21.マザコン夫妻になりましょう


 一足先に入籍、結婚をした姉から電話があった。


『三ヶ月だってさ』

「え、妊娠ってこと!?」

『そう……。ここんとこ調子悪くてさ。もしやと思って大事を取って操縦しなくていい業務にしてたんだよ。ビンゴでさ。心路がテンパってる』

「うわ、おめでとう!! 私、叔母ちゃんになるんだ!」

『それで、まずは柚希に相談しておこうとおもってさ。実は……』


 さすがの姉も悪阻の兆候が出てきたとのことで元気がなかった。

 姉の相談とやらを聞いていたら――。


「え、こっちで一緒にしばらく住むってこと?」

『うん。心路と結婚した時に話して相談していたんだ。まあ、私、ヘリパイだから、いわゆるきちんとした計画妊娠をしようと心路と決めていたんだよね』


 ヘリコプターパイロットだから、機体搭乗勤務中に体調不良や女性身体的負担をかけないよう『妊活の期間を定める』ようにしていたとのこと。その期間中に見事に妊娠をしたと百花姉が教えてくれる。


『それで。私が妊娠したら産休育休は、このまえも柚希と父さんと芹菜ママが許可してくれたように、札幌で過ごせるようにと、これまた計画的に心路も私も真駒内への転属願いだしていたんで、それがこの夏に許可されそうなんだ。心路は真駒内にいる間に、冬季限定で行われる冬季遊撃レンジャー教程を受けようってことになってね。上もOKしてくれたんだ。部署はまだ言えないけど。ほぼほぼ決定で家族にも伝えていい段階になったから。夏には転居する予定。しばらく二世帯同居になるけど、よろしく』

「ううん、ぜんぜんいいよ。むしろ、またお姉ちゃんと暮らせるの嬉しい! 私、いっぱいお手伝いするから!」


『助かるよ……。心路もさ、家事ができる柚希と芹菜ママがいるほうが、自分も教程に集中できるから助かるって言ってるんだ……。じゃあ……私から父さんにも連絡するけれど。柚希は広海君と芹菜ママに報告してくれるかな』

「わかった! レンジャー!! お姉ちゃん、身体第一だよ。自分でなんでもしようとしないでよ。なんなら、私、仕事休んで習志野まで行ってもいいよ!」


 妹の勢いに姉もさすがにおののきながらも『大丈夫だから』という笑い声が聞こえてきた。


 姉との通話を終え、柚希は俄然燃えた。

 この家に、赤ちゃんがやってきますよ!!

 鼻息荒く、柚希は二階のベッドルームから一階のリビングへと降りる。


 初夏のたくさんの光を吸い込んでいる明るいリビング。庭から優しい風が入り込んできて、そこからほのかに百合の香りが入ってきている。

 柚希は開いている窓から庭を覗く。


 白髪の女性がスコップ片手に花壇に座り込んでいる後ろ姿。


「芹菜さん! お母さん」


 白髪に綺麗に陽射しが反射して、優しい面差しのその人が膝を折り曲げ座った姿のまま振り返った。


「どうしたのユズちゃん。なにか慌ててる?」

「モモねえからいま連絡があったんですけれど、出産のために札幌に帰ってくるらしいんですよ。心路兄ちゃんと一緒に夫婦揃って転属になりそうって」

「出産……? え!?」


 もの凄く驚いた義母が、そのまま勢いよく立ち上がった。

 まだ少し引きずるような歩き方だが、せっせと庭から柚希がいるリビングの窓まで戻ってくる。


「ユズちゃん。それってモモちゃんに赤ちゃんが出来たってことでしょう」

「そうです。妊活のひとつとして、夫婦揃って真駒内勤務にしたのも、お姉ちゃんが女手がある私たちと暮らせるように、妻の産休育休期間をここで過ごせるために、だそうです。希望どおりに上官とも話がついたってことらしいですよ!」

