第47話 二人の関係は

 日暮れになり、瑞俊さんが戻ってきたと明々から聞いた私は、すぐに部屋を飛び出し、彼が居座っている離れの客間に向かった。

 私が扉を叩くと、使用人の女性が出てきて迷惑そうな顔をする。


「騒々しくしないでくださいな。いったい、なんの用です?」

「瑞俊さんに重要な話があるのよ。そこをどいてちょうだい!」

 我が家なんだから、何を遠慮する必要があるというの。

「ちょっと! 勝手に入らないでちょうだい!!」

 使用人の女性の声を無視して中に入る。その部屋の豪華な調度品と内装に、私はあ然とした。壁も天井も修繕されている。その上、衝立や帳が部屋を飾っていた。

 南方より取り寄せたらしい豪華な敷物が床には敷かれ、椅子に腰掛けた女性が琵琶を奏でていた。香炉から、いい香りが漂ってくる。

 物置だった部屋が、王侯貴族の部屋みたいになってるんですけど――っ!

 

「おや、君の方から訪ねてきてくれるとは、嬉しいね」

 大きな椅子にゆったりと寝そべった瑞俊さんは、女性に膝枕までしてもらっている。起きる気がないのか、横になったまま扇を揺らしていた。

「若様、きっと金の無心にきたんですよ。図々しいったらないわ」

「嫌だ、敷物が汚れてしまうわ」

 そばに侍らせている女性たちが、瑞俊さんに耳打ちしている。


「瑞俊さん、二人だけで話がしたいのだけど。よろしいかしら?」

 私が腰に手をやって言うと、女性たちが見下すような目を私に向けてきた。

「まあ! 二人だけでですって!? 誘惑でもするつもり?」 

「若様、さっさと追い出してしまいましょうよ」

 我慢している私の眉がピクッと動く。ここは我が家なのに、誰の命令で追い出せるというのよ。

「話をしないというのなら、明日には全員、出て行ってもらいますからね。もちろん、瑞俊さんからいただいたお金は全部お返しするわ!」

 私はテーブルの上に、お金の入っている巾着袋をドンッと置いた。これで、文句は言わせないわよ。私が目を据えていると、瑞俊さんは閉じた扇で頭を掻きながら、仕方なさそうに起き上がってくる。


「お前たち。ここはいいから、庭の手入れでもしておいで」

 瑞俊さんが言うと、「でも、若様!」と女性たちは拗ねたように彼の腕にしがみつく。けれど、「聞こえなかったのか?」と急に冷たい声で言われて、ハッとしたようにその手を引っ込めていた。

 無言で立ち上がり、一礼して部屋を出て行く。琵琶を弾いていた女性も、すぐに楽器を片づけて後を追っていた。 

 ふーん、瑞俊さんの言うことには逆らえないってわけね。まあ、雇い主なんだから、当然でしょうけど。

 まあいいわと、私は瑞俊さんの前に進み出る。


 彼は椅子に座り直し、台の上の茶器を手に取って自分でお茶をいれていた。

「言われた通りに人払いはしたよ。それで、私に話というのな何かな?」

 瑞俊さんは私に「飲むかい?」と、湯飲みを勧めてくる。

「結構です!」

 私は断って、すぐに本題に入る。

 この人と世間話をするために来たわけではないもの。


「あなたがなぜ、恩玲さんのことを知っていたのか聞かせてもらおうと思って、帰ってくるのを待っていたのよ!」

「ああ、そのことか……」

 白々しい。どうせ、私が話を聞くためにやってくるなんて、お見通しだったくせに。

「親戚だからね」

「そうなの。それは知らなか……親戚!?」

 それって、本当のこと!? あっさり答えるから、その言葉を信じて言いのかわからない。からかわれているんじゃないわよね?

 瑞俊さんの本心が分からなくて、疑いの目を向ける。

 瑞俊さんはニマニマして、私の反応を楽しんでいるようだった。

「私を欺そうとしているんじゃないでしょうね。嘘を吐いても、後で恩玲さんに確かめれば、わかることなんだから」


「確かめてみればいい。私たちは従兄弟だよ」

「従兄弟……」

 そう言われると、顔立ちが端正なところは似ていると言えなくもない。けれど、恩玲さんの方がずっと美男子よ。女ったらしでもないし、にやついてもいない。性格は大違いだ。

「実を言うと、彼に用があってね。君の屋敷に滞在させてもらっているもの、そのためだったんだ……私も久しぶりに会うものだから、様子がわからなくてね」

 少し真面目な表情になると、瑞俊さんは湯飲みを置いて私を見る。その指を膝の上で組んでいた。


「恩玲さんから、親戚がいるなんて話は聞いたことがないわ」

「それはそうだろうな。私たちは実を言うと……それほど仲がいいわけではないからね」

「そうでしょうね」

 私は納得して頷いた。それに、恩玲さんは家族のことや、生い立ちのことを少しも自分から話してくれない。私も尋ねるきっかけがなかった。

「いったい、恩玲さんに何の用があったの?」

「父に言づてを頼まれただけさ……それも終わったから、ここに滞在する必要もない。心配しなくても、近いうちに出て行くつもりだ。世話になったね。だから、その代金は受け取ってくれ。それだけでは足りないようなら……」

