【書籍化決定】悪女矯正計画

さくたろう

第一章 アーヴェル・フェニクス

第1話 馬鹿みたいにふざけた話

 馬鹿みたいにふざけた話があるとしたら多分これだろう。

 俺の目の前では以前の婚約者、そして現皇帝の愛人セラフィナが高らかに笑っていた。  


 史上最大の間抜け面を浮かべている俺を横目に、セラフィナはねずみ獲りにかかった子ねずみを見つけた時の悪ガキのような、加虐じみた笑みを見せた。


「アーヴェル・フェニクス。過去の罪を精算する時が来たわ」


 一体どう間違えたらこんな状況になるのかさっぱり分からない。

 おい誰か、この女が何を言っているのか教えてくれ。この俺になんの罪があるっていうんだ?

 口から漏れたのは嘲笑だった。


「馬鹿か貴様。皇帝の血筋の私を殺せるはずがないだろう」


 そうとも、言うなれば俺はこの国の権力者だ。父は前代皇帝であり、叔父は現皇帝だ。

 だからいくらセラフィナが皇帝ドロゴの寵愛を受けていようとも、そして政治的方針の違いがいくらあろうとも、俺を殺していいわけがないのだ。

 馬鹿でかいベッドの上で、ほぼ裸の俺は、早朝の襲撃になすすべもなく一人ぽつんと座っていた。そんな俺をどう思ったのか、セラフィナは、憎たらしいほど美しい顔を歪めてこう言った。


「馬鹿はそちらでしょう? あなたのお父様は争いに勝って皇帝となったのよ。いつだって、最後に笑うのはより強い強者なのよ」


 俺に勝つだって? 失笑は禁じ得ない。

 俺はまあまあ優秀な魔法使いで、正直言ってこの程度の兵士達なら蹴散らせる。それに……


「貴様、ついに頭がおかしくなったのか? この名高き魔法使いであるこの私に、無魔法の――」


 と、そこまで言ったところで、セラフィナが手から恐ろしいほどの魔力を帯びた黒い光を作り出し、俺へと目がけて発出した。防御の隙さえない攻撃だ。

 台詞さえ言えずに俺は死んだのである。



 ◇◆◇



 というのが、さっきまでの記憶だ。

 目の前に、幼いセラフィナがいる。

 明らかな異変だ。俺の記憶が正しければセラフィナは十九歳で、大人といえば大人と言える年齢だったはずだ。だがここにいるのは幼い少女で、不安げに瞳を揺らしているだけだった。

 おかしいのはセラフィナだけでなく、死んだはずの兄、ショウまでがいて、俺に軽蔑したような視線を送っていることだ。


「アーヴェル。どうしたというのだ? 悲鳴なんて上げて」


 直感的に思ったのは、ここは死後の世界か、さもなければ夢なのだろうということだ。近頃の俺は毎日が乱痴気騒ぎで、ひどい夢ばかり見ていたからだ。

 自分を殴ってみる。痛い。セラフィナは大きな瞳をさらに大きく見開き怯え、兄貴は俺をごみでも見るような目つきで見つめてきた。


「こんな時ぐらい、奇行は抑えてもらいたいものだ」


「こんな時ってのはどんな時だ」

 

 状況をまるで飲み込めない俺がやっとの思いでそう言ったというのに、兄貴は軽蔑するように冷笑した。


「私とセラフィナの婚約を、親族一同に知らせている時だ」


 周囲を見渡すと、なるほど親族一同が長いテーブルにあほ面下げて並び、俺たちの方を見ているじゃないか。どうやらここは俺がかつて住んでいた場所――つまり実家の食堂らしい。

 ようやく朧気に記憶が蘇ってきた。

 俺が十三歳の時、五つ上の兄貴は、あろうことか九歳のガキと婚約したのだ。もちろん、恋愛の末の婚約ではない。皇帝の家系とは言え、直系は叔父上の方へ移り、俺たちの権威はいまいち落ちぶれかかっていたところに、兄貴が持ち込んだ企画というわけだった。

 セラフィナの家は前王の時代――もっと言えばその前から国に大貢献してきた魔法使いセント・シャドウストーン家という名家であり、最高権力者がころころ変わる不安定な我が国において、揺るがぬ地位を築き上げた大権威だ。つまるところ、混じりけない純粋な政略結婚だということだ。まあ、結婚する前に兄貴は死ぬのだが。

 

「ああ――ああ」


 適当かつ曖昧な返事を手早く済ませ、気配を極力消すことにした。どの道、兄貴が死ぬまで俺は親族連中に気にも留められぬ存在だったから、黙っていたところで責められはしない。

 冷静になど到底なれないが、これが夢でもあの世でもない以上、そうして、セラフィナがまだガキで、兄貴が生きていて、さらにこの光景に見覚えがあるということは、俺は過去に戻ったって考えるのが妥当だ。信じられないが、どうやらそうらしい。


 俺はチラリと、悪女セラフィナを盗み見た。


 たった一人で我が家に迎え入れられたセラフィナは、どうしていいか分からない様子で、もじもじと指先をいじっている。実に大人しく清楚な少女然としていて、見た目こそ確かに整っていると言えるものの、俺を排斥しに来たあの恐ろしい女の片鱗すら見当たらない。これが後に皇帝の愛人に成り上がり、気にくわない人間を何人も処刑し、稀代の悪女と呼ばれるのだから人間分からないものだ。


「おい、セラフィナ」


 親族連中に饒舌に演説をかましている兄貴に気づかれないように小声で彼女に話しかけた。


「お前、大人になっても俺を殺したりするなよ」


 意味が分からないのか、不安げな表情をしていたセラフィナは、今度は泣きそうな表情になった。

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