第96話 目的地には中々着かない

「お客様……。お客様?」


 ふと聞こえる声に反応すると、目の前には綺麗な大人の女性が立っていた。


「は、へ?」


 まだ覚醒していない腑抜けた声がでてしまうと、見覚えのない綺麗な大人の女性は、微笑ましいものを見るような顔をして優しく声をかけてくれる。


「心地の良いところ大変恐縮ではございますが、目的地に到着いたしましたよ」

「到着……?」


 言われて一瞬で記憶が蘇る感覚。


 そういえば、俺達は修学旅行で飛行機に乗って、離陸と同時に寝てしまったんだったな。


 この綺麗な人はキャビンアテンダントのお姉さんだ。


「あ、すみません。すぐに降ります」


 慌てて降りようとしたところで、右手に柔らかい感触があるのと、右肩に丁度良い程度の重みがあるのに今更ながらに気が付いた。


 視線を右の方へ向けると、有希が手を握って俺の肩で、すやすやと眠っている。


「ふふ。仲良く眠っておられましたね」

「あ、あはは……」

「パートナー様への起床の合図はお客様にお任せ致します。わたくしの声での目覚めより、お客様の声での目覚めの方が気分は良いと思いますので。良い旅をお送りくださいませ」


 そう言い残して、キャビンアテンダントのお姉さんは去って行った。


 寝起き過ぎて、パートナーじゃないと否定する暇もなかったな。


 でも、まぁ……。こんだけガッツリ手を繋いで寄り添っていたら間違われるだろうな。


 隣を見ると、小さな寝息を立てて眠っている有希の姿がある。頻繁には見る機会のない有希の寝姿。


「有希。着いたぞ」


 右手は握ったまま左手で、トントンと彼女を叩いてあげて起こしてあげる。


「う…… 、ん……」


 反応はあるが、起きる気配がないので、再度優しく叩いて起こしてあげる。


「有希ー。着いたぞぉ」

「んにゃ……。ふふ……」

「可愛い……」


 幸せそうな顔をしている。


 どんな夢を見ているのだろうか……。


「おーい。有希ー」


 この顔をずっと眺めていたいが、ここで眠ったままだと、空港に迷惑がかかるし、待っている猫芝先生にも迷惑がかかる。なので、次はがっつりと起こしてみる。


「有希ちゃぁん。着いたおー」


 ゆさゆさと揺らしてあげると、「あへ?」と彼女の口から聞いたこともないような声が漏れた。


 ゆっくり目を開けるが、まだ覚醒しきってない彼女の瞳は半開きで、なんとも眠そうな顔をしている。


 いつもの彼女ではありえない顔だ。


「んん……? ん? 晃きゅん?」

「おはよう」

「おひゃよう……ございましゅ……。ん……。へへ……」


 二度寝の快楽に身を委ねようとしている。


「起きろー。着いたぞー」

「んへ? よくわかんないです……けど、こうやって晃きゅんと、一緒だと……よく眠れ、ましゅ……」


 呂律の回っていない寝起きの言葉は、嬉し恥ずかしのなんとも言えない感情に俺をさせるが、今は悶えている場合ではない。


「ほらほら。起きた、起きた。もう北海道着いたぞ」

「北海道……?」


 ガバッと起き上がり、目を見開いて周りを見渡す。


 そして、大きく開いた目で俺に尋ねてくる。


「私、え? 寝てました?」

「ガッツリ」

「え? いつから? え?」


 慌てている様子から、寝落ちしたのも覚えていないくらい深い眠りだったことがわかる。


「離陸と同時に寝てたよ」

「離陸……。そういえば、私、怖くなって……」


 思い出すように、ぶつぶつよ記憶の回路を辿る有希は、最終的に右手に行きついた。


 繋がっている手を見ると、「はっ!?」となって離すものかと思うと、冷静になり、強く握ってくる。


「ずっと握っていてくれたのですか?」

「まぁ」

「そうですか」


 ギュッギュッと2回される。


「手を繋いだ瞬間、怖い気持ちがなくなって、良く眠れました。晃くん。ありがとうございます」

