蓼の味を知りなさい
こうの
第1話 加賀先輩の一夜城
1
堕落した大学生が集まって食べるものといったら鍋と相場が決まっている。鍋が八割、焼き肉が二割だ。要は手間が掛からないものがいい。「自分が料理を」なんて殊勝なことを言いだす男がいるとしたら、それはまだ堕落しきっていない真っ当な生活を送っている人間か、もしくは実は女の子なのかのどちらかだ。言うまでもなく我々のグループには、堕落していない学生も、実は女の子な男も存在していない。残念なことに。まことに残念なことに。
そういうわけで、その日も僕たちは鍋を囲んでいた。適当に切り分けた野菜と、安い肉を放り込んだだけのくだらない鍋は、それでも我々の腹を満たしていく。酔いも回ってきて気分がよくなってきたところで、むっつりと黙り込んでいた桜井が、不意に口を開いた。
「なぜ俺はモテないんだろう」
彼の問いに、皆が一瞬だけ箸をとめた。僕たちには回答を考える必要があったのだ。むろん、言うまでもないことだが、僕たちは皆その問いに対する答えを──ずばり外見が麗しくないという反論の余地もない回答の存在を知っている。
しかし、同時に僕たちは桜井のこともよく知っている。普段は明るいくせに妙に繊細な性格、スイッチが入るとどんどん暗い方へと堕ちていくネガティブな思考回路──そして何より、長年片思いしていた相手に彼氏がいることが発覚したばかりの哀れな男であることも。
誰も公言はしなかったが、これは彼を励ますためのパーティーだったのだ。
要するに僕たちは足し算引き算で解ける問題を、高等数学を駆使して捻じ曲げた回答を捻りだす必要があった。これは中々に難問だ。
「それはお前、あれだよ。学部の問題だな」
桜井の向かいの席に座る足立が口を開いた。こういうときに足立は頼りになった。何故なら足立は僕たちのなかで唯一交際経験が豊富な男だったからだ。
「ヒエラルキーだよヒエラルキー。俺たち文学部は、文学部ってだけでモテないもんだ」
とりあえず環境の所為にしようという足立の回答には彼なりの優しさが詰まっていたが、その回答は大変まずかった。何故なら同じモテないはずの文学部である足立はその凛々しい顔立ちから普通に女の子にモテていたし、よりにもよって彼女持ちだったからだ。
桜井は、「はんっ」と、短い笑い声をあげた。彼は桜井の反応を見て、自分の失敗に気が付いたようだが、もはや手遅れだ。
彼の嘲るような態度を見て、我々は理解した。こと恋愛の話において、最も信頼のおけるアドバイサーであるはずの“彼女持ち”の意見が、今この場においては最も価値を為していないことに。逆転現象が起きているのだ。一つの失言で大暴落した足立の株価は、もはや回復する見込みはなく、彼の視線が、鍋のなかへと戻っていった。
僕たちは沈黙した。僕たちが桜井に対して強く出られないのには、理由があった。
───
──
─
僕たちが所属している「蓼食う虫」は大学の文芸サークルだ。創立たったの五年。しかも非公認なので、正確には同好会という位置づけになっている。
創立者は加賀という学生だ。
この大学には他に「春夏」という大学公認の文芸クラブがあって、加賀先輩も元はそこの部員だったのだが、わざわざ独立してもう一つ同じようなサークルを作ったのだという。
加賀先輩が「春夏」の何が気に入らなかったのかは分からない。三年生になった折に彼は独立を宣言し、ついでに「春夏」に宣戦を布告し、わざわざ亜流のサークルを立ち上げて、そして一人で活動を始めた。
僕たちがこの大学に入学したとき、加賀先輩は六年生でまだ大学の生徒だった。彼はサークルを立ち上げてから、二度留年するという身を削るような方法でサークルを存続させていた。
僕たちにとって不幸だったのはその年が加賀先輩にとって最後の一年だったことだ。加賀先輩の肝の太さに耐えきれなくなった彼の両親は、これ以上留年するなら仕送りを打ち切る、とついに宣告したらしい。
彼は自分の学歴や人生設計については恐ろしいほど無頓着だったが、何故か「蓼食う虫」の存続についてはただならないこだわりを持っていた。いうまでもないことだけれど、所属学生がいなくなればサークルは葬り去られる。「蓼食う虫」を闇に葬るという選択肢を、早々に放棄した彼は自分の跡を継ぐ生贄を探しはじめた。
あとが絶たれた大学六年生。これほど恐ろしい生物もそうはいない。
───
──
─
「なあ、文芸に興味があるのか」
入学して数日後、新歓まっさかりのシーズン頃。いろいろなサークルの出し物が揃えられている展示スペースで「春夏」の冊子を手に取っていると、いきなり知らない男に声をかけられた。