「えーー! ということは、ユズちゃん……、もしかして……。もしかして」


 わかっているが二人揃って嬉しさに打ち震えたまま、喜びを溜めに溜めこみ、最後は柚希から弾ける。


「この家に、赤ちゃんがやってくるってことですぅ!!」

「きゃーー!! 赤ちゃん!!!!」


 ふたりで手を握り合って、思わず揃ってぴょんぴょん跳ねる。

 でも。そこで芹菜母が少し違和感を持ったのか、足をさすりながら縁側に座り込んだ。


「あ、ごめんなさい。お母さん……。私、うっかり」

「いいの、いいの。ほんと、最近、私も忘れちゃうくらいに、以前どおりに歩けるように動けるようになってきたものだから。私もうっかりよ」

「ここ、座っていてください。なにか飲み物持ってきますね」


 ガーデニング用のエプロンをしているパンツスタイルの義母を縁側に座らせ、柚希はキッチンへと向かう。


 あれから二年が経ったか。

 柚希と広海の結婚式より先に、夢の二世帯住宅が完成。

 そこに二家族、それぞれの土地に物件を売却して後、転居した。

 片側が小柳家、片側が神楽家。ひとつの扉で行き来ができるが玄関は別々の二世帯での暮らしがスタートした。


 父は片側でほぼひとり暮らしではあったが、小柳家で娘と娘の姑が作る食卓にはよく招かれ、気兼ねなくともに食事をすることも日常茶飯事。いまも変わらずに【帰るよ、うほうほメッセージ】をくれるので、忙しそうな時は父もひとりで食事を取っている。


 家族四人でのおでかけも普通になって、いまは四人で小樽ドライブによく行く。優吾おじ様に結婚のご挨拶をすると、『義姉のガラス工房とおつきあいがあるガラス工芸作家に、お祝いで作ってもらったんだ』と、すごく素敵な切子の家族グラスをお祝いにくれたのだ。山口にある工房の女性作家さんのものだった。

 素敵な雑貨が大好きな芹菜母が『これは素敵、素晴らしいお品。女性作家さんらしい女性らしさがまた素敵』と、柚希より喜んで愛用している。


 広海も変わらず、千歳お嬢様と伊万里主任と企画室で仕事をしているが、たまに細野係長について『千歳お嬢様を守るための裏方の仕事』を徐々に教え込まれているのだとか。

 大澤探偵事務所に挨拶に出向く機会があったとかで、そこで柚希の父と仕事で顔を合わせることもあったそうだ。


 広海曰く『細野さんは便宜上、係長になっているけれど。あの人、将来は千歳の秘書室の室長になる実権を約束されていて、俺はその補佐で、課長クラスになるって千歳に言われた。千歳もそろそろ企画室長から、役員クラスに身を置くらしいよ』とのことだった。


 最近は、千歳お嬢様と朋重さん、伊万里主任も、この二世帯住宅によく遊びに来る。やはり芹菜母が作り出す素敵で優しい空間に癒やされながら、美味しい食事をご馳走してくれるのが楽しみなのだそうだ。


 そこには元自衛官でレンジャー教官だった頼もしいお父さんもいるので、千歳お嬢様も朋重さんも、困った時は父に相談している一面もよくみるように。

 さらにこの家に来てからは、芹菜母がつくりだす素敵なお庭も楽しみなのだとか。


 いまは思い出深い百合が咲いている。

 家が建って、婚家と実家が寄り添っての暮らしになり、昨年の秋には無事に広海と結婚。小柳柚希になった。

 仕事も続けている。かわらずに柚希は販売部門にいるが、正社員になり本店の副店長になった寺嶋さんからの推薦で、いまは柚希がフロアリーダーに昇格となった。

 跡取り娘の千歳お嬢様が女性なので、これからは女性が働きやすい会社へとまた変貌していくだろうと予測されている。結婚された千歳お嬢様同様、柚希も既婚者であっても働ける環境も保証されるだろうと安堵して、はりきって働いている。