 瑞俊さんは懐から財布を取り出そうとする。

「いらないわ」

 私がきっぱり断ると、瑞俊さんは懐の財布から手を離して笑みを作る。

「もしかして、君に嫌われてしまったのかな?」

「嫌いか好きかの問題ではないわ。信用できるか信用できないか、わからないからそんな人の怪しいお金は受け取れないと言っているだけよ」

 もちろん、お金があれば家の修繕だってできるし、みんなにも美味しいご飯をたくさん食べさせてあげられる。商売の元手だって必要なのはわかっている。

 

 ただ、気になったのは――。

 瑞俊さんは恩玲さんに挨拶をしていたけれど、あの礼儀正しい恩玲さんがこの人には挨拶を返さなかった。もちろん、その後二人で話をしたのでしょうけど。

 それが恩玲さんにとっていい話だったのか、そうではなかったのかわからない。

 恩玲さんは警戒するような表情だった。だから、私もこの人を信用しない。それだけよ。

 

「そうか。それは残念だ。紹介状も書いたのだけどね」

 瑞俊さんは懐からチラッと紹介状を覗かせる。

 私はグッと言葉を詰まらせた。正直に言えば、その紹介状は喉から手が出るほどほしいわよ。でも、やっぱりダメだわ。

 私は心の中で恵順にごめんねと謝る。もっと肉まんを売ってお金も儲けて、私がちゃんとした先生のいる塾に通えるように頑張るから!


「おあいにく様! 私の弟はとびきり優秀なのよ。あなたの紹介状なんて必要ないわ。それに勉強のための本なら、恩玲さんがたっくさん貸してくれたもの!」

「恩玲が? そうか……それなら、合格も夢ではないかもしれないな。だったら、私も将来有望な若者に少しばかり恩を売っておこうじゃないか」

 立ち上がった瑞俊さんは、私の方にやってくる。

「ちょ、ちょっと、何よ……」

 後ろに下がろうとする私の手を取ると、瑞俊さんはその手に紹介状を渡す。

 なかなか手を離さず、私の手首をジッと見ていた。


「…………腕輪は着けていないのか」

「あれは、高価なものだから、なくさないようにしまっているわ」

 私は彼の手を振り払って、素っ気なく答える。


「君は彼の恋人なのか?」

 いきなり聞かれて、私は「はぁ!?」と声を上げた。

「ち、違うわよ! いきなり何を聞くのよ」 

 もちろん、そうなれたらいいなって、思ったりもするけれど――。

 恩玲さんにその気があるのかどうかもわからないし、私は無理矢理振り向かせたいなんて思っていない。今までのように会いに行って、宇音先生も一緒にお茶をしたり、おしゃべりをしたりする日々で満足している。

 恋心を明かして、気まずくなればもう会いに行けないもの。恩玲さんが同じ気持ちでいてくれるかどうか、はっきりわかるまで、私はこの気持ちを秘めているつもりでいた。


 だって――。

 先輩に告白して見事に振られてしまったことを思い出すと、胸が痛くなる。それは先輩に未練があるからじゃない。同じように恩玲さんに振られてしまったら、今度こそ、私の心は粉々に砕けてしまいそうな気がするからだ。

 先輩に振られた時なんて、比べものにならないくらいに、失恋の痛手は大きそうだ。もう、立ち直れない気がする。一生、恋なんてしたくないと今度こそ本当に思うだろう。今の私は、それくらい恩玲さんのことが好きだもの。


「それは以外だな。何とも思っていない相手に、あの腕輪を贈るなんて思えない」

 瑞俊さんは顎に手をやって、考え込んでいる。

「あの腕輪は、お礼に恩玲さんがくれたのよ。義理堅い人だから……」

「あれは、恩玲の母親の形見だ」

 瑞俊さんの言葉に、私は三秒ほど無言になってから、「え?」と間抜けな声をもらした。

 あの腕輪が、恩玲さんのお母様の形見――。

「そんな大事な品、も、もらえないわよ!! 私、明日にでも返しに行かなきゃっ!」

 私は焦ってすぐに部屋を飛び出しそうになる。けれど、瑞俊さんに「待ちたまえ」と、袖を引っ張られて足を止めた。

「恩玲はその腕輪を君に贈ったんだ。だったら、それはもう君のものだよ」

「だけど、私にはそんな大切なもの……受け取る理由がないわ」

 私は困惑して自分の手首を片手で握る。

 そんな大事な品だとわかっていたら、絶対、受け取れなかった――。

 だから恩玲さんも言わなかったのかも。私が遠慮するから。

 

「理由なんて重要ではないさ。恩玲はそれを君に贈りたかった。それだけだよ。ああ、そうだ。私も彼に負けない贈り物をしようじゃないか。私の曾祖母の首飾りが蔵に眠っているからね。なんでも、呪われた黒い真珠が使われていて、身につけると無性に服を脱ぎたくなるという珍品でね。私も以前着けてみたことがあるだが……」

 にこやかに話す瑞俊さんの言葉を、「そんなもの、いりません!」と遮った。

 身につけると服を脱ぎたくなる首飾りなんて、いったい、どこのどういう場面で活用できるのよ! 

「冗談だよ。紹介状だけは、君の弟のために受け取っておきたまえ。必要になる時もくるかもしれないだろう。利用できる縁故は、持っておくものだよ」

「それなら……紹介状だけは、もらっておくわ。でも、お金は返しますからね!」

 私が言い張ると、彼は笑っていた。

 


 


 

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