第210話 リスクを負わないのが最大のリスク

 マンション生活が長くなっているので、実家に帰ると家の大きさに驚かされる。


 そりゃ元プロ野球選手で名をそこそこに馳せた選手だし、現在は二軍投手コーチなんてやらしてもらっているんだから、これくらい立派な家を建てられるだろうよ。


 その息子は中学で挫折するわ、復活したと思ったら大学に滑るわで、散々な人生を歩んでいる。


 両親は表向きにはなにも言ってこないけど、心の奥底ではなにか思うところがあるだろうな。


 少し後ろめたい気持ちを携えながら、玄関を開けた。


「おかえりなさいませー」


 あ、うん。中年のおばちゃんがメイド服を着て出迎えてくれるもんだから、後ろめたい気持ちが消えた。あれ、てか、デジャヴかな?


「きゃあ! 美咲さん! そのメイド服、とっても可愛いですー!!」

「きゃあ! 私服の有希ちゃんまじ至高!」

「ありがとうございますー!」


 ぴょんぴょん跳ねる女性陣を見て、前回来た時と全く同じ状況に呆れるしかなかった。







「おかえり晃。いきなり帰って来るもんだから父さん、めっちゃ無理言って遠征先から帰ってきたぞ」

「なぁ」

「そうよね。まだ微妙にシーズン残ってるものね」

「なぁ」

「お義父様のチームは現在何位なのですか?」

「なぁ」

「現在は二位でしてね。もうゲーム数的に追いつくのは難しいのです。二軍とはいえ、優勝させてあげたかったのですが、なんせウチのチームは全く打たなくてですね」

「なぁ」

「それと言うのはお義父様の指導が良いため、ピッチャー陣で成り立っているということではありませんか?」

「なぁ」

「あっはっはっ。そうとも言いますよね」

「なぁ」

「流石はお父さん。ピッチャーだけで二位なんて凄いよ」

「なぁ」

「がっはっはっ! やっぱり? やっぱり!?」

「なぁて! なんでさっきからフル無視なんだよ! ド畜生どもがっ!」


 さっきから無視を決められるので、声を張り上げたところで、ようやく全員が会話を止めた。


「なんなの!? 俺はタイムリープしたの!?」

「「「なにが?」」」

「なんで全員仕事着なんだよ!」


 父さんはユニフォーム。母さんと有希はメイド服を着ている。


「なに!? おたくら仕事着じゃないと死ぬ運命にあるの?」

「定期的にメイド服を着ないと、呼吸困難になります」

「や、有希ちゃん? キミは定期的に着てるよね?」

「最近まで着ていませんでした。私の弱さが原因で……くっ、お許しくださいご主人様」

「待って、ちょ、待って。両親の前でメイド発動させないで」

「晃くんのお義母様はメイドを発動しておりますが?」


 チラッと母さんを見る。


「ご主人様ぁ」

「おっけー。有希のメイド最高! ふぉー!」


 俺のテンションに母さんが激怒する。


「仕事もしていない」


 なんか知らんが父さんが次に乗る。


「大学に滑る」


 ふたりは、「せーのっ」なんて仲良く息を合わせてきやがる。


「「とんだドラ息子だね」」

「なるほど。俺を社会的に抹殺するための仕事着なんだね。ちょっと前の俺の精神状態なら死んでたわ、ぼけ」

「あの……」


 こちらの会話に有希が申し訳なさそうに割って入る。


「そのことで……。大学のことでお義父様とお義母様にお話しがございまして……」

「有希? もしかしてこの格好で本題に入る気?」

「なにか問題でもございますか?」

「大ありなんですけど。超美人メイドは良いとして、おばちゃんメイドと野球のユニフォームのおっさんが混じってカオスなんですけど」

「「黙れクソニート」」

「まだ学生じゃい! この、ちゃんと働いてる親! ……あ、だめだ、感謝しないといけない。いつもありがとうございます」

「「良いんやで」」

「おっけー。わかった。その息ピッタリにセリフを吐くのをやめてくれ。すげー不愉快だ」

「猫芝先生のお気持ちがわかりましたか?」

「有希ちゃん? キミ加害者だからね」

「今度八つ当たりで猫芝先生にやりましょう」

「そうしよう」


 こんなことで猫芝先生が役に立つとは、ありがとう猫芝先生。


「じゃなく」


 有希がコホンと咳払いをして話題を切り戻す。


「実は──」







 有希から語られるのは俺が大学に落ちた真相。


 彼女の口は所々で噛んでしまうが、両親は黙ってそれを聞き受けてくれていた。


 全てを話し終えると、沈黙が流れてしまう。


 そりゃ息子が陥れられた真実を知ったら親としてもショックを受けることだろう。


 口火を切ったのは母さんだった。俯いている有希のもとへと寄り添い優しく声をかける。


「有希ちゃん。よく、話してくれたわね。辛かったでしょ。悔しかったでしょ。もう大丈夫だからね」


 言いながらまるで自分の娘をあやす親のように頭を撫でる。


「美咲、さん……」


 有希は耐えられなくなり泣いてしまうと、母さんが優しく包み込む。慣れた様子で有希を抱擁している姿は、昔から有希の世話をしていたからだろう。


「大平さん」


 父さんが珍しく低い声で有希を呼ぶもんなんで、俺の方が緊張して父さんの方を見る。


「正直、親としては見過ごすことはできない。息子がそんなことをされて黙っているなんてことはできない。被害届を提出させてもらう」

「は、い」


 涙ながらに返事をする有希に対して、父さんは優しい笑みで答える。


「大平さんの覚悟は伝わりました。あなたはなにも悪くない。身内がやったことで、自分自身が社会的に身を削ることになることを、勇気を出して私達に伝えてくれた。高校生がそこまでの覚悟を持ってできる行動ではないと思います。あなたはとても立派ですよ。ありがとうございます」