 それもこれも、家を守ってくる頼もしいお義母さんがいてくれるからだった。


 車椅子から卒業しようとリハビリを始め、華奢な身体を鍛え、義足をつけていまは散歩にもいけるようになった。

 まだ杖をついてのお出かけは必須だが、芹菜母はもう車椅子の母ではない。

 息子夫妻を助ける、頼もしいお母さんだ。


 暮らしも仕事も、家庭も充実していた。

 芹菜母がこだわったキッチンは、また時間を経るほどに素敵な空間へと染まっていく。

 そこで一緒に料理をすることも、柚希にはリラックスできる時間にもなっている。


 そんな自分もお気に入りになりつつあるキッチンで、あの切子グラスに冷たいお茶を注いで、柚希は縁側にいる義母へと持っていく。


 夏の白い百合の香りの中、青い空を見上げながら、義母と一緒にお茶でひと息。


「楽しみだわ。赤ちゃん。ちっちゃな靴下、編んじゃう。男の子でも女の子でも」

「広海君が赤ちゃんの時の写真も、お母さんの手作りのものでかわいらしくしていましたもんね。それでも男の子ってわかる色選びにデザインでしたから、どちらが生まれても楽しみ」

「嬉しいわ。念願の娘がふたりもできたかとおもったら、今度は赤ちゃん。やりたいこといっぱいよ。あ、勝さんはもうご存じなの?」

「姉がいまから報告すると言っていました。もうすぐかな?」


 なんて芹菜母と話し合っていたところで、柚希のスマートフォンから着信音。表示は【父 🦍】だった。


「ちょっと耳を塞いでおこうかしら」

「そうですね。レンジャーの声、おっきいですからね」


 電話に出ると案の定。


『ユズ!! モモから電話があってさ!!!! にににににんしんって、なあ、なあ、俺ってじいちゃんになるってことだよな!? しかも、ヒガシ君とこっちに転居するって転属するって、真駒内のレンジャーとか産休とか、って同居ってことだよなあ。なああ、ユズ!?』


 落ち着け。教官。さすがに精鋭のレンジャー教官も、娘と孫と祖父ちゃんとか同居となると平常心保てなかったかと、柚希は笑っていた。

 大きな声が聞こえたのか、芹菜母も隣でクスクス笑っている。


「勝さん。今夜はお祝いのご馳走つくっておきますからね!」

 柚希の耳元に当てているスマートフォンへと、芹菜母が声を張った。

『わ、芹菜さん。そこにいたんですか~』

「羨ましいですわ。ひとあし先にお祖父ちゃんになれるなんて。でも私も義理のお祖母ちゃんしてもいいですよね」


『それは、もちろんもちろん!! 助かります。百花もすっかり甘えるつもりみたいですが、お願いします!』

「はい。楽しみですね!」


 すっかり取り乱した姿を見せたことに我に返ったのか、父はそそくさと通話を切ってしまった。


「ふふ。ユズちゃん、あとでお買い物に行きましょう。勝さんがすきなもの、作りましょう」

「そうですね。あ、広海君にもメッセージしておこう」


 夫になった彼にも【モモ姉が妊娠したそうです。夏の異動で真駒内駐屯地へ、夫婦で転属決定。しばらくは二家族で暮らすことになりそうだよ】――と。


【ちょっと本店店舗を覗いて、お祝いケーキを買ってくる!】


 そんなメッセージが返ってきた。

 あー、明日は寺嶋副店長と、綾音ちゃんに『ヘリパイのお姉さんがママに!? 札幌に!? 同居!?』と色々と聞かれそうだなと柚希は、また笑みがこぼれた。





 夜のとばりが降りても、芹菜母のカサブランカは薄闇の中、白く輝いている。夜のそよ風が、また家族の食卓にも清々しい可憐な香りを運んできてくれる。


 お祖父ちゃんになることに浮かれてほろ酔いの父と、お祖母ちゃんのように、また娘の母親のように、いろいろとお手伝いをしたい芹菜母とで会話が盛り上がってやまない。


「モモちゃんと心路くんが真駒内勤務になるなら、私、一度チヌークに乗せてもらいたいわ。念願なの念願」

「どうでしょうな~。まあ、教え子の館野がいま司令部にいるので、ちょこっと聞いてみることができるかもしれないですね~」

「そうね。館野さんともまたお会いしたいわね。寿々花さんの音楽隊演奏会に招待してくださった時も、演奏も寿々花さんも素敵だったわ。拓人君もすごくかわいいの。岳人さんも素敵なデザイナーパパさんで、流行の雑貨やお料理の話で盛り上がっちゃうし」


