宇宙お掃除黎明記

光源太郎

第1話

20XX年に始まった東ヨーロッパの戦争は、その3年後の20XX年12月、帝政ロシアの崩壊によって幕を閉じた。

しかし、この戦争で失われたものは計り知れなかった。人類の宇宙への橋頭堡、国際宇宙ステーションは宇宙ごみ、スペースデブリとなって今も地球の周りを回っている。


開戦当初は、圧倒的な軍事力と速攻の電撃作戦にて東ヨーロッパ連合国東部を制圧したロシア軍だったが、想定を上回る抵抗を受け苦戦を強いられた。

破壊した東EU国の通信網は北アメリカ合衆国の援助とスペースクロス社が提供するスターリンクド全地球通信システムによって早期に復旧、さらに隣国西ヨーロッパ連邦の軍事支援によって開戦前の国境線まで国土奪還に成功するにいたった。


この不毛な戦争ももう終わると思ったさなか、赤帝ロシア軍はこの先産まれくる全ての人類への負債を負わせる作戦を敢行した。


それは対衛星ミサイルによる無差別な衛星の破壊だった。


この衛星への攻撃により、軍民のGPSやカメラ、レーダー衛星はもちろん、スターリンクドシステムも破壊された。


そして、この攻撃により宇宙ステーションクルー7人と、航空機の墜落、誘導ミサイルの誤誘導、交通事故や商船の遭難、座礁により全世界で約一万人が犠牲になったといわれている。


遠かった宇宙が、さらに遠くなって三年の夏、日本海大学 大学院博士課程5年の普賢 沙耶香(ふげん さやか)は、今日も実験室にいた。夏の茹だるような暑さも空調の効いた通年22℃の実験室では無縁だ。実験中は肩甲骨までかかる長い黒髪は、後ろで纏められ、あらわになった白いうなじが今夏の実験漬けの日々を象徴していた。今は、ステンレス製の厳ついグローブボックスに手を突っ込み定量ピペットを用いてサンプルを小分けにしている。グローブボックスの中は高純度窒素で置換され露点マイナス75℃環境、小分けにしているのは金色をした液体金属。それは単体のセシウム133だ。原発事故では、放射性同位体のセシウム137が注目されたが、133は非放射性である。ただ、セシウムは活性の高いアルカリ金属なので取り扱いは容易ではなかった。周期表の一番左の一列にある水素を除く一族元素を総じてアルカリ金属と呼ぶが、これらは共通して水や酸素と反応する。そのアルカリ金属の中でも特にセシウムは活性が高く、グローブボックスの外で扱えば文字通り火を噴くのだ。そんな危なっかしい物質を取り扱う彼女の研究テーマは、アルカリ金属の内包炭素同位体生成についてだ。


内包炭素同位体とは、炭素のみで構成された球状分子フラーレンのなかに他の原子や分子を閉じ込めたものである。その閉じ込める原子をアルカリ金属原子にしたものを生成する研究が沙耶香のテーマだった。


すでに沙耶香は、パプリックのそれなりに権威のあるところに論文を5本も出しており、博士論文もほぼ完成して教授からはお墨付きをもらっていた。


そして驚くべきことにそれは2年前のことだった。というのも彼女こそが、セシウム133単原子内包フラーレンの生成に世界で初めて成功した天才リケジョだからであった。

単位さえあれば博士課程修了が満たせるが、学内規定で履修できる単位が大学院に5年在籍しないと取れないように組まれていることもあり、今日も実験をしていた。


今は何をしているのかというと、セシウム内包フラーレンを工業的に大量生産する製法にかかる試験の準備だった。セシウム内包フラーレンは、高いポテンシャルを秘めている。セシウムは、原子時計や光電管、NMRなどに利用されているが単体の反応性の高さが厄介だった。それが内包フラーレンにすることで空気中で取り扱うことができるようになったのである。沙耶香の発明は、セシウム活用の期待を大きくした。そんな偉業をなした沙耶香は、すでに大手化学メーカーに内定をもらっており、今はモラトリアムのようではあったが、施設や設備を使える現状を沙耶香自身はありがたいとも思ってもいたし、内定先からの委託研究もあって実験ライフは充実していた。


黙々と作業する沙耶香のいる実験室のドアを誰かがコンコンっとノックする。


「普賢さん、今、いいっすか?」

「あっ文殊君、入って良いけどちょっと待ってて」

「はい、失礼しまーす。」


実験室に入ってきたのは、理学研究科応用物理学専攻5年の文殊 聡志(もんじゅ さとし)だ。身長178cmのすらっとした背筋、太めの眉に黒縁の眼鏡、その奥の大きい黒目は、オタクっぽさはあるが優しそうで、ヒゲもちゃんと剃っていて爽やかな印象の青年だ。


「いつものセシウム、また100g貰えますか?」

「良いよ、ちょい準備するねー」


聡志が貰いにきたのは、セシウム入りフラーレンだった。沙耶香は作業が終わったのでグローブから手を抜き慣れた手つきでグローブ穴の蓋をしめた。グロースボックスの中はセシウムの融点より僅かに高い気温30℃というのもあり、手は汗でビショビショになっていた。