「いえいえ」


 無難な言葉を返してお互い手を離せずにいると、手を繋いだまま呆然としてしまう。


「えと……。手、離さないと降りれないんだけど……」

「あ、そ、それもそうですね。すみません」


 そういうものの、お互い手を繋いだまま離す機会を失ってしまった。


「お客様ー。仲良すぎですよー。降りてくださーい」


 キャビンアテンダントのお姉さんが手を離す機会を作ってくれて、俺達は頭を下げて、イソイソと降機したのだった。




 ♢




「いやー。ごめんねー。2人共。修学旅行初日からトラブっちゃって」


 飛行機を降りたら、すぐに猫芝先生と合流。


 他の連中より、少し遅れてしまったので、バスに乗車することができず、先生が手配してくれたタクシーにて昼食会場を目指す。


 昼食会場に着いたら、みんなと合流できるので、そこでようやくの本来の修学旅行を楽しめるらしい。


「いえ。飛行機の移動だけですし、そこまで大したことではありませんよ」


 タクシーの助手席に座る猫芝先生へ、運転席の後ろに座る有希が答える。


「そうですね。それに猫芝先生が悪いわけではないですし」


 俺も一応声をかけをしておく。


「こんなに優しい生徒を担当できて、先生嬉しい限りだよー」


 先生もテンションが上がっているのか、嬉しそうな泣き真似をしていた。


「修学旅行ですか?」

「はい。そうなんですよー」


 タクシーの運転手が助手席に座る猫芝先生に話しかけ、大人2人の雑談が入った。


 子供は子供らしく、スマホでもいじるか。


 ポケットからスマホを取り出すと、LOINが入っていた。


 正吾からだ。


『晃のいない修学旅行なんて修学旅行じゃねぇぜ。早く来いよー』


 言いながら、クラスメイトと一緒に撮ったであろう浮かれた写真が送られてくる。


『満喫してんじゃねぇか。ボケ』


 そう返すと、すぐに返信がくる。


『昼のジンギスカン食べ放題やばいくらい楽しみだぜ。晃は今、どこ?』


 聞かれて周りを見渡した。


『まだ空港出たばっかの高速だよ』

『早く会いたいぜー』


 そんな気持ちの悪い言葉と共に、バスでの動画が送られてくる。


 クラスメイト達はみんな浮かれてはしゃいでいる。


「有希。見て見て」


 言いながら送られてきた動画を彼女へ見せる。


「バスは楽しそうですね」

「こっちは、こっちで楽しいけどな」


 有希がちょっと羨ましそうに呟いたので、強がるような言葉が出てしまう。


 すると彼女は、覗き込むように俺を見てくる。


「それって、私と一緒だから?」

「そうだよ」

「私もですよ」

「うっ……」


 修学旅行のバス効果を利用した、俺の素直な返答で有希を照れさそうとしたが、流石に相手もこちらを研究しているらしく、見事なカウンターをくらってしまう。


「どうです? この素直に言われる具合」

「強烈なダメージだな」

「ふふ。修学旅行の加護を受けているのは晃くんだけではないのですよ」


 同じ土俵ってわけか。良いだろう。


「有希と一緒に2人っきりで移動とか最高かよ」

「晃くんと2人っきりの移動。ずっとこの時間が続けば良いのに」

「この後もずっと有希と2人っきりの修学旅行になれば嬉しい」

「3日間、ずっと一緒にいられますね」


 お互い引かない謎の勝負。


「ストップ!」


 終止符を打つ猫芝先生が顔を赤くして後ろを振り返る。


「先生もいるから! 2人っきりじゃないから! 聞いてるこっちが恥ずかしいから!」


 先生の嘆きが車内に響くとの同時に、次はタクシーの運転手が嘆くことになってしまう。


 どうやら、大渋滞にハマったみたい。

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