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空はどんよりとした雲に覆われている。
朝、まだ完全に陽が昇りきらない時間帯に起き出した瑠依は、スーツのパンツとワイシャツに着替えるとファレーズ邸の庭へ向かった。
綺麗に整えられた庭園の片隅では、すでにアゼルがジャンの剣の稽古に付き合っていた。それを横目に瑠依はストレッチと筋トレを行い、軽くジョギングを始める。この一角は子供達の運動場のような場所になっているらしく、瑠依達も昨夜、使用許可を貰った。最近美味しい物を食べ過ぎで弛んできている気がする瑠依にとっては、とてもありがたかった。
青空ではないが、山間の街らしい清々しい空気の中での運動は気持ちよかった。現代日本で見ればスーツ姿でリゾート地を走っているようなちぐはぐ感があるが、ストレッチ性や速乾性などの機能面を考えると、瑠依としてはこちらの方が動きやすい。頂き物の服を泥などで汚すのも忍びなかった。
三十分ほど走っていると、アゼル達の稽古が終わったようだった。
「お疲れ様です。朝から精が出ますね」
肩で息をしながら芝生の上に座り込むジャンを見て思う。対してアゼルは汗一つかいていないようだが、晴れ晴れとした表情をしていて、楽しそうだった。
「お前も結構走ってただろ。修練もして。リヴィウスはともかく、うちの騎士達にも見習わせたいな」
「まあ、身体と体力が資本なところはありますので」
事件が発生すれば現場へ駆けつけ、犯人逮捕まで休みなしで動くことも多々ある。厳密には違うであろうが、
「ところでその、そちらの素振り用の剣って、お借りしても良いですか?」
「ああ、良いが」
瑠依はアゼルが持っていた木製の剣を借りる。もともとファレーズ家の物らしく、柄にはあの魚と獣と船の家紋の焼き印が押されていた。
瑠依が慣れ親しんだ日本刀型の物とは異なり、西洋剣のような両刃を模した木刀である。だが重さも太さも丁度良く手になじむ。身体の力を抜き、剣を中段に構える。一つ一つの動きを思い出すように、ゆっくりと剣を振るう。ちゃんと素振りをするのは久しぶりだった。
「……お前、剣術もできるんだな」
「これでも剣道専攻です。アゼルさん達のように真剣で戦うような物ではなかったので、その、魔物への戦力にはならないと思いますが……」
「今はともかく、魔物との戦闘だって集落の外に出なきゃそうそうない。それに盗賊相手にあれだけ制圧できていたんだし、戦っている最中に自分の身を守る程度に動いてもらえれば大丈夫だ」
「それよりもちょっと手合わせしてみたい」と少年のようにキラキラした顔でアゼルがこちらを向く。このあと物語の冒険者のように
にこやかに曖昧に流していると、男性の使用人――確か家令と言っていた――が朝食ができたと呼びに来る。ご厚意で用意してもらった濡れタオルで汗を拭いた後、昨日と同じ食堂へ案内された。
席には身だしなみをぴしりと整えた長男アランと、いつもよりさらに低血圧気味なリヴィウスの二人だけが座っていた。昨夜の晩餐の後、リヴィウスは不備のないように契約書を作成していたので、少し疲れが溜まっているのかもしれない。セリーヌ夫人は元々朝は食べないので朝食の席は辞すと事前に聞いていた。
晩餐ほどではないが豪華な洋風朝食を美味しく平らげ、〈水ノ神殿〉へ向かう準備した。
屋敷のエントランスホールへ下りると、案内役として来ていたのはアランとジャンだった。セリーヌ夫人はまだ昨夜からの不調が快復しないようで顔色が悪く、階段上で軽く挨拶をするとすぐに自室へと戻られたようだった。ただ領主のジスランは現れない。
「……こちらがお呼び立てしておきながらすみません……。父は昨日の夜がとても楽しかったようで」
「いや大丈夫だ。君達が案内してくれるだけでも十分ありがたい。早速行くか」
アランと家令が申し訳なさそうに視線を落とした。どうやらジスランは昨日の晩餐やその後で酒を楽しんでいたらしい。
親の状況に子供や使用人の頭を下げさせる気はなく、アゼルは早々に出発を切り出した。アランのほっとしたような表情になった。
ファレーズ邸から出発して十五分程度。緩やかな林道を上っていった先、切り立った崖から〈水ノ神殿〉と続く橋が延びていた。
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