1-3 姉に会いに

 担任の先導による敷地内の案内も終わると本日の予定は全て終わりだ。門限までに寮に戻りさえすれば各々自由だ。

 ガラガラと、磨り硝子が嵌った木造の引き戸が開けられる。先に終わっていた瑛梨が里見に会いにきていた。

 本当によく目立つ。戸の近くにいた女子に「水嶋里見君はいるかな?」と首を傾げながらたずねる。傾げた拍子に肩から銀色の三つ編みが落ちる。


「あ、あそこに… …」


 女子生徒が小さな声でそっと指差す方向に里見の姿を認めて、いつものクールな笑み付きで礼を言うと、こいこい、と里見を手招きする。王子様スマイルを直視した女子生徒は顔がボッと燃えるように赤くなっていた。

 帰り支度を済ませて教室中の注目を集めながら瑛梨の傍へ寄ると、廊下に出て話しをする。

 通りすぎる際、瑛梨の笑みに心を撃ち抜かれた女子生徒に「これから瑛梨と5年間一緒に過ごす間、何度も同じ状況がやってくるよ。頑張れ」という気持ちを込めて「お疲れ様。また明日」と挨拶しておいた。背後から「大丈夫!?」「気を確かに!」という切羽詰まった声が聞こえてきたが、大丈夫だろうか。瑛梨の格好よさには頑張って慣れるしかないと思う。


「この後はどうするの?」

「直ぐに道場に行くよ。お昼はお弁当を持たせてくれたんでね。里見は?」

「姉さんに呼ばれてる。外で何か食べようかな」

「そうか。あと、はいこれ。頼まれていたやつだよ」


 瑛梨から極薄い封筒を渡される。これからこれを渡しに下の姉・英に会いに行く。


 ※※※※


 上ノ原公園うえのはらこうえんは明治初期に国から指定され、弁天池と寺院の敷地を利用して造園された公園という歴史設定がある。英を探し歩きながら里見は、早くあの辺に美術館ができたらいいな、と考える。

 散歩中の老夫婦、先に先にと行く子どもと追いかける母親、団子屋、桜餅屋、中華まん屋、甘酒屋の出店などなど。青空を覆い隠すような満開のソメイヨシノの桜並木に心弾ませながら花見客は思い思いに過ごしている。

 英との待ち合わせ場所へ向かう途中、わざわざ人出が多いルートを通る。活気に満ちた空気の中を歩く、と想像したら楽しそうだったので。


 ベンチに腰掛けた英を見つけた。術師部隊の制服を崩さず身に着け、膝が隠れる丈のスリットスカートから覗く脚もピタッと揃えている。

 前髪は自然な感じに横に流し、後ろ髪は束ねてくるっと丸められた髪型。お洒落好きな下の姉の、無造作に見えて毎朝細かく調整されてつくられる髪型だった。

 気分によってつける口紅の色や眉墨の描き方などを使い分ける英の印象は時と場合によってころころ変わる。本日は薄化粧に見せかけた隙のない自然風化粧ナチュラルメイク。目もとの印象をはっきりさせるために目張アイラインりを入れたり、スっとした鼻筋をつくりだすために色付きの水白粉ファンデーションで陰影をつけたり、言うなれば『仕事中の顔』か。6つ差の姉が、もっと年上に思える。


「お待たせしました」

「休憩を兼ねて出てきたからゆっくりできたわ。学校はどうだった?」

「色々聞いていたおかげで早く馴染めそうです。寮は六人部屋でしたよ。今の時点で密度が高めです。男子はまだまだ成長期でしょうに」

「男子寮は毎年そうらしいわ。

 で、その敬語は何なの? これからは上司と見習いの関係だから〜、とか理屈捏ねてるんだったら今はナシ。ここは学校でも詰所でもないんだから」


 英がナシナシ、と手を振って堅苦しい雰囲気を拒む。しゃんと背筋を伸ばして隣に座っていた弟にもっと近寄るよう指示すると、かたわらに置いていた茶色い紙袋を渡す。袋には『弓張月ゆみはりづき』と店名とマークが入っている。帝都や逢坂(『花燈』の世界における大阪府。紡績・鉄鋼などあらゆる商工業が盛んな都市。帝都を上回る勢いの近代化が進んでいる)で出店している中華まんのお店だ。元々は中国人向けのお店だったのを日本人向けにアレンジして売り出し、今では軽食の内の一つとして帝都民に根付いている。


「お昼食べてないでしょ? はいこれ。お駄賃代わり」

「ん、ありがと」


 中身は湯気で少しふにゃっとなった豚まんが4つ。「瑛梨ちゃんも来ると思ってて」と英が説明する。「袋の口を開けとくとふにゃふにゃにならないんだよ」「冷めちゃうじゃない」とお喋りしながら、ぱくりぱくりと食べていく。

