マザコン婚にも福がある
市來 茉莉
1.憧れ店長のマザコン疑惑
結婚条件として避けたいものは幾らかある。
そのうちのひとつが『夫となる男がマザコン』ではないだろうか。
「あー、もう失敗したわ。まさかのマザコンだったなんて!!」
この会社には小さな社員食堂がある。日替わり定食とちょっとした麺類を置いているぐらいだが、栄養バランスが整ったものを置いてくれているので、社員からは評判が良かった。
そこで同期で同僚の萌子が苛々した様子で、
柚希はお弁当持参で、萌子はいつもの日替わり定食のトレイを持ってきてテーブルに置いた。
「マザコンって……。小柳店長のこと?」
「そうだよ。出世確実でイケメンだから絶対に落とすと決めていたのに。この本社1階の本店に配属されてラッキーな境遇を手に入れて、頑張って、やっとやっとやっとデートにこぎ着けたんだよ」
小柳店長というのは、柚希が勤める道内有数の製菓会社『荻野製菓』の本社本店の責任者のことだ。
本社の一階にある本店は、荻野製菓の『本拠地・代表店舗』だ。そこの店長に据え置かれると、その手腕を試され、認められたら、すぐに本社の上階にある『経営本陣』の部署へと異動が約束され、スピード出世の足がかりになるとして有名なのだ。
そこに三十歳という若さで置かれる有望株。しかもキラッとした男前スマイル抜群で、接客もきりっと上等で物腰がよければ、女性はみんな彼に見とれてしまうほどの爽やかイケメン。さらにトラブル対応も堂々としていてそつがない。荻野製菓の未婚女性が『荻野の上層部に配属になればエリート』と見なして、狙いを定めるのだ。
その小柳店長はもうひとつ、強いカードを持っている。
将来、この製菓会社を引き継ぐだろう跡取り娘『荻野千歳』お嬢様と同期入社で親しくしていることだ。
おそらく本店店長に早々に配属されたのも、千歳お嬢様の一声『あの人できるから、はやく私の補佐にしたい』というバックアップがあったからだとも噂されている。
もしかして。千歳お嬢様の彼氏なのでは――と、囁かれた時期もあったが、そこはお嬢様かな。いつの間にか親が決めた見合いをして、これまた道内有数の水産会社の次男と婚約成立。さらに『婿入り』させることも決まっているらしい。
そこで小柳店長に好意を寄せても気にしなくていいとわかると、二十代女性、いや……少し歳上の三十代女性も含め、猛アプローチ合戦が勃発。有利なのは、毎日一緒に勤務している『本店スタッフ』たちだ。
柚希と萌子も荻野製菓に同期入社で、しばし郊外の別店舗に配属されていたが、昨年、本店勤務になり再会。それから親しくしている。
そこで萌子は、前の店でも噂になっていた『お嬢様バックアップ付き同期の若き本店店長』と一緒に働けるようになったので、昨年からあの手この手で小柳店長にアタックしていたのだ。
こまめな気遣いを見せて小柳店長に『良い子だな』と感じてもらい、念願叶い、『一度食事でもしませんか』という誘いを彼がやっと受けてくれる。大喜びだった彼女のことを、柚希も一緒に『よかったね』とお祝いして今後の展開が上手く行きますようにと応援をする飲み会までしたのは、つい二ヶ月前のことか。
あれから休暇のデートに食事を何回か重ねてきたはず?
でも恋人になったという報告は、まだもらっていなかった。
「なんでマザコンだと思ったの?」
わっぱ弁当の蓋を開け、柚希は父と一緒に作った生姜焼きを箸でつまみながら聞いてみた。
「だって。次の食事は母も一緒でいいですかって言われて」
「え。お母様に紹介してもらえるなら、もう公認にしたいってことじゃないの。結婚前提にしたいから親に会わせるっていう意味の」
「三回目で? 三回目の食事で母も一緒に? まあ食事ぐらいなら『紹介してくれるのかな』と思って受け入れてもいいよ。そのあとのドライブも『食事が終わったら、母も一緒にドライブを』って言いだしたの!」
あ、それはちょっと……と、柚希も苦笑いをこぼした。
「断ったの?」
「やんわりとね。その日は都合が悪くなったとか、次回はふたりでまた会いましょうと回避しようとしたんだけど、また『母も連れて行きます』って言うんだよ。もう限界――」
「なにか、わけがあるんじゃないの?」
「だとしたら、それがずっとつきまとうってことじゃん」
「もしかして小柳店長、母一人子一人家庭?」
萌子が『そうだよ』と素っ気なく答えた。
柚希はそこで反応ができなくなる……。
自分は父子家庭だからだ。違うのは、独立したが柚希には姉がいること。
だから、片親の子供の気持ちがうっすらと透けて見えてしまった。
でも。結婚に条件を掲げる女の子には『母一人子一人』は重くて通用しないのだろうと思って、柚希は口をつぐんだ。
「訳があったんじゃないの。一度、きちんと話あってみたら」
「ううん。もういい。フェードアウトする。次に行くよ」
「次?」
出世確実のエリート候補を諦め、次に狙う結婚相手候補がここに他にいる?
