第28話 親の壁を越えて!
このロクでもない親父の存在など、家を離れたときに捨てたハズなのに。こんなヤツのいる世界など、命とともに捨てたハズなのに。
どうしてまた現れるんだ。近づいてくるんじゃない。
「なにチラチラ見てんだよ。相変わらず人の目ばかり気にしやがって、ウゼェなあ」
そうだ。その嫌悪感しかない態度だよ。血で造られた紛いものでも、変わらないな。
「お前が死んだとき、迷惑被ったんだよなあ。葬式代がだよ。なにが戒名だ、お前なんか葬る価値なんざねえのによ」
コイツなら言いかねない。カネ、カネ、カネ。あと自分の快楽。それが全ての男だ。
「ま、即死だったからいいかあ。入院費もかからなかったし、運ちゃんから慰謝料もらったしなあ。死ぬ予定なら保険にも入れるんだった。ケケッ!」
声だけでもイラついてくる。命の価値があるのなら、コイツが一番下だ!
「ねえねえ」
血塗れの親父を呼んだセリザが肩を叩いてきた。
「こんなのが怖いの? なに言ってるのかわかんないけど」
「……オレもこんなふうになるのかなって思って。受けた傷もあるけど。オレのいた世界にこんな言葉があるんだ、血は争えないって」
「え? なんかふつうに殴ってきそうな雰囲気だけど」
振り返ると、アイツは拳を握りしめている。瞬間、幼少期の記憶が脳裏に閃いた。
「またこうして殴られたいかあ!?」
動けない。声も出ない。ただ、震えるだけしか……。
「うぐう!」
顔面を殴られた。大人になっても、まだ怖がってしまうなんて。
「血は争えないって……。血、ガンガン争ってくるじゃんね」
「いや、そういう意味じゃ……」
親父は殴るのをやめない。ただ背中を丸めて震えるしかできなかった。
「ちょいちょい、待ってよ。防御どしたの? そこのブ男ブラッド、止まりなさーい」
「止めんなよお!」
「痛った。殴ったなコイツ〜」
「……今なにをした? サラマンダーの小便にも劣る血液風情がセリザに手を上げるかッ!?」
「おごッ……おおっ!?」
ヴェルドさんの怒号のあとに、親父の苦しむ声が聞こえる。オレの震えは止まった。立ち上がりその姿を見ると、頭を抱えていた。
「顔面が汚ければ人格も汚いか。貴公、このニンゲンはとんだ救いようのない男のようだな!」
「ぐわあ〜ッ、頭が痛え!」
「心のトラウマはこびり付き、そう消せはしない……。固まった血のように、水だけでは流れてくれん。その行いになんの道理があるというのだ?」
なんでオレを試しているのに……オレの代わりに怒っているんだ?
「ましてや我が娘を殴るなど……人面獣心のクズが! 死ね!」
「パパー、セリザは不死だから平気だよ〜。極論だけどね」
殴られた当人は涼しい顔をして、親血が苦しむ様を傍観している。やがてアイツは頭を重そうにしてこちらを向き、手も伸ばしてきた。
「アヤトォ……助けてくれえ」
絞り出した声は、聞いたコトもないものだった。
「実の父親がこうも苦しんでいるのに、なんとも思わねえのか?」
「その汚い口をつぐんでしばらく反省したらどうだ! 死ね!」
「パパ落ち着いて〜。本人でもないのにムキになりすぎ〜」
いや、むしろ胸がすく思いだ、もっと苦しめばいい。死んでしまえ。だからこそ。だからこそ、そんなオレ自身に嫌気が差す。
「の、脳が痛たぁぁい!」
「意志のある血にここまで怒りを覚えるコトはないぞ! お前の身体が沸騰する音を聞きながら死ね!」
「パパもこわれてきちゃった」
オレは親に、死んでしまえと思う人間になってしまったのか。
「あがが……やめさせてくれえ〜」
本人ではないとはいえ、情けない姿を見るのは初めてだ。闘志が湧いてきた。以前の人生へ決着をつけてやる。
「ヴェルドさん、オレがやります」
「止めてくれるなよ貴公!」
「……オレがやらせてください!」
「むっ、そうか。いかんな、楽しくなっていた。ではそのトラウマ、乗り越えてみせよ」
親父のうめき声はピタリと止み、オレをにらんできた。
「おい……なんですぐに助けなかったんだよ。あれか、ほくそ笑んでたのか? てめえごときが?」
アンタはそういうヤツだ。強いものには媚び、叩きやすいヤツをひたすら叩くその腐った性根。気に食わない。
「また殴られたいのか?」
「訊いてくるなんて、アンタにしちゃあずいぶんやさしいじゃないか」
「どの口で!」
親父は自信ありげに、オレの顔面に拳を振るう。
「なんだ、こんなに遅かったのか」
オレは受け止めた。やっと受け止められた。
「死んでからも、アンタの影にビクビクしてちゃあダセえよな」
「あなた死んでこの世界に来たんだ。じゃあ死んでも希望が持てるね。セリザ死ねないけど」
親父の顔が怒りで歪む。こんなにわかりやすく歯を食い縛るか。
「てめえ、どうするつもりだよ」
つまらないコトを訊いてくるので、行動で示した。拳が痛い。
「痛え……ゆ、許せよ。今までのコト怒ってんのか?」
「オレが一番許せなかったのは、娘の友達に手を上げたコトだ」
「娘? てめえが親なのか?」
呆気にとられた表情のあと、高らかに笑い、拳を向ける。
「人目をうかがって、すぐ謝って、自分なんかどうでもいいと思ってるクサレ野郎が、親になれるワケねえだろ!」
「なんだ……。ちゃんと見ていていたんだな、オレのコト。叶の字、召喚」
拳を左手の口で防ぎ、十を構え――
「それでどうする気だあ? 実の親を殴ろうってのか!?」
「申し訳ないとは思わない。オレはアンタのようにならないために、アンタを越えるために……」
勢いよく振り下ろした。親父の血の身体はドロドロに溶け出す。
「オレのために消え失せろ」
「実の親に対しての仕打ちか? これがよお」
「向こうじゃアンタの血は途絶えちまったな。その辺は悪いと思ってる」
「感謝の念はねえのかよ?」
「あるさ。けど、そんなモノ――」
親父の身体は跡形もなく血となり、床に溶け込んだ。血の跡すら残っていなかった。
「アンタに……言うワケないだろ」
紛いものが倒れるだけなのに、なぜか胸に虚しさが吹き抜ける。憎いと思っていたけれど、それなりに情はあったのかもしれない。
「素晴らしい、魅せてくれるじゃあないか。貴公にこのカギを拝領しよう」
ヴェルドさんがゆっくり拍手すると、床から這い出てきた血の波が、カギを渡してくれた。
「あの父を越えたと見える。血の繋がらない家族と言えど、我輩は祝福しよう。幸せを築きたまえよ」
「ありがとうございます」
鳥かごのカギを受け取り、オレは部屋を後にする。セリザさんが殴られたときの、ヴェルドさんの父としての姿勢が忘れられない。
親は子供を守るもの。それがふつうなのだけれど、そんな背中は見られなかった。どうすれば守れるんだ?
……いや、弱気になるな。オレがハルを守るんだ。今度こそ、何者からも。
「ところで、邪神の眷属の死体は持っていかぬか? 邪魔なのだが」
「いらないです」
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