第18話 下がる熱と火照る頬
大平有希は薬を飲んだ後、すぐに眠りについた。
薬の効力なのかどうかわからないが、彼女が寝ている間に、鍵を拝借し、近くの薬局で栄養ドリンクや熱冷ましのシート等を買って戻ってくる。
熱冷ましのシートを彼女が起きないようにゆっくりおでこに貼ったのだが、一瞬で熱くなる。でもまぁ、ないよりかはマシだろう。
落ち着いて寝ているし、そろそろお暇しようかと思ったが、俺が出て行った場合、鍵をどうすれば良いかと悩む。
出て行ってポストに入れる? 合鍵はあるだろうから最悪気がつかなくてもと思ったが、もしなかった場合は、鍵がどこいったと騒ぎになるかも。大平の連絡先を知っていればLOINで通知を入れておけば済む話だが、あいにくと彼女のLOINは知らない。無理に叩き起こすのはモラル的にNG。
「ま……。隣だし、多少遅くなっても良いか」
この時間に寝たんだ。最悪でも、0時までに1度目を覚ましてくれるだろう。その時に鍵のことを言えば済む話だ。
今はスマホという便利なものがあって、時間潰しに苦労はしない。
そう思いながらスマホを手に取り、ふと思い出したことがある。
「野球道具……あったな……」
救急箱のあった、廊下の収納スペース。その下に見覚えのあるエナメルバッグがあった。
あれは夏休み明けに俺が大平に捨てるように頼んだ物だと思う。
気になってしまうと体が勝手に動き、廊下に出て、もう1度収納スペースを開けさせてもらう。
そこの下には、見間違いではなく、確かにエナメルバッグが置いてあった。
もしかしたら大平のかもしれないが、まじまじと見るとやはりこれは俺のエナメルバッグであった。
その証拠に、『守神』と黄色い刺繍が小さくあるのがわかる。
エナメルバッグを取り出して、部屋に戻る。
彼女の側でエナメルバッグの中身を開けると、あの頃のままと同じ、ピッチャー用のグローブが出てくる。
懐かしいものを見るような目でグローブを見つめると、革と大地と汗が混じった、懐かしい香りがしてくる。到底良い匂いとは言えないが、慣れ親しんだ匂いで嫌悪感は全くない。
2年振りに装着するグローブはあの頃と変わりなく、俺の野球がしたい欲求を高めてくれる。
「未練しかねぇなぁ。あーあ……。でも、すまない。俺はもう壊れちまったからさ……。これ以上未練タラタラじゃ前に進めないから。お前を捨てるしかできねぇよ。一緒に世界で戦ってくれたってのに。ごめんな……」
パンパンとグローブの腹あたりを叩くと、「意外ですね」とベッドの方から声が聞こえてくる。
「守神くんはグローブに喋りかけるタイプなんですね」
起き上がりながら言ってくる彼女は、先程よりは苦しそうな様子はなかった。ただ、まだ熱があるのか、頬が赤く火照っている感じがやけにセクシーである。
「恥ずかしいところ見られたな」
「恥ずかしくなんかないと思います。それほど大事な物だったのでしょ? 捨てなくて正解でしたね」
少し年上のお姉さんが近所の野球少年を見る様な大人びた顔って感じだ。
「どうして捨てなかったんだ?」
単純な質問だ。
捨ててくれと頼んだのに捨てずに保管していてくれた理由を知りたかった。
「あの時、捨ててくれって言う守神くんの顔が辛そうでしたから。勝手ですが、取っておきました」
「顔に出てた?」
「はい。それはそれはわかりやすく。でも、無理に事情は聞きません。お互い知られたくない過去ってあると思いますので」
「それはありがたい」
彼女には彼女のなにか複雑が過去があるのは、夏休み明けのエレベーターの中での話で察していた。こちらも無理に聞くつもりはないので、彼女の言葉はありがたかった。
俺はグローブを軽く撫でて、エナメルバッグにしまうと、再度大平有希に依頼する。
「いつでも良いからさ、捨てといてくれ。俺が捨てるのは……ちょっとな」
「わかりました。いつか捨てることにします」