柚希は疑問に思い首を傾げたが、萌子はとんでもないことを言いだした。
「伊万里さんに行こうと思う」
「え!??」
思わず張った声が出た。
周囲でランチをしている他従業員の視線が一瞬だけこちらに向いたので、柚希は肩をすぼめて身を潜める。
我に返ったところで、柚希は萌子に問い詰める。
「伊万里さんって、社長の息子さんじゃない。千歳お嬢様の弟。あの企画室の主任の」
「そうだよ。本社本店勤務のうちに落とすんだ。だって、ここ社食にもよく出没するじゃん。チャンスはあるよね」
「あるけど! 会長のお孫さんだよ。社長の息子さんだよ。跡取りお嬢様の弟さんだよ」
「だからじゃない。荻野家の嫁になるチャンスじゃない。千歳さん、いっつも良い物着ているし、持っているし、良いお家柄だよね。それからさ、わけわからないんだけど、普通、長男が継ぐもんじゃないの」
「だから、荻野は昔から……」
「長子相続でしょ。なんでよ。あの浦和水産の次男と結婚するんだから、べつにわざわざ苦労して跡取りにならなくてもいいじゃん。千歳さんが出て行ってくれたら、伊万里さんが跡継ぎだよね。そうなるチャンスあるよね」
そこまで狙っているのかと、同期の貪欲さを初めて知って柚希は絶句。
「だからさ。もう小柳店長ごときマザコンな小物はどーでもいいの。資産家とセレブ婚を狙うわ」
「あ、そうなんだ……。うん、わかった」
直感が働く。これ、これからトラブルになるかも? ちょっと距離を置いたほうがいい案件かも?
こんな子じゃなかったと言いたい。本店に来ちゃったから?
小柳店長はまだ一般家庭出身と言えるが、伊万里主任は代々続く荻野家の子息だ。高望みと言ったら気分を害するだろうから口が裂けても言えない。
でも。この本社で伊万里主任を狙っている女性が多いのは確かだった。
しかしこちらも手強い。いつも姉と一緒にいて、近寄りがたいと言われている。
彼も姉の補佐に付けられていて、今後は経営陣になることは保証されている。セレブ婚を狙うなら伊万里となるのだろう。
なんか疲れたな。
柚希はお弁当を食べ終わり、ため息を小さく落とした。
ランチを終えて本店店舗に戻ると、また沢山のお客様との対応が待っている。
店頭での接客だけではない。地方発送の手続きなど、やることはいっぱいだ。
バックヤードから店頭に戻ろうとすると、そこに清楚な紺色のワンピーススーツを着た千歳お嬢様『荻野室長』がいた。
同期生の小柳店長となにかを話している。
「これさ、最近、動きがよくないよね。天候のせい?」
「いやあ。どうかな。最初は新商品ということで動きもよくて、商品単品としては上位売り上げを占めていたんだけどな。洋風か和風どっちつかずというところがあるかもしれない」
「飽きられてきたのかな。ちょっと再検討してみるね。なにか気がついたら教えて。それから、またギフトボックスに、このメモのお菓子を詰め合わせてくれるかな。私の個人支払いでカードを切ってよ」
「またかよ。どこに持って行っているんだよ。いちごチョコサンドのサクサクパイの数が増えているし。よほどのお得意様なんだな」
「そうなのよ~。ちょっとね、心強い女神様と知り合ったとでも言っておこうかなあ。新商品の閃きをもらいに行くの。いちごサンド多めにしてね」
大和撫子と言いたくなるような黒髪美人のお嬢様と、きりっとした男前の小柳店長が向き合っていると、ほんとうにお似合いのおふたりと言いたくなる見栄えだった。
しかも、いつも親しげで和やかに会話を交わしている。ほんとうは付き合っているのではと噂がたつのも仕方がない。
そこで、ちょうど食事から帰ってきた柚希と萌子を、小柳店長が見つける。
「
「はい。店長」
柚希はすぐに答えたが、萌子は不機嫌そうに小さく『はい』と答えただけだった。しかも小柳店長とは目を合わせずに、さっと店頭に向かってしまった。
その些細な様子も、千歳お嬢様は見逃さなかった。
「なにかあったの。太田さんって子だったよね」
「別に。なにも……」
同期生、小柳店長の顔を、千歳お嬢様がじっと窺っている。店長はあからさまに目をそらしていた。
「まあ、いいけど。女性関係は気をつけなよ」
「わかっています。お嬢様」
小柳店長が致し方ない笑みを浮かべ眼差しを伏せる。それを知った千歳お嬢様も、ちょっと心配そうなため息を吐いていた。
だが千歳お嬢様が思わぬことを言い放った。
「わかっていると思うけど。お母様をないがしろにする子はやめておきなよ」
え、お嬢様はマザコン推奨なんですか?
神楽柚希、思わぬ場面に遭遇してしまった気がした。
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