派手なシャツとサンダル。ほっそりとした姿格好に、あらゆる方向へ野放図に尖る髪、若くしてヒットを飛ばした映画監督のような雰囲気で、なんだか妙な存在感を放っている。
その大人っぽい空気から「これは只者ではない」とその時の僕は思ったのだけれど、今考えれば彼は他よりも数年長く大学生をやっている男であり、実際に大人なだけだった。
ええ少し、と僕が答えると、彼はニカっと笑った。
「うちの大学には、もう一つ文芸サークルがあるんだよ。知ってたか」
「いえまったく」
「まあ実は俺のサークルなんだが」
彼はここで、ぐいっと顔を近づけて囁くような声でいった。
「出会いを求めるなら最適だぞ」
出会い。ハーバード大学の研究結果にもあるように、その言葉は童貞に絶大的な効果がある。
その日、加賀先輩は同じ手法で集めた学生たちを引き連れて自宅のアパートに向かった。集められたのは四人の哀れな一年生だ。僕、桜井、伊東、足立。出会いがあるという話のわりに、集まったのは当然のように全員男だった。
加賀先輩は狭い一室に僕たちを連れ込むと、卑劣なことに未成年相手にお酒をふるまった。僕らの気分がよくなってくると街に連れ出して、女の子を呼ぶという。チェーン店の居酒屋で加賀先輩の友人の皆さんと飲みながら、僕らは「これが大学生か」と思った。
彼も伊達に五年長く生きているわけではない。「サークルの長の権力」という幻想を埋め込まれた僕たちは、見事に丸め込まれた。
「お前たちが女の子を勧誘すればいいじゃないか」
加賀先輩は不敵に笑いながら言った。
「来年からはお前たちが主役だ。何だってしたい放題、やりたい放題だぞ」
やりたい放題。ハーバード大学の研究結果にもあるように、その言葉は童貞に絶大的な効果がある。
───
──
─
僕たちが入部したことで後顧の憂いを綺麗さっぱり解消した加賀先輩は、その年の夏に無事学校を中退した。一度地元に帰って人生を立て直すのだという。六年かけて崩しに崩した人生が立ちなおるかどうかは分からなかったが、僕たちはこの偉大なる指導者を少し寂しい気持ちで見送った。少なくとも、その時は。
僕たちは精力的に活動した。いうまでもなく新入部員(女の子)を集めるためだ。しかし、その年、新入りは現れなかった。女の子どころか男すら来ない。そして、その次の年もまた新たな人員は現れなかった。気がつけば、もうまもなく僕たちは三年生になろうとしており、彼に騙されたことにようやく気が付いたのだった。
四年生になれば就職やその他諸々があるので、サークル活動はまともに行えないだろう。つまり、僕たちは残されたのは三年生の一年だけだった。
僕たちは三カ月に一度、無料で配布していた「蓼食う虫も好き好き」を、新年からは毎月発行する方針を打ち立てた。これは小説やらコラムやらポエムやらを詰め込んだ文芸冊子で、四人で毎月作るのは中々骨が折れるものだ。僕たちは揃いも揃って怠け者だったし、創作意欲には波があった。それでも頑張ることにしたのは、最後の一年間を使って己の可能性に挑戦してみたかったから、というのは嘘で、ひとえに女の子の新入部員が欲しかったからだ。
僕たちは大いに奮ったが、しかし、おそらくその欲が前面に出過ぎていたのだと思う。気合を入れて発行した一月号の感想箱に、こんな感想が送られていた。
「童貞って感じできついです」
便箋にはその強烈な一行と、女性っぽい柔らかなタッチで描かれた手書きの猫の絵が添えられていた。おそらくその辛辣な感想を中和するために描いたのだと思うけれど、全く効果がなかったといえる。
このたった一行の文章に僕たちは悶絶した。誰一人この言葉に反論できなかったのだ。何故なら僕たちは足立以外はみんな童貞だったし、足立は文学部の文芸サークル部員のくせに絵しか描かない男だった。
要するに、現在の「蓼食う虫も好き好き」は童貞作者のみで構成されていることになる。童貞の文芸は女の子に受けない。ここに至り、女の子の新入部員が入ってこなかった理由を僕たちはついに理解したのだ。
「許せない」
この意見が正論であると認めつつ、それはそれとして僕たちは憤慨した。世の中には童貞のほうがいいという女の子もおるんじゃ。これほどの屈辱を受けながら、泣き寝入りするわけにはいかない。この感想を書いた女性(おそらく)を見返すことが当面の目標として定められた。
彼女を見返すにはどうしたらいいか。文章力をつける、よりよい話を書けるよう鍛える、etc。様々な案が提案され、僕たちは検討に検討を重ね、最後にはシンプルな解決法に至った。
「脱童貞」だ。
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