水道で手を洗いながら沙耶香が聡志に言う。

「今日もこれから実験?容器に移すから少し待ってて」

「まだ、先生が光軸のアライメント中だから全然急がなくて大丈夫だよ」

沙耶香は洗浄されたビーカーを電子天秤にのせ、注文の品を100g計り入れた。


「はい、ご注文の品です。こちら53万円になりまーす」


ハンバーガー屋の店員顔負けのスマイルで沙耶香が聡志にビーカーを渡した。


「たっかい、イラン産天然キャビアかな?」


聡志は、変わった例えで応えた。


「イラン産キャビアの値段は知らないけど、材料費だけの値段だからね。商品にしたらもっとするんじゃないかなー。まっ、今は無償ですけどね」


「おぉ沙耶香様、ほとけ様、ありがとうございます。今日こそ良い結果出る気がします。ま、成功したら報告させていただきますんで、それじゃ!」


そう仰々しいお礼を言って、聡志は実験室を出て行った。


同じ理学研究科でも専攻が異なる聡志が化学専攻である沙耶香のところに訪ねた理由がこのセシウム入りフラーレンだった。この物質は彼にとって魔法の粉だった。


彼が所属する近藤研究室は、ある目的のための超高出力レーザの開発をしている。それは、レーザ照射によるスペースデブリの除去だ。


高度1000km以内にあるスペースデブリの数は、戦争終結から5年経過した今も増え続けていた。


ケスラーシンドローム。


スペースデブリの衝突で破壊された軌道上の衛星などの人工物がデブリとなり、それがまた別の人工物にあたりデブリを増やす。

これが連鎖的に起きることでスペースデブリが増殖を続ける現象が、ロシアのICBMをもとに作られた衛星破壊兵器により引き起こされたのだ。


その結果、高度1000km以下の低軌道帯は今や大小様々な無数のデブリに閉ざされ、人類は宇宙を見上げることしかできなくなっていた。


セシウムフラーレンを受け取った聡志は、沙耶香とは別棟の自分達の実験室のドアをノックをして、外から声をかける。


「先生、セシウム貰ってきました」

「ちょっと待って、レーザーとめる。はい、良いよー」


レーザー光は、出力がミリワットでも目に入れば失明する危険がある。実験中の入室はドアノック必須だ。

聡志は入室すると靴を脱いで上履きに履き替え近藤にビーカーを渡した。


「ありがとう、それではディーパル発振実験の準備はじめましょう。文殊君、ヒーターの電源いれてくれ、私はこいつの充てん作業をする、あ、あと実験ノート書いて。」


聡志がヒーターのプラグをコンセントに差してモニターしてる温度勾配が上向くのを確認してから、ノートに実験の開始と時間を記入する。


これから始める実験は、セシウムを利得媒質とする半導体レーザ励起アルカリ金属蒸気レーザ(Diode Pomped Alkali Laser)通称DPALの発振実験だ。


このレーザは、次世代のメガワット級出力を得られるレーザと言われている。


ヒーターが温まるまでの間に、高出力レーザの歴史を少しだけ振り返る。


そもそも高出力レーザーの用途は、たいていミサイル防衛用である。北アメリカ合衆国は、20世紀後半から21世紀初頭にかけてミサイル防衛用の化学ヨウ素酸素レーザという化学反応を利用したレーザでメガワットを実現した。しかも、そいつを飛行機に乗せてちゃんとミサイルを撃墜するデモまでやってのけたのだ。これは、手元にある便利な板でエアボーンレーザと検索した知識だ。


しかし、このレーザは、劇物のヨウ素に、毒ガスの塩素、挙げ句の果てにすぐ爆発する過酸化水素を原料とする取り扱い注意なめちゃくちゃ危険なレーザだった。結局、北米軍は、その扱いにくさを理由に研究をやめてしまったのだった。


それから時は流れて、固体レーザの時代がやってきた。その代表格はやはりファイバーレーザだろう。しかし、ファイバーレーザはシングルモード発振における理論的な出力の限界値が存在する。

それは、たったの約40数キロワットだ。


世界の最先端をいくHOF社は、どう言う理屈か数100キロワットでシングルモードという製品を発表してるが、いまだ縦横シングルモードなメガワット級ファイバレーザはでてきていない。


その大きな原因の一つが熱的な課題のためだ。非線形効果などもあるが、固体レーザのわかりやすい欠点として熱についてだけ解説する。


レーザ発振器内部のビームが通る場所に発生する空間的熱勾配は、屈折率となってレーザの形を歪める。これを熱レンズ効果という。

こいつは、ビーム品質を悪化させる。

ビーム品質の重要性をざっくりいうと、品質の悪いビームは遠くの目標にレンズで細く絞る事が出来ない。細くないビームは、エネルギー密度が疎になるので、焼くのに時間がかかるわけだ。

ミサイルもスペースデブリも遠いので、ビーム品質が悪いとレーザを追尾しながは当て続ける時間が長くなり、例えば地平線から現れてから遮られるまでずっと照射しても何も影響があたえられないかもしれないのだ。

