ACT.3-2


 家の中でまず目に付いたのは、壊れた家具類だった。そして床に広がっている赤黒い染み。まだ赤みが強い。傭兵が死んでいた場所なのだろう。


「ここで何を調べるんだ?」


 家具の壊れ具合を見て、パーズが言った。力任せに壊された机を見ていると、本などまともに残っている気がしない。


「魔術師はね、必ず魔術用の部屋を用意するの。特に魔導具を作る魔術師はね」


 そう言ってイェルラは居間から続いている扉を片っ端から開けていった。厨房に寝室が二つあるだけの小さな家だ。寝室の一つは子供部屋だったのだろう。木で作ったおもちゃが散乱していた。もう一つはベッドがあるだけの簡素な寝室だった。どちらも居間と違って、家具が壊れた様子はない。

 ひと通り家の中を見て回ると、イェルラは外へと出ていった。


「もういいのか?」


 パーズとアートゥラが彼女の後を追いかける。

 イェルラは家の中でも石造りになっている部分へと歩いていった。居間からはこの場所へ入る扉はなかった。石の壁に沿ってイェルラは歩く。唐突に彼女の足が止まった。目の前には今までと同じなんの変哲もない石の壁。


「ここね」


 イェルラは壁に指を這わせた。


「そこに何かあんの?」


 イェルラの背後から覗きこんで、アートゥラがが言う。


「入り口よ」

「入り口ぃ? タダの壁じゃん」

「魔術で封じてあるわ」


 そう言って、イェルラは壁に指を這わしたまま、軽く目を閉じた。指先を通じて壁の一部を覆うように魔力が集まっているイメージが伝わってくる。彼女はそのイメージから魔力だけを消し去る。魔力と同時に石壁の一部が消える。

 今、イェルラの頭にあるイメージは壁に穴が空いた状態だ。人が一人通れるほどの、長方形の穴。


【我思う。汝は開いた扉なり】


 己の魔力を込めて、一定の規則性を持った抑揚で言葉を放つ。この時、声を二十に出す特殊な発声を行う。それはまるで歌というよりも重奏された音楽のようだ。声を魔力で縒り合わされた言葉は力を持った呪文となる。呪文を呼び水に、世界のようが局地的な変化を示した。

 壁を構成している石の一つ一つが動き始めた。パズルのように組み合わせを変え、壁に隙間を作る。やがてそれは広がり、人が一人通れるほどの穴をつくった。


「そこまで厳重じゃないわね」


 そう言ったイェルラの顔には少しばかりの疲労があった。魔術により世界を変えた為、その反動が術者を襲ったのだ。変化の度合いが大きく、また通常ではありえない変化であればあるほど、その反動は大きい。

 古来より魔術師は、杖などの魔導具を利用してその反動を和らげていた。魔導具に肩代わりしてもらうのだ。イェルラは杖を持ってはいなかったが、なんらかの方法により反動を抑えているのだろう。


 入り口を入ると、そこは小さな部屋だった。外からの明かりで部屋の中が見渡せるくらいの。壁際は本棚で埋まっており、真ん中には机が置いてあった。本棚はもちろん机の上にも本が積まれている。のみならず床まで本に侵食されていた。