いつか、という言葉は過去を語ってくれた後なのか、それともなんとなく出た言葉なのか。
「ごめん。グローブ、パンパンして起こしちゃった?」
どちらにせよ、それで病人を起こしたのであれば申し訳ない気持ちになってしまう。
「いえ、それで起きたわけではありませんので、守神くんがお気になさることはありませんよ」
こちらの謝罪に、棘のない、気を使わないでと言わんとする微笑みを見せると、大平有希はこちらとは逆方向、大きな窓の外の景色を見た。
「それにしても、私、どれくらい寝ていましたか?」
窓の外は太陽から月に変わっており、空はオレンジから黒に変化を遂げていた。
「1時間半くらいかな」
「それまで側にいてくれたのですか?」
「買い出しとか行ってたから丸々とは違うけどな」
買い出し? と疑問の念を出した後に、ベッドの近くの栄養ドリンクや、自分の額に張り付いてある熱冷ましのシートに気がついて、「あ……」と声を漏らした。
「熱は?」
額の熱冷ましのシートに手をやっている彼女へ聞くと、体温計を脇に挟んで計る。
ピピピとすぐに熱が計り終えて、大平はすぐに確認をする。
「37.2」
頬の火照り方からもう少し熱があると思ったが……。
「良かった。めっちゃ下がってるな」
1時間半寝ただけでこんなにも下がってくれるなんて、もしかしたら疲れが相当溜まっていたのではないだろうか。
「守神くんが側にいてくれたからですかね……」
「え……?」
ボソリと小さく呟く声は、街並みなら聞こえなかっただろうが、静かな彼女の部屋なので、容易に俺の脳まで届いた。
こちらが、明らかに自分の声を聞いたとわかり、大平は熱がぶり返したみたいに顔を赤くした。
「や……。今のは違う……」
なにが違うのかわからないが、明らかに動揺していることだけは伝わる。
「ふ、ふん。皮肉なものですね。まさか家事もできないご主人様に面倒を診てもらうとは思いもしませんでした。これは私の一生の恥じです」
動揺を嫌味でカバーしようとしているらしいが、もう遅い。先ほどの小さく呟いたのが本音だと察してしまう。
今の彼女に普段のお返しと言わんばかりに、からかいの言葉を送ろうとしたが、病人相手にそれはないだろうと判断し、真面目な話を振った。
「やっぱり色々と働き過ぎじゃないのか?」
こちらの心配をかける声に彼女は視線を伏せた。
「そう、です、ね……」
歯切り悪く答えて続ける。
「実際、倒れたわけですし、あなたにも迷惑をかけてしまいました。今の生活を見直す必要があるのは確かです」
「それが良いよ」
生徒会の仕事、メイド喫茶のバイト、俺の世話。
どれか切るなら間違いなく俺の世話だろう。
正直、彼女が俺の部屋で掃除や料理をしてくれて相当ありがたかったが、倒れるまでやらせるほど鬼畜でもない。それに、秘密をバラさないようにという契約の下でやっている中で俺は誰にもバラすつもりもない。
だから、切るなら俺の世話を切るだろう。
「とりあえず熱が下がったなら良かった」
しかし、それは今決めることではない。彼女がやることは熱を下げることだろうから、現状はなにも言いまい。
「あんまり長居するのもお互いのためにはならないと思うから、そろそろ帰るわ」
「そうですね。うつすのも悪いですし」
お互い、気を使う言葉を放ち、部屋を出ようとして振り返る。
「それから。迷惑だなんてことは思ってない。困った時はお互い様なんだしな。なんかあったらすぐに来いよ。隣なんだし、遠慮なく言ってくれ」
そう言うと、少しだけ間を空けて、「はい」と返してくれる。
「ほんじゃ。鍵はかけて玄関のポストに入れとくから、また回収しといてくれよ」
そう言って背中越しに手を挙げて部屋を出て行った。
「ありがとう、ございます……」
出て行った部屋から小さくそんな声が聞こえた気がした。
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