 いつもどおり。父と芹菜母がお喋りで盛り上がる。

 これももう日常だった。


 柚希も、広海が買って帰ってきたお祝いのケーキを、デザートにとキッチンで皿に乗せる準備をいそいそとしていた。

 そこに、仕事から帰ってきたままクールビズスタイルの広海が手伝いにそばにきてくれた。


「手伝うよ」

「ありがとう。ホールケーキ、あの時間にまだ残っていたんだね」

「うん。ダメだったら、カットケーキでもいいかなと思って、すっとんでいったんだよ。千歳が羨ましがっていた。あいつも、そろそろ子供がほしいって最近言ってるんだ」

「そっか。千歳さんは結婚してそろそろ二年だもんね。やっぱり女の子が生まれるのかな」

「どうだろうな。荻野は長子相続でなぜか女児が生まれるらしいからなあ。遥万社長は久しぶりの男児長子だったらしいけれど。あ、モモ姉ちゃんと心路兄ちゃんが引っ越してきたら、また盛大なお祝いしてやろうな。いまからホールケーキを予約しておくよ。あ~、楽しみだなあ。姉夫妻とも一緒だなんて。子供が生まれたら、もっと賑やかだよな」


 どんどんと家族が増えることに、広海も嬉しさが隠しきれないようだった。


 キッチンの勝手口のドアを風通しのために開放しているが、そこからも芹菜母のカサブランカが白く光って揺れているのが見える。


 柚希がそれを見つめていると。

 広海がそっと身をかがめて囁いた。


「俺たちも、そろそろどうかな。大変すぎるかな。やっぱり羨ましいよ」

 柚希はどっきりして、すぐそばに近づいてきた夫の顔を見上げた。

「なんとか、なる、かな? お姉ちゃんとこの子と年子ぐらいで」


 どうする。私たちもそうしちゃう? とそっと笑い合う。


「家を建てる引っ越す、式を挙げるでせいいっぱいで、新婚旅行に行っていないだろ。その時、とかさ……」

「あ、優吾おじさんが紹介してくれたガラス作家さんのご実家とかいう、山陰のリゾートホテルがすっごく素敵だったじゃない。あそこなら国内だから、揃って休暇を取っても二、三泊で行けるかもと思ってるの」

「そうだな。俺もあのホテルいいなと思っていたんだ。じゃあ、来年の春とかどうかな」


 ふたりきりで――。広海がまたさらに耳元でそっと、両親に聞こえないように囁いた。


 だけれど。柚希はそっと黙り込み。ちょっと首を傾げ。


「えっと。ふたりきりで行くんだよね?」

「そうだけれど」

「なんか。寂しいな」


 広海がなんのことかわかって、がっくりそばで項垂れている。


「あ、はい。わかった。母も連れて行きましょうかね」

「いいの? なんか、『ふたりだけ』なんて、しっくりしなくて。お母さんとあれこれ、素敵かわいいってはしゃぎたいなあって」

「ふつうさ。夫の母親が新婚旅行についてくるだけで、妻は怒り出すんじゃないの。離婚案件だと聞いたこともあるんだけれど」

「え、広海君。私がお母さんを連れて行ったら離婚だと思っちゃうの」

「いやいや、俺の母だから」

「えっとー、私にもお母さんなんだよね」


 そこで柚希は気がついたのだ。


「あ、そうか。私がマザコンになっちゃっているのか!」

「そうだな。もう俺もまとめて、マザコン夫妻でいいじゃないか。わかった。母さんが『一緒に行きたい嬉しい!』と言ったら、連れて行こう!」


 百合の香りの中、ふたりはキッチンの影でそっと抱きあって笑い声を立てた。


 私たちには大事なお母さんです。だから結婚できたんです。


 片親で親と子だけのひっそりとした暮らしから。

 大家族になっていきそうな予感。

 マザコン婚にも福がある、かもしれませんよ?




今日まで恋、明日から愛

第3話 マザコン婚にも福がある(終)


※続編の予定があります。オムニバス第2話の『食べる魔女の婿取り物語』の続編が終了後に開始となります。その時はまたお知らせいたします。(連載マークのままにしておきます)


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