 まるで本を積み上げて迷路を作ろうとしているようにみえる。少しでも動きやすいように狭い通路が作ってあればなおさらだ。


「まさか、この中から見つけるの?」


 アートゥラはげんなりとした様子で部屋の中を眺めた。


「まだありそうだ」


 パーズが部屋の隅を指さす。そこには本の壁に隠れるようにして、下へと続く階段があった。

 イェルラたちは本を崩さないように進み、階段へとやってくる。狭くて急な階段が暗闇の中へと続いている。


【我思う。汝は輝く氷なり】


 何もない空間に、突如小さな氷の八面体が現れた。氷はそれ自体が光を放ち、辺りを充分な光量で照らす。

 イェルラは宙に浮いた氷を先に進めて、階段を降りて行った。降りた先は階上の部屋よりも広かった。

 その部屋は床も壁も天井も、石でできていた。机や棚は置いてあったが隅に追いやられ、部屋の中はほぼ何もない空間になっていた。床の中央には魔法円が描かれている。


「へー。アンタ氷を魔力の収束に使うんだ」


 天井近くに浮かび、部屋の中を照らす光源となった氷を見つめてアートゥラは言う。

 魔術は世界のようを局地的に変えてしまう術だ。術者は自分の意識の届く範囲内の世界を認識し、そこに想像の力を持って新たな世界を認識し直す。


 その中に先程の石壁のように明確な対象がない場合、術者は自らの想像の核となるものを中心に世界を組み替える。それはこの世界に通常存在しうるものであることが多い。

 多くの魔術師は四大元素と呼ばれる地・水・火・風と、各系統から派生するものを使う。イェルラの場合は水の系統から派生した氷だ。


「魔術に詳しいのね」


 イェルラは探るような目でアートゥラを見る。魔術はその存在を認知されてはいても、実情を知る者は少ない。中には魔術を「得体の知れないもの」として気味悪がる者もいる。魔術師でなもない人間から「魔力の収束」などという言葉が出てくることはまずないと言っていい。


「まぁ、賞金稼ぎやってるとね。魔術師を相手にすることもあるし」


 アートゥラは少し慌てた様子で言った。イェルラと目を合わせないよう、部屋の中をわざとらしく見回している。


「そ、それにしてもこれはまた、いかにもって感じの部屋ねl」

「あなた、ここが何のための部屋か分かるの?」

「え? さ、さっきも言ったように魔術師を相手にしたことも……あ、あるから。そいつがこんな感じの部屋にいたのよ」


 言い繕っているようなアートゥラの様子を、イェルラは無言で見つめていた。


「……ここは工房ね。魔導具はここで作っていたはずよ」


 そう言ってイェルラはアートゥラから視線を外した。そのまま部屋の中央へと進む。魔法円を踏まないように気をつけながら観察しているようだ。


「ルードはここで儀式魔術を行おうとしてたみたいね」

「儀式魔術?」

「魔術を使えば反動がくるわ。人間の持つ力なんてたかが知れてるから、その反動に耐えられないこともあるの。大きな魔術を使おうとすれば特にね。

 でも儀式とし準備しておけば、その反動を抑えて大きな魔術も使える」


 パーズたちに背を向けたまま、イェルラは魔法円をじっと見つめていた。考え事をしているのか、腕を組んで黙り込んでしまった。


「どーすんのよ。魔導書を探すんなら早く探そうよ。上にある本の中から探すだけでもひと苦労よ」


 黙ったまま動かないイェルラに痺れを切らし、アートゥラが口を開いた。


「……いいわ」

「へ?」

「ここは、いいわ」

「なにそれ。魔導書を探さないってこと?」


 予想外のイェルラの言葉に、アートゥラは驚いた声を上げる。


「探すわよ。けど、あなたたちは手伝わなくていい。依頼は護衛だもの。魔導書の探索そのものはわたしがするわ」


 イェルラは振り向いて言う。


「……いいの、それで?」

「ええ。あなたたちには、もっと役に立ってもらうことがありそうだし」

「傭兵たちか?」


 パーズの問いかけにイェルラは頷いてみせた。


「でも傭兵は化け物退治に来たんでしょ? アタシたちにちょっかいかけてくる余裕はないんじゃない?」

「こんな小さな村だもの。邪魔をするつもりはなくても、どこかでかち合うわ。今日みたいにね」

「あんたは自分の事件と化け物が、関係あると睨んでるんだな?」


 パーズの言葉を、イェルラは肯定も否定もしなかった。ただ見つめるのみだ。


「あれ? 今度は否定しないのね。さっきアンタ、仲間を殺したのは化け物じゃないって言ってたのに」

「今でもそう思ってるわ。でも情報の少ない現時点で決めつけてしまうのは愚かよ。前の三人も情報不足で遅れをとったのだから、用心にこしたことはないってこと」

「俺たちは用心の一つというわけか」

「あら不満?」


 挑発的なもの言いで、イェルラはパーズを見る。


「いいや。俺たちはあんたに雇われたんだ。従うさ」


 対するパーズも強い視線で見返した。


「……魔術に関してなら、たとえ奇襲されようともわたし一人でなんとでもなるわ。でもそれ以外のところで手を打たれると、遅れをとるかもしれない。例えば、あの傭兵たちを利用されたりね。あなたたちには期待しているのよ」


