5-4 女子寮の不満

 春菜たちが女子寮で苦情を申し立てられた、と瑛梨が里見に言った。

 最近この2人に『三百子姉妹みもこしまい』というあだ名(伝統的な方とは違う。普通の悪評)がついた。「触り三百」ということわざから取られている。「触り三百」とは、ちょっと関わったばかりに、思いもかけない損害を受けることのたとえ。うっかり口を出すろくなことがなく三百文の損をする、との意からきている。

 わかりましたすみませんでした、と言ってたのに理解も反省もしてなかったりするので精神的に疲れるし、変に食い下がってくるときがあったりして赤線デッドラインがどこにあるのかわかりにくい。そうなのだとわかっているけど誰かが注意しないといけないので、寮長や学級委員などの役職付きが腹を括って言いにいく。

 今回、三百子姉妹が何をしたかというと女子寮の台所占領である。

 男子寮も女子寮も、帝都の一般家庭よりちょっと広めの台所がある。おまけに女子寮の方は去年改築が行われ、なんと蛇口付き流し台、最近になって普及したガス管を引いたガスコンロと舶来品のキッチン薪ストーブが設置されている。大きな調理台、カウンター、各種の調理器具。普通のかまどもある。

 レストランの厨房か? と言いたくなる設備に瑛梨は最初唖然とした。瑛梨の自宅であり、外国の要客を接待することさえある翠瓦邸に迫る高性能だ。国家術師養成学校の女子寮の台所なんて、かまどと流しがあれば十分では。朝昼夕の食事は別棟の食堂で雇われた調理員がつくるのだから。

 去年のピカピカの新品だったときは、生徒の中に親が逢坂・帝都の高級ホテルのレストランの偉い立場で働いている人がいて、親に使い方を聞いたりしながら使いこなしていた、という話を本科二年以上の先輩たちがしていた。3月でその料理上手な先輩は卒業、色々在校生に教えていったらしいが女子寮の台所の稼働率はガクッと下がっていた。

 ところがここ半月以上、台所を連日使用している一年生が現れた。言わずもがな春菜と櫻子である。毎日々々、消灯前まで何をしているのかと思えば、お菓子づくりに励んでいるという。

 問題点は二つ。一つは使用後の洗い物や掃除がきちんとできていないこと。仕舞うのだけは翌朝でもいいから、それ以外は消灯時間までに終わらせろ、というのがちょっと台所を使いたかったのに後片付けが不十分だったためダメだった寮生の意見。

 一つは材料の消費量が度を越していること。洋菓子をつくろうとしているのか、砂糖牛乳小麦粉バター卵あたりの減りがとても早い。薪だってどんどん減っていく。一部の人間が共有スペースに用意されている食材を大量に消費するのは不公平だ、という声が上がっている。

 さり気なく本科三年の先輩(料理上手な卒業生に調理技術を指導された内の一人)が手伝いと助言をしようか? と言うと、最初は喜んで頼ったがお菓子づくり初心者の2人に、基礎を覚えるために工程数が少ないレシピからやろう、というと次からは呼ばれなくなった。その先輩が言うには、どうしても春菜が所有するレシピ本に載っているお菓子じゃなきゃダメ、という固執を感じられたらしい。

 女子たちはだいたいこの辺りまでで、怒涛の勢いで吐き出していた愚痴を一旦止めた。女子たち、そう、瑛梨だけじゃないのだ。

 今ろ組の教室の一角に瑛梨、吾妻、花井ともう3人が訪れてきている。つまり、蒼羽子のグループと春菜・櫻子を除いたい組女子全員とろ組女子全員がひと塊になっているのである。面積的には教室の一角、ではなく半分以上だ。

 今日は職員会議があるため、いつもなら普通に授業が行われる時間が自習になっている。

 皆は三百子姉妹のお菓子づくりをやめてほしい、あわよくば禁止させたい、そんな考えで一致していた。まあ、現実的に考えるとお菓子づくりの回数を減らすことで決着しそうだが。


「何なのよ! あの2人のせいで一年生女子全体の評価が下がるんですけど!?」

「あと若干、各務原蒼羽子の評判のせいもある」

「まいっっっかい、暗黒物質か食用不可なものしか出来上がってないじゃないの!!」

「上手く火が着かなくて火事みたいな煙が出たこともあったわねえ〜」

「ホントそれ! 大人しく教えてもらいなさいよ。下手くそのクセに! 何? 2人とも実家では手伝いしなくてよかった感じ?? 箱入りのお嬢様??」

「キャンキャン五月蝿い方は北関東の田舎の地主の家で、モジモジしてる助けてちゃんの方は父親が大学で働いてるって。常勤か非常勤か、教授か助教授かは、わからないけど」

「あ、山本櫻子の方が箱入り娘度高いんだ」

「どうやったらあんな礼儀知らずに育つのよ。『ありがとうございました』と『ごめんなさい』がちゃんと言えない人間は家から出てきちゃ駄目でしょ。あー、自分の子はああならないように気をつけないと」

「というか、山本さんって本当に“お嬢様”なのかな? 裕福そうではないよね?」

「生活に余裕のない“お嬢様”だって、世にはいっぱいいるんですよ。華族といえども親の経済感覚が悪いと実態は1日2食、一汁一菜の借家暮らし、なんてこともよくある話です」

「というか、その女子たちは何のためにお菓子づくりしてるんだ?」

「聞いても教えないよ。どうやらお菓子づくりがしたいのは主に上野の方で、暴れイノ…山本の方はついでって感じらしい」


 それを聞いてふと、里見が思いついたことをポロッと口にする。


「… …それじゃあ、上野さんがお菓子づくりしてる間に山本さんが洗い物や掃除や火の始末をすればいのでは?」

「「「それだーー!!!」」」


 里見の一言に何人かの女子が激しく食いつく。皆相当鬱憤が溜まっているようである。

 里見は女子たちの怒気に内心ビビりまくっていた。さっきの発言も、一歩間違えたらぶっ飛ばされる、くらいの気持ちで恐るおそる言ってみたのだ。傍から見たら平然としているように見えるので、里見は中々のポーカーフェイスなのか、余計な刺激しないように振る舞うのに長けているのか。

 あたためて考えてみると、この春菜が行っているお菓子づくりは、『花燈』でいうところの『能力値を上げる差し入れ』を行っているのだと思う。ゲームではミニゲームだったお菓子づくりも、現実だとこうなるのか。迷惑がられていてもゲームと同じように動く春菜は何を考えているんだろう。


「はぁー…。一回ぶっ飛ばしちゃダメかなぁ」

「手を出した方が負けでしてよ」


 思わずビクッとする里見。隣に座っている瑛梨が怪訝そうな顔をする。

 里見の他にも引きずり込まれた人間はいて、伊井田(里見と同室の、双子の兄の方。感情が昂った妹にバシバシ叩かれている)や六日市むいかいち弓岡ゆみおか(女子の多い図書管理部に入っていて面識がある)が女子の集団に紛れている。相槌を打つだけで聞き流している者、話を聞いている内に同調してきた者など色々である。

 里見は高性能台所の聞いているとだんだん、久々にお菓子づくりがしたいなぁ、という気持ちがわいてきた。付随して、一緒に楽しく調理をし、いつも美味しそうに食べてくれる幼馴染の顔が浮かんだ。実際に隣に座っている瑛梨の方を向くと、何かに気づいたような顔をしてニコッと王子様スマイルを浮かべた。

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