これらの目標物は音速の何倍も速く移動しているので、レーザを当てていられる時間はそんなに長く無い。


では、この熱の問題を解決するにはどうすればよいか。


それはレーザ媒質を冷却することだ。


一般論だが、固体を冷ますのは大変だが、流体だったら冷却はそこまで難しくない。


流体のレーザには、炭酸ガスレーザやエキシマレーザなどいろいろ種類がある。これらは総じて、ビーム品質が優れているが、それは、ガス媒質のため循環冷却や媒質ガスを使い捨てにし、そもそも熱を溜めないことで熱レンズ効果を抑制できるからだ。

しかし、励起方式は大抵アーク放電のため、正味のエネルギー変換効率が低い。


一方、固体レーザは現在半導体レーザによる光励起が主流で、そもそも半導体レーザが電気-光変換効率が高く、さらに4準位の固体レーザへの励起における光-光変換効率は非常に高いため、正味のエネルギー変換効率がガスレーザより優れている。


それぞれ、一長一短あるなかで、私たち近藤研がDPALを次世代レーザに位置付けている理由がそこにある。


それは、DPALがガスレーザというか、狭義には金属蒸気レーザなのだが、固体レーザと同じ光励起だからだ。つまりDPALは、ガスレーザと固体レーザの両方のメリットをもっているのだ。


しかし、良いことばかりではないのが現実だ。かなりクリティカルな欠点がある。

それは、レーザ媒質がアルカリ金属だということだった。単体のアルカリ金属は、かなり活性なのだ。空気に触れると酸素や水と激しく反応する。反応して仕舞えば、媒質として機能しないし、反応生成物がレーザ窓を汚すのだ。


ところが、沙耶香の発明がそれを解決した。


内包フラーレンにすることで、本来なら不活性ガスで置換されたグローブボックスのような環境でしか扱えなかったセシウムを大気中で取り扱える。

しかも、バッファガスに含まれる炭化水素や分解した水素分子がいても反応しないのだ。そして、内包フラーレン自体はセシウムのD線、つまりポンプ光波長852nmにも、発振波長895nmにも透明という奇跡の物質だったのだ。まさに魔法の粉というわけだ。


そろそろ装置温度が平衡になる。発振の時がきたのだ。


「文殊くん、メガネオッケー?」

「先生いつでもオッケーっす」


「それじゃ、メガネ良し、光路よし、測定器よし、冷却装置オン、オールグリーン、ポンプ光発振」

近藤が、装置のスイッチをいれる。


「発振確認、自動アライメント開始、出力安定、おお!伸びる伸びる最高出力更新!今夜はお祝いだー!」


「先生、やりましたねっ!」


この日、国内最大出力を叩き出したのだった。


そして3年の月日が流れた。


沙耶香は、砂山産業(さやまさんぎょう)の化成品開発部門にいた。


「沙耶香さん、マル防の高坂さんからお電話です。5番です。」


「お待たせしました、開発の普賢です。いつもお世話になっております。」

沙耶香が電話に出ると、防衛装備庁電子装備研究所の新見 孝子(にいみ たかこ)からで、来週火曜日に飯岡に来てほしいと言う内容だった。


新大阪を出発した東京行きの新幹線で、沙耶香は相棒であるラップトップを操作して今日のプレゼン資料の確認と手直しをしていた。


今日の飯岡出張だが、先週の新見の電話はいつもと様子が違っていた。セシウム内包フラーレンについてのレクチャーをしてくれということだったが、目的もレク対象も情報なし、聞いても教えられないの一点張りだった。そんなことは今まで一度もないことだった。


「はぁ、いったい何がまってるんだろぅ」


着けばわかるのだろうが、なんとも不安な前途にため息がもれた。新幹線はそろそろ沼津のあたり、窓の外を見るとちょうど富士山が正面に見えるくらいのところなのだが、あいにくの曇り空で見ることができず、手前の愛鷹山のグレートーンの緑が今の気分を映してるようだった。


ラップトップをしまって程よく溶けたカチカチのバニラアイスを食べて気分をあげたあと、スマホでニュースのタイムラインを見る。


インドの衛星打ち上げのニュースが目に止まる。結果は今回も失敗だった。


インドはすでにICBMの開発は当然として、赤朝鮮と違って軌道にのせることも含めて十分出来る技術がある。


今回も観測できる数十センチのデブリがいないところを目掛けて発射したが、数センチの悪魔に食い殺されたということらしい。


インド以外にもロケットの打ち上げに挑む国はあるが、戦後成功した国はない。スペースクロス社ののリーヅモ・スガオさえロケット事業を凍結した。


この記事のコメント欄にも沢山の、『ゴミを増やすな』、『これ以上宙(そら)を汚すな』の書き込みがあり、その世論は先進国の宇宙開発を萎縮させていた。


アイスで一度は復活した気分がニュースでまた下がった。


「聡志くん、元気かなぁ」

ふと大学の旧友を思い出した。


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著者の科学知識は間違いを多分に含んでいます。フラーレン、恐らく赤外線透過しないし、何ならすすでレーザー窓汚すと思う。



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