没落令嬢に転生したので、饅頭売りになってみた。

春森千依

序章

(もっと、生きたかった……)


 熱にうなされ、体を起こすこともできないままぼんやりと薄暗い部屋の中を見つめる。灯りはとうに消えていた。外は嵐になっているのか、風の音が強く、瓦屋を叩く雨の音がずっと響いていた。時折、雷鳴が轟くのも聞こえる。


『梨花、こんな嵐の日はね、清明湖の龍が暴れているんだよ』


 お父様――。


 胸を押されたような苦しさに、思わず強く咳き込んで口を手で押さえた。身を丸めて何度か咳を繰り返し、大きく息を吸い込む。

 恐る恐る濡れた手を開いてみると、赤黒い血がついていた。それが指の間からこぼれ落ち、敷布を汚す。


 苦しい――。


 涙ぐんだ目をカタカタと揺れる窓の方に向ける。


『そこには、龍を祀る廟があるそうだよ。お祭りも行われるんだ』

『お父様は、行ったことはある?』

『ああ、あるさ。それはそれは賑やかなものだったよ』

『行ってみたい。梨花も、お祭り見てみたい! そこで、龍の神さまにお願いするの』

『なんて、お願いするつもりだい?』

『うーん……………お父様とお母様がずーと、幸せでありますように! それに、うんとお菓子が食べられますように!』

『はははっ、そうかそうか。じゃあ、私は、梨花がいつまでも元気で……いつか、素敵な旦那さんを見つけられるように祈ろうかな』


 お父様――。

 お母様――。


 敷布を汚れた手でつかみ、枕に濡れた頬を押しつける。


 きっと、もうそう長くは生きられない。

 自分の体のことは、自分が一番わかっている。

 体を起こすこともできない。食べることもままならず、無理矢理のように苦い薬湯を飲み干すのが精一杯だった。


 もし、もしたった一つ、願うが叶うなら。

 生き直したい――。


 ただ、死を待つだけの体ではなく。

 元気に走り回り、笑って、たくさん食べて。

 そして、いつか恋もして、誰かに愛されて。

 ありふれた人生を、もっと、生きたい――。

 

 ボロボロと涙が流れて止まらなくなり、色の薄い乾いた唇を強く噛みしめる。


 未練を残すと、幽鬼になるという。

 なら、自分もそうなるのだろうか。


 体が朽ちて、この魂だけとなれるのならば。

 自由に、どこへでも行けるのだろう。その時には、一度も行くことが叶わなかったあの龍の廟に行ってみたい。


 龍は魂を乗せて、遙か彼方にある桃源郷へと連れて行くと聞く。お父様とお母様もきっと、そこにいらっしゃるから。


 どうか、一緒に連れて行って――。


 胸の焼けるような痛さと苦しさがふと、消える。

 あれほど重かった体が、急に軽くなった気がした。

 ゆっくりと起き上がると、裸足のまま寝台を下りる。


 窓に歩み寄って両手で開くと、強く風と雨が吹き込んできたのに体は濡れもしない。外は真っ暗で、屋敷の周りの木々が大きく揺れている影だけが見えた。


 子どもの頃は、暗くなるだけで怯えていたのに。

 嵐の夜は震えていたのに。

 不思議と、何も怖いと思わなかった。

 フワッと浮き上がると、その窓から外に出ていく。


 黒い雲が渦を巻き、月の姿も光も覆い隠す中、梨花は微笑みを浮かべて、薄い寝間着のまま歩き出した。

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