第28話 呼び方1つで世界は変わる

 玄関先で大平有希が自分の恰好も気にせずに俺の母さんに抱き着くものだから、驚いてなんのリアクションも取れずにいる。それは母さんも同じみたいで、少しだけ固まっているのが視界に入った。


 でも、すぐに母さんは我が子を愛でるような表情となり、大平の頭に手を乗せて頭を撫でてあげる。


「久しぶりね。有希ちゃん」


 その表情は、昔、俺をあやす時と同じような母の優しい顔。大平は安心する子猫のように撫でられていた。


 感動の親子の再会。みたいな雰囲気で、俺はなんとも場違いな実の息子って感じで居心地が悪い。


 嫉妬というのかどうかわからないが、とりあえず2人に声をかけた。


「あのぉ。一応、2人の関係を説明してくれるか?」


 こちらの質問要求に、大平は、ハッとなったように母さんから離れた。


「ご、ごめんなさい。つい……」

「良いのよ。成長した有希ちゃんの身体を堪能できて私も嬉しいわぁ。もう1回する?」


 中身おっさんみたいな発言をしながら、おいでーと母性本能全快で手を広げる母さんに、大平は顔を赤くして首を横に振っていた。多分、俺がいてなかったら飛び込んでいただろうと思う。







「んで? 大平と母さんの関係は?」


 母さんを部屋に通し、3人でコタツテーブルを囲む。お誕生日席に大平が座り、正面に座る母さんに尋ねるとすぐに教えてくれる。


「パート先のお嬢様よ」

「パート先のお嬢様と言われても」


 それだけなんとなくわかるけど、聞き馴染みのないパワーワードみたいで困惑してしまう。


「以前、お話しさせていただいた、私の家のお手伝いさんです」

「あー。ね」


 補足として大平が教えてくれる。それを聞いて、大体わかっていたことが、完全にわかってしまう。


「小学校までパートしてたのって大平の家でだったんだな」

「そうそう。あのパート凄く楽しかったのよ。時給も良くてね。それに──」


 母さんは大平を見て嬉しそうに言ってのける。


「私、娘が欲しかったのだけど、有希ちゃんのお世話は本当に娘を育てているみたいで楽しかったわ。それが今や華の女子高生。こんなにも美人に成長してー」

「美咲さん……」


 再度頭を撫でる母さんに、大平は嬉しそうに目を輝かせていた。


「あのまま有希ちゃんのお世話をしてたかったのだけど、晃が中学生になったらシニアに行くって言うからね。リトルの時は勝手にチャリで行ってくれてたけど、シニアは送り迎えしなくちゃならなくなったから」


 リトルはリトルリーグ、小学生の硬式野球。シニアはシニアリーグ、またはリトルシニアといい、中学生の硬式野球を差す。リトル時代は言う通り、練習場所が近所だったのでチャリで行けたが、シニアの練習場は山の中にあるので送り迎えをしてもらう必要があったので、母さんに車で送ってもらっていた。


「言ってましたね。息子さんの野球があるからやめるって」

「本当はあの仕事やめたくなかったんだけどね。有希ちゃんの中学時代も近くで見守りたかったから」

「なんだか、俺のせいみたいな雰囲気を感じるな」


 頬杖ついて、少し拗ねた声を出すと、母さんが笑って来る。


「なにぃ? 嫉妬してんの?」

「んなんじゃないけど」

「別に晃のせいじゃないし。晃はシニアに行くって知ってたから、あんた優先に決まってるでしょ。野球で世界と戦った私の自慢の息子なんだし」


 そう言って、手を伸ばして頭を撫でてくる。


「やめろ。実の母親から撫でられるのは思春期男子としてなんか嫌だ」

「あらぁ。思春期とか更年期とか関係なく、晃は一生私の息子なんだから、素直になでられなさいよ」

「更年期の息子を撫でる構図は見たくないぞ」


 そんな親子のやり取りを見ていた大平有希は、「そうですね」と言葉を発して俺と母さんを見比べた。


「あの頃、美咲さんがやめて寂しかったのですが、結果としてはあそこで息子さんを優先していただいて本当に良かったと思っています」


 だって、と大平有希は、言いたかったことを今言えると言った清々しそうな表情で言い放った。


「あの別れがあったからこそ今の私がいます。美咲さんに憧れて、あなたみたいになりたいと思った私がいます。あの別れが私の思いを強くしてくれました。ありがとうございます」