 ぽかぽか陽気とさざ波のような人の群れ。ああ、花見日和だなぁ。


 豚まんを味わった後、英に会いにきた目的である封筒を渡す。瑛梨から預かった分と里見が書いた分の2通。


「はい確かに」

「これくらいお安い御用だよ。…これが役に立つ?」

「さあねぇ。何事もない方がいいんだけどね。何がきっかけになるかわからないから、色々な方法で、ね。

 …残りはどうするの? 持って帰って瑛梨ちゃんにあげる?」


 袋の中には豚まんがまだ3つあった。

「1個でお腹足りるの?」という顔で里見にたずねた。


「うーん、残りは… …。あそこの人たちにあげようかな」


 そう言って里見は背後にある低木の茂みを指差す。茂みからはチラチラと頭や足がはみ出しては何とかして隠れようとガサゴソ動いている気配がした。

 小さな子どもじゃないんだから、と里見が呆れていると、英が躊躇なく下手な盗み聞きをしていた者らに近づいていく。横から回り込んで完全に姿を捉えると「立て」と命じる。茂みから出てきたのは、何で女なんかの言うことを聞かにゃならんのか、という不満が顔に出ている少年3人。1人は里見と寮が同室、組も同じの武士風男の岩槻いわきだった。残り2人も同じろ組の生徒だ。


「さて、盗み聞きしていた理由を説明してもらおうか。入学初日ということで多目に見て、担任に突き出すことはしないでおこう。

 …親切心から言っとくが、女に指示されるのが受け入れられない、という心意ではこの先苦しむぞ。術師の業界は男女問わず能力とやる気のある者を採用する。女の上長だっているし、学校の授業でも女子が班長、学級委員になることもある」

「瑛梨なんて剣術にかけては同世代には負けないくらい強いし、この人は指揮能力の高さを買われて卒業前から術師部隊の中に混じって活動してたし。性差による向き不向きは認めた上で、個人個人を見て適材適所に振り分けるのが一番効率よく組織が回る方法じゃない?」


 3人とも納得いかないような、でも反論しないでおこうか、といった空気で大人しくしている。

 大人しい間に先ほどの英の質問に答えさせる。ついでに豚まんも押しつけた。まとめると、「独特な雰囲気で一際目立っていた里見を好奇心から尾行した。術師部隊の隊員と手紙の受け渡しをしている様子があやしく思えた。1人になったら尋問しようとしていた」ということらしい。途中、岩槻以外の2人が「ありゃあ、ご兄弟か、歳の近い叔母と甥か、いとこみてぇな関係じゃろう。思うとったんと違うでぇ、言いましたんじゃ!」「そうそう! お身内から術師学校のことを色々聞いとったなら、ワシらのような田舎の出と違うて慣れた風に見えてもおかしゅうねえ、ってな!」と早口で自己弁護を挟む。訛りが強い。

 里見は瑛梨と自分が書いた用紙を取り出して読み比べながら聞き流す。英は冷たく鋭い目で3人の言い分が本心かどうか観察している。

 あっ、と。2枚を読み比べ、問題点に気づいた。念の為、再確認するが間違いなくない。


「まず、俺とこの人との関係だけど、姉と弟だよ。第二部隊所属の水嶋英さん。

 次にこの紙だけど、…姉さん、岩槻君に読んでもらってもいい?」

「ん? そうだな… …、このやり取り自体丸ごと『なかったこと』にできるなら、構わないかな。それ以外はそのままでいい。諸君らは『独特な雰囲気で一際目立っていた里見を好奇心から尾行した。術師部隊の隊員と親しくしている様子があやしく思えた。1人になったら尋問しようとしていた』。しかし、会っていたのが実姉であるとわかり、なおかつお粗末な尾行もバレたためすごすごと昼食を奢ってもらって帰った、これでいくこと。わかった?」

「「「わかりました… …」」」


 用紙を岩槻に渡すと、さっと読み始めた。里見の書いた方を読み、続いて瑛梨が書いた方を。すると、あれ?、という表情を見せる。もう一度、瑛梨の書いた分を読み返す。終わると里見に返しながらたずねる。


「どういうことじゃ? おかしかろう。これはい組ろ組の名簿じゃろ。1人足らんぞ」

「そうだよねー。小さな疑問点だけど、姉さんはこういうことが知りたかったんでしょ?」

「…ええ、そうね。で、詳しい話は隊舎に向かいながら聞かせてもらいましょうか」

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