 父さんが頭を下げると、有希もつられて頭を下げる。


「晃」


 頭を上げた父さんの目は俺へと移る。


「はい」


 いつもとは違う雰囲気に、丁寧な言葉で返事をしてしまう自分がいた。


「大平さんと一緒に真実を話してくれてありがとう。子供が親に真実を話すってのは中々できることじゃないと思う。思春期の時ってのは、巻き込みたくない、心配をかけたくない、恥ずかしい。そんな思いが渦巻いて、自分でなんとかしないといけない、自分達のことは自分達だけでしないといけないって思っちまうもんだ。そんなことは決してない。大勢を巻き込んで、みんなで問題を解決すれば良い。今回の件はまさしくそれに該当する。だから、俺達を巻き込んでくれてありがとう」


 父さんの言う事は、いじめにあった息子に言っている気がした。


 いや、今の俺の状況がいじめに合っていると言われても差し支えないだろう。いじめられているのは大企業の社長夫人からだけどな。とんでもない相手に目を付けられたもんだ。


「ただ……すまない。俺はプロ野球界に属してはいるが、結局は雇われている身。権力者でもないんでもない、普通のサラリーマンと変わりない存在だ。そんな権力もなにも持っていない俺が大企業相手に被害届を出しても、もみ消されるかもしれない」

「そうだな……。だったら、目を付けられるだけだから出さない方が良いかも」

「バカ野郎」


 珍しく父さんが俺に怒ってくる。


「本来なら、大平さんの両親を並べてボコボコにしてやりたいんだ。半殺しにしてつるし上げて、その腐った根性を叩き潰してやりたいくらいだ。体育会系なめんなよ!」


 野球漬けの毎日を送っている父さんの筋肉で殴ったらまじで死んでしまうのではないだろうか。


「でもこの世の中、暴力は絶対にだめだ。それはできない。だからこそ、無駄だとわかっていても、目を付けられて仕事ができなくなっても、息子がそんなことをされて黙ってなんかいられるか。親としてせめてもの抵抗で被害届は出す。絶対にだ」

「父さん……」


 普段はよくわからない二軍投手コーチだけど、こういう時は頼りになる。本当にありがたい存在だ。


「……なぁ、晃」


 唐突に歯切りの悪くなる父さんは頭をぼりぼりとかいて、言いにくそうに口を開く。


「こういうのはちょっと良くないんだけどな……。まぁこういう事態だからさ……」

「なに?」

「アメリカに行くってのはどうだ?」

「……はい?」


 いきなり超大国の名を出してくるので心底疑問の念が飛んでしまう。


「実はウチの球団と業務提携を結んでいるマイナーリーグの球団があるんだ。そこにお前を紹介してやってもいい」


 マイナーリーグ……。メジャーリーグの下位リーグに当たる。日本のプロ野球でいう二軍みたいなものだ。


「こんなことは、親の贔屓になるから正直勧めたくはないのだがな……。でも、夏の大会でのお前の功績は球団をはじめ、スカウト人にも響いている。高校での実績があまりにもないから声をかけられないが、実力はほとんどの人が認めたことだろうよ。だから、頭を下げれば球団も紹介してくれるとは思う。もちろん、紹介されたからと言って、すぐに入団できるわけはない。トライアウトを受けることにはなると思う」


 父さんは言ってしまったと若干後悔しているように見える。そりゃ、親がプロ野球関係にあって、マイナーリーグといえど、裏ルートで紹介したみたいで後ろめたい気持ちはあるのだろう。


「アメリカまでは流石に大企業様も手を出してはこないと思うんだが……」


 父さんはプロ野球界の人ではなく、親として息子を守ろうとして提案してくれている。


 俺は有希を見た。


 もう、泣き止んでおり、俺達の話を共に聞いてくれていたので、ガッツリと目が合う。


「なぁ有希……」

「アメリカに行きます」


 まだなにも言っていないのに、そんな返事をしてくる。


「でも、大学はどうするんだ?」

「そんなのはクソどうでも良いです」

「クソどうでも良いんだ……」

「私が側にいないのが一番の迷惑なんでしょ? 私、晃くんにもう二度と迷惑はかけないと誓っておりますので」

「確かにそう言ったけど、話の規模が桁違いじゃない? アメリカだぞ?」

「日本だろうがアメリカだろうが、ヨーロッパでも火星でもなんでも、私の居場所は晃くんの側以外にありませんので」


 そんなことを恥ずかし気もなく言って来るので、めちゃくちゃ照れちゃうじゃない。


 でも、確かに、俺にとっても有希に取っても日本にいるメリットというのはない。有希の親の毒牙がかかる場所にいては将来的に不安しかない。その点、アメリカに行けばその心配もない。もちろん、確実に球団に入団できる保証はない。そのリスクもあるが……。


 リスクを負わないのが最大のリスク。


 これ以上の不安が消えるのと同時に、中学の時に負けてしまったアメリカに挑戦できるまたもないチャンス。


 俺の心は決まった。


 有希に誠心誠意、手を伸ばす。


「一緒に行ってくれるか?」


 その手をなんの迷いもなく握ってくれる。


「はい」

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