5-6 焼き菓子、レモネードあり〼
「お待たせしましたー。柚子ジャムのジャムクッキーとチョコチップ入りドロップクッキーのできあがりでーす! よかったらレモネードもどうぞー」
瑛梨が台所の隣にある、談話スペースという名の広間に向かって宣伝する。広間を横切った先に廊下と階段があり、そちらで待ち構えていた女子生徒たちが入ってくる。事前に、「飲み物あります。飲みたい方はコップを持参してきてください」と言っておいたので各々自前のコップやマグカップ、湯呑みを持ってきている。こうした小物は私物が少ない寮生活での数少ない自己表現の方法である。いつの間にか端に畳まれて置いてあったはずの長机がセッティングされている。
「瑛梨、チュイールの様子を見てくるから、大皿に盛って、運んでくれる?」
「わかった」
瑛梨がケーキクーラーに載せていたクッキーを大皿に分け始めると、吾妻と花井と鷹川で近寄ってきた。「手伝うわ。沢山つくったわねぇ」「こちらのレモネードも長机に持っていけばいいのかしら?」「お〜い〜し〜そ〜」キャッキャッと盛り上がりながら手伝ってくれる。
天板から外したチュイールの粗熱が取れてきたので、包丁でまっすぐに切り分ける。
長机の方から乾杯の音頭が聞こえてきた。大袈裟な。
「はーい、アーモンドスライスのチュイールもできましたよー。今は少し柔らかいですけど、完全に冷めたパリッとした食感もいいですよ」
「えーー! まだ追加があるの!」
「最高!」
「もう毎週つくりにきて!」
賑やかさが増す。甘いお菓子はそれだけ貴重品なのだ。
里見がもう脱いでもいいか、と割烹着と椿柄の手ぬぐいを外す。すると、「キャー! 何で!?」と悲鳴が上がり、台所と広間をつなぐカウンター越しに不躾にも指でさされる。里見が振り返ると、櫻子が里見に向かって人差し指を突き付けていた。櫻子の背後には、こちらも驚愕した顔の春菜がいる。
「ちょっと! 異性の寮には入らないって決まりを知らないの?! 叩き出すわよ!」
「君が例の…。ちゃんと男子寮と女子寮両方の寮長の許可は取ってるよ」
レシピの3倍の量で調理していた理由は、女子寮全体に手づくりお菓子を提供するためだった。異性(里見)が女子寮に入ること、女子寮内の設備を使用することの交換条件がこれだったのだ。材料まで自前で用意してきたのは、三百子姉妹が消費した量が多すぎたことと、若松家が関わっている有明牧場と雨夜農園で生産された品質が保証できる材料を使いたかったからだが。
櫻子の口撃は止まらない。
「はあ?? そんなにしてまで女子寮に入りたかったの? きもちわ…」
バシンッッ!!!!
木製のカウンターを拳で力いっぱい叩いた音が響く。カウンター上に置かれていた
一触即発の空気の中、「今のはそっちの一年が悪い」という声が聞こえてきた。誰が言ったのかと、その場の人々の注目が発言者へ向く。ぼんやりしたようにも、冷めたようにも見えるタレ目の、周りより身長が頭半分程高い人が発言者らしい。
「嫌なら部屋帰んなって。あ、お菓子置いてけよ〜」
あたしが食うから、と言ってぬっと手を伸ばし、櫻子の手からクッキーを摘んで食べた。背が高いというより、手足が長い体型をしている。非難したが、全く敵意も悪意も抱いていない、言わば「どーでもいい」という態度で近寄られた櫻子がびくつく。
彼女の態度は一部の気持ちを代表するようなものだった。一部とは、躾になってない犬のような一年生なんて知るか、と考えている人たち。女子寮の全員が間違っていることは教えてあげよう、と考える親切な性格をしている訳はないのだ。
櫻子のクッキーを奪っていった先輩は、壁に背を預けてダラっと寄りかかる。もう何も言う気はないらしい。すると今度は別の人、蒼羽子が櫻子に向かって嫌味をぶつける。
「全く、こんな礼儀がなってない人が同級生だなんて。明日から顔を上げて歩けませんわ。恥ずかしくって」
ある意味慣れた相手が出てきて、おかしなことだがホッとした櫻子。だが、蒼羽子の態度はいつも通りとは違った。
