそうなものはありませんか?」

「他のプロットも対象年齢が合わないものやモミコちゃんの存在感が薄いので……」


 使えないとハッキリ言わないのは、本山の気遣いだろう。


「そうですか……」


 0ちゃんねるの仕事が成功したことや本山に脚本をほめられたことで調子に乗っていたのか。ゆるキャラを登場させただけで子ども向けの物語を書いたつもりになっていたのか。

 いずれにせよ、自分にはまだプロ作家を名乗る実力が備わっていないのだと痛感する。


「こちらは、モミジロウくんだけが登場する物語のプロットです。ご確認お願いします」

 一志は悔しさが顔に出ないように、別のクリアファイルから書類を出して渡す。


「確認いたします」

 本山は、再び書類に目を走らせる。

 先ほどよりもずっと早く読み込んでいく。


 一志の心臓は落ち着いている。

 その脚本の出来に絶対の自信があるわけではない。

 けれど、なぜか、これなら採用されるだろうという漠然とした希望があった。

 机の下で繋がれていた一志と玲の手は、いつの間にか離れていた。


「読み終わりました」

「ありがとうございます」

「おもしろかったです。モミジロウくんが明るく元気よく動き回る姿は、小学生にも幼児にもわかりやすいと思います。あおぞら朗読劇では、こちらを採用させてください」

「じゃあ、このプロットで脚本を書いていこうと思います」

「承知しました。それでは、書き上げたらメールに添付して送ってください」

「はい。わかりました」

「あとは細かい修正点がいくつか……」


 本山は抑揚のない声で淡々と話を進めていく。

 人形のような顔はいつものことだ。

 しかし今は、一志も無表情で感情のこもっていない声で相づちを打つ。


 脚本は採用された。

 本来なら喜んでいいところなのに、なぜか笑うことができなかった。


 これでいいのだろうか?

 妥協したつもりはない。

 限られた設定と少ない時間の中、できるだけのことはしたつもりだ。

 今回は、最高におもしろい物語を作ったと胸を張って言える。

 

それなのに、心のどこかで悔しさともどかしさがいっしょになって問いかけてくる。

 本当にこれでいいのだろうか?


「どうか気を落とさないでください。どれも本当におもしろい物語でした」

「そう言ってもらえてうれしいです……」

「完成原稿をお待ちしております。それでは失礼いたします」


 本山は折り目正しくあいさつすると、駄菓子屋から出ていった。

 最後まで気を遣われてばかりだったと一志は苦笑する。

 感情を表に出さないよう気をつけていても、落胆しているのが明らかだったのかもしれない。


「おめでとう、中野零先生」

 玲が祝福の言葉をかけてくる。

 今日の彼女の顔色は、それほど悪くないように見える。


 慣れたのか、諦めたのか、ペンネーム呼びを気にすることなく一志も答える。

「天ヶ沢も、おめでとう」

「この前も、こんな風にお祝いし合ったよね」


 ごく最近のこと、お互いの高校入学を祝った時だ。

 場所も同じく、この駄菓子屋である。


「そうだな。というか、高校に入学してからいろいろあったよな」

「あったね。まだ一カ月も経ってないのに。あ、来月は中間テストがあるよ?」


 玲が意地悪そうな笑みを見せながら話しかけてくる。


「そんなことより、聞きたいことがあるんだけど」

「……なに?」


 一志がまっすぐ見つめるのに対し、玲は少しだけ視線を横にずらしている。彼女の顔からは血の気が引いて、笑みもいっしょに消えて表情が硬くなっていく。


「ううん。なんでもない」


 一志は顔色を曇らせて口をつぐむ。

 実際に尋ねていたらきっと予想通りの回答が来ただろう。しかし、自分の聞きたい答えを相手の口から言わせるのは違うと思ったから。


「僕は先に帰るよ。早く脚本を書かないと本山さんに悪いから」

「……そうだね」

「天ヶ沢も、台本がないと練習できないからな」

「……うん」

 望む答えがあったわけではないが、なんとも歯切れの悪い答えが返ってきた。肩やあごが沈んでいるので顔色も見えづらい。それでも元気がないのは以前からわかっていたことだ。


「大丈夫か?」

「……うん」


 声に元気がない。

 その原因や理由を知りたいが、今はそれより言うべきことがある。


「天ヶ沢も早く帰った方がいいよ。お大事に」


 今度はなにも言わなかった。

 とうとう言葉を発する気力までなくなったのかと、一志はさらに心配する。

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