 そう言って、イェルラは二人を交互に見た。


「〝左利き〟のパーズに期待……の間違いじゃないの?」アートゥラの声に嫌みが混じる。「けどまぁいいわ。こんな辛気くさいところにこもってるより、外で見回りしてた方がずっと楽だもの。さっそくお仕事お仕事」


 アートゥラは早々に地下室を後にする。

 パーズは呆れた様子で、アートゥラを見ていた。そして彼女の姿が完全に見えなくなるとイェルラに向かって訊く。


「勝手に出て行ったが、いいのか?」

「いいわ。少なくとも、今のところは化け物も〝何か〟も襲ってくる気配はないもの。それに――」イェルラはそこで一旦言葉を止める。「少し動き回ってくれた方が牽制になるわ」

「そして敵を誘い出す餌にもなる」

「…………」


 パーズの言葉にイェルラは答えない。意味ありげな笑みを浮かべてみせるのみだ。


「いいさ乗ってやるよ。ただし俺の好きに動かせてもらう」


 それだけ言うと、パーズはイェルラに背を向けた。


「〝一ッ目〟を探すの?」


 イェルラはパーズの後ろ姿に問うた。パーズの足が止まる。


「……俺の目的は〝一ッ目〟だ」振り向くことなくパーズは言う。

「真理の探究者にして超一流の魔術師。その力は魔導院の長老たちに匹敵する。なのに目撃者はほとんどいない。ただ隻眼とだけ伝えられてる謎の多い魔術師。

 どんな因縁があるのか知らないけど、ずいぶんとご執心ね。〝一ッ目〟が賞金首でないのが残念でしょ?」

「だがギルドにいれば、情報が入ってくる。今回みたいにな」

「それが、ギルドに入って賞金稼ぎをしている理由?」

「俺は〝一ッ目〟を探し出して……殺す」


 パーズの左手に力がこもる。黒い籠手で覆われた左腕。魔術の光に照らし出されたパーズの影に左腕はなかった。


「その奇妙な左腕と関係があるのね?」


 イェルラはパーズの影を見て、それから背中へと視線を移す。


「…………」


 今度はパーズが黙る番だった。


「無理に答えなくていいわ。あなたがちゃんと仕事をしてくれさえすれば。それ以外に興味はないから」


 まるでその言葉が合図であったかのように、パーズは再び歩き始めた。


「そうそう、そこまで〝一ッ目〟にこだわるのなら、一つ忠告をあげる」


 今度はパーズの足は止まらない。だが、イェルラには彼が自分の言葉を聞いているという確信があった。


「もし本当にこの村に〝一ッ目〟がいるのなら、唯一接触した人間はルードよ。そしてルードと一番親しかったのは、おそらくあの姉弟ね。あの二人は何も知らないかもしれない。けど〝一ッ目〟と繋がる糸の一本であるのは間違いないわ」


 最後までパーズは足を止めることなく、無言のまま去って行った。イェルラはパーズの姿が消えると、微かにため息をついた。


「自分が嫌な性格なのは自覚してるつもりだけど、あんまりいい気分じゃないわね」


 気分を切り替えるように頭をひと振りすると、イェルラは部屋の中央に目を向けた。

 魔法円の外周にそって部屋を一周する。その際、踊りのステップでも踏むような歩法で歩いてみせる。一定の法則をもった歩みは、なにかを計っているようにみえた。


「大きさは七六八ケセド。階位は第三。使用された秘紋の数は五。魔導具を作るにしては大がかりね」


 秘紋とは異界からもたらされた文字と言われている。三十二文字ある秘紋は、そのひと文字ひと文字が力を秘めている。文字の組み合わせと配列により、呪文を用いるより遙かに強力な魔術を行使できる。

 目の前の魔法円には秘紋の他に、儀式魔術を行う上で決まり事となる文言が古代文字で緻密に書かれていた。


「解析してみないと確実なことは言えないけど、魔導書に書かれている儀式魔術を行使したと見るのが妥当ね。盗むだけで満足してくれればよかったのに」

 誰にともなくイェルラは呟いた。自らを抱きしめるように腕を交差させ、顎の先を右手で覆う。


「化け物と無関係……とはいかないかもしれない」


 やっかいなことをしてくれたわね。続く言葉はイェルラの心の中で呟かれた。

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