14 坂岡視点

「もうあなた、そういうことは分かった時点で教えてくださいな。そうしたらお買い物を頼めるから、もっとちゃんとした物が作れたのに」

「す、すまない……」


 そう言いながら料理をするために台所へパタパタと移動した妻の比奈に、坂岡は頭を下げる。そして中途半端になってしまっていた家の掃除を代わりにした。

 慣れない掃除と悪戦苦闘し、瑠依が捜査中に失踪したことをどう伝えるかと考えていると時間は早く過ぎる物で、気付けば玄関のチャイムが鳴った。時刻は十九時近く。行本は今日面倒なことがなかったようで、日勤を定時で終わらせて来たようだ。


「やあ奥さん、いつも急ですまんね。お邪魔するよ。こちらはお土産」

「あらあら、ありがとうございます。後でいただきますね」


 比奈は最近できた駅前のケーキ屋の箱を行本から受け取り、ほんわりとした笑顔を返す。組織犯罪対策課に所属し、その噂に違えず本職に似て凶悪な面構えの行本と並ぶ姿はかなりチグハグである。そう思う坂岡は、自分の見た目は棚の一番高いところに上げている。

 比奈は居間に二人を案内すると、「それではごゆっくり」と場を辞した。


「土産なんて珍しいな」

「あんなことがあれば、さぞ気落ちしてるだろうと思ってたんだが。なんだ、まだ伝えてなかったのか? ああ、こっちはおれ達への土産だ」

「気を遣って貰って悪ぃな」


 座卓に敷かれた座布団へ行本はどっかりと座る。坂岡も適当に座り、渡された日本酒の瓶を開けた。道楽癖のある行本が持ってきた酒だ、味香りは確かだろうが、今の坂岡にはアルコールの味しか感じない。


「それで、警視庁そっちはどんな感じだって?」

「そう慌てるなって。まずは美味いカミさんの手料理を……っとわかったよ」


 座卓に並べられた料理に手を伸ばそうとする行本を睨みつけると、彼は残念そうに手を挙げた。


「とりあえず上はマスコミ対応に備えてるって話だ。大変なことに、逃げた痕跡が何処にもない。駅への配置や検問もやってるみたいだが、今のところ収穫はゼロ。『消えました』としか言えねぇ状況らしい。お前のも色々調べたらしいが、まあ隠すなんて器用なことできねぇだろうから、真っシロだとよ」


 坂岡から渡された酒を行本は手酌で吞みながら、くくくと笑う。てめぇの顔で笑うと思わず逮捕したくなる、と悪態を付けば行本はさらに可笑しそうに笑った。だがひとしきり笑い終わると、ふと真顔に戻った。


「しかしまあ、今度は瑠依ちゃんがか。なんとも言えねぇな」


 そう言って行本は隣の部屋へ目を向けた。

 昭和に建