「男性だから、と毛嫌いする前に水嶋くんの手際を見習いなさいな。貴女たちの半分しかボウルを使わないで調理してましたわ。あの完成度に並ぶ品をつくりなさいとは言わないけど、学ぶとこは多かったでしょう?」
蒼羽子が呆れたようにため息を吐きながら言う。いつもの傲慢そうな態度ではなく、嘆かわしくて気の毒な人ね、という声が聞こえるような言い方だ。見下している感じが強い。
「とにかく、男の人のつくった手づくりお菓子なんて食べる気にならないわ! 私わね、偉そうに指図する男も嫌いだけど、料理なんてする女々しい男も嫌い!」
「じゃあ貴女、男性が店主のお店では絶対にお食事はしないのね。あら? そういえばこの学校の食堂でも男性の調理員さんがいませんでしたっけ?」
「えっ。いやっ、そ、それは… …」
「櫻ちゃんは家庭料理をする男性が嫌ってことで、職業としての料理人は違うのよ。ねっ?」
苦しい言い訳だなあ、という感想を口喧嘩を聞いていた周りの人たちが抱く。こういう二律背反な発言をしていると、どんどん信用を失っていくというのに。
「… …のくせに」櫻子が小さく何かを言ったような気がしたが、周りは上手く聞き取れなかった。
「どうする? 私も加勢してこようか?」
「怒りを鎮めて。瑛梨ってば次は直接攻撃する気でしょ。追い詰め過ぎはよくないよ」
右手をそっと、瑛梨のカウンターの上に乗せられた手に重ねる。押さえつける強さではなく、じっと体温を共有するように重ねる。
小さく何か言って以降、口を噤んでしまった櫻子の周りを避けるようにして人の動きが再開すると、いつの間にか櫻子も春菜も姿を消してしまっていた。
「はあ、今日は里見と楽しい時間を過ごして『結びつき』の補修をしようと思っていたのに。最後の最後で…」
「俺も最近ずっと、どっか欠けてるような気持ちだった。俺たち、まだまだ独り立ちは遠いみたいだね」
瑛梨も同じ気持ちだったんだ。里見は編集長に言われた『お互いがお互いの、欠くことのできないパーツ』という言葉を思い出した。
そして、自分がやりたいと思ったことを取りこぼさないようにしたいと思いが湧いてきた。誰かの手伝いや仕事が嫌いなわけじゃないけど、もし、オーバーワークを続けて楽しく取り組めなくなってしまったらとても悲しい。忍耐力があることとストレス解消が下手なことは、一見よく似ている。
今のところ、里見にとって一番のストレス解消方法は瑛梨である。
「ねえ瑛梨、来週の休みに三日月館に行かない?」
「いいね! じゃあ、… … … …」
※※※※
「あれ? 遠征中だっていう先輩方用に、こっちの皿に分けておいたクッキー知らない?」
「えっ、間違えて出してしまったかも…」
「何なに? どうかしたのかしら?」
あちゃー、しまった、と顔を見合わせる2人。取り分け用のクッキーを出してしまったと説明する。女子寮長にも、どうしましょうか? と相談すると、たまたま今日遠征に出てしまった人には悪いが仕方がない、ということになった。
※※※※
「藍蘭先輩! これ、試験勉強を教えてもらったお礼です」
「わあ! クッキーだ! 包み紙も可愛いね。女子って感じ」
「練習に時間がかかってしまって…。お待たして、ごめんなさい。
このジャムクッキー、橙色が藍蘭先輩の明るい茶色の目の色に似てると思うんです。綺麗ですよね」
「可愛い発想だなあ。うんうん、年頃の女の子っこうじゃなくちゃ」
「藤崎先輩! これ、試験勉強を教えてもらったお礼です」
「随分待ったよ。もう忘れたことにする気なのかと思った」
「もうっ、そんな意地悪言う人にはあげるの止めますよ。
ドロップクッキーっていう洋菓子です。小さく砕いたチョコレートが入ってるんですよ。こういう素朴なの、藤崎先輩がお好きかどうかわからなかったんですけど…」
「…へえ。手づくりなのか。… …味も悪くないね」
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