 真っすぐに言われて、母さんの目が潤み、大平を優しく抱きしめた。


「有希ちゃんの家庭には有希ちゃんの家庭事情がある。それを私は強く言えない立場だけど、これだけは今も言えるわ。私は有希ちゃんも娘だと思ってお世話をした。今も変わらないわよ。あなたはずっと私の娘。だから、なんでも言ってね。有希ちゃんは我慢する悪いくせがあるから。甘えて良いのよ」

「はい……」


 なんとも感動的なシーンに、2人の絆が垣間見える。

 が、そのシーンを崩すように、母さんが抱擁をやめると、俺と大平を見比べる。


「次は私が質問をしても良いかしら?」

「質問?」

「そりゃ質問しかないわよ。逆に、今の状況で質問しないなんて変でしょ」


 そう言うと、次に母さんは当たり前のことを言い放った。


「なんで有希ちゃんがミニスカメイド服着て、晃の家にいるのよ」


 俺と大平は目を合わせて、母さんの疑問に答えることにした。







「それじゃあ、2人の愛の巣にお邪魔するおばちゃんは帰るわね」


 説明をした。


 俺と大平で1から10まで説明をした。


 それを理解した上での発言で膝から崩れ落ちそうになるが、これが母さんだ。


 大平もわかってるみたいで、これ以上対抗するのをやめて、一緒に玄関まで見送ることにする。


「あ、それから、晃」


 玄関で靴を履いた母さんが俺を名指して呼んでくる。


「2人の事情はわかったし、母さん別になにも言わないけど、これだけは言わせて」


 このおばちゃんのことだ。どうせエロいことするなとかの注意喚起だろうよ。そんなことは言われなくてもわかっている。


「有希ちゃんのこと。名前で呼んであげなさい」

「ぬぁ?」


 まるで予想外のことを言われてしまって、腹の底から変な声が出てしまう。


「有希ちゃんは名前で呼んであげて欲しいの」

「いや、それは本人の気持ち次第では?」

「だめよ。これは絶対。じゃなきゃ実家に強制送還よ」

「そんなに!?」


 こちらのリアクションを見て、大きく笑うと、母さんは玄関のドアを開けた。


「それじゃ2人とも、またね。晃、たまには実家に帰ってきなさいよ」

「あいあい」

「じゃあね」


 パタンと玄関を閉めた母さんの足音がエレベーターの方へと向かっているのを聞いて、1つ安堵の息を吐く。


 しかし、大平を名前で呼べと冗談っぽいことを言っていたが、最後まで冗談とは言ってなかったな。


 チラリと大平を見ると、苦笑いを浮かべていた。


「覚えていてくれたみたいですね」

「なにを?」


 主語のない呟きを拾ったのはこちらなのだが大平は、「あ、すみません」と言葉を訂正してもう1度言ってくれる。


「美咲さんに言ったことがあるんです。名字は嫌いだから名前で呼んで欲しいと。そのことを覚えておいてくれているから、美咲さんはそう言ってくれたのだと思います」


 なるほど。だから、母さんが有希ちゃんと呼んでいるのか。まぁ娘も同然みたいなことを言っていたから、そんなことがなくても下の名前で呼んではいただろうが。


「私のことを名前で呼んでくれる人は美咲さんだけです。他の人は誰も呼んではくれません」


 それは本当にそうなんだろう。話しから察するに、両親も呼んでいないと思える。周りの連中もこいつを下の名前で呼んでいる奴は見たことない。


 悲しそうに、嘆くように言ってのける彼女を見る。


「有希」


 自然と出た名前。


 だが、名前を呼んだ瞬間になんだか気恥ずかしくなり、顔を背けてしまう。


「これから名前で呼んでも良いか?」


 恥ずかしいけど、そう聞いてやると、まるでひまわりみたいな明るい笑顔を一瞬だけ見せてくれる。


「はい」


 短く返事をした後に有希はこちらを見つめて言ってくる。


「晃くん」


 ドキンと胸が高鳴った。


 唐突に呼ばれる名前。女子から初めて呼ばれる名前。有希の可愛い声で呼ばれる名前。それらの意味が含まれた呼びかけに心臓はずっと鳴りっぱなしである。


「が、学校では……呼ばないで……くださいね」

「あ、ああ」


 なんだか妙にドキドキする雰囲気。甘酸っぱくむずかゆい雰囲気。だが、居心地はなんだか悪くない。


「ば、晩御飯の用意し、しますね。こ、晃くんは、座って待っててください」

「う、うん。よろしく、有希」


 お互い名前で呼んでいるだけでドギマギしながら会話を進めた。


 その日の晩御飯はなんだか甘い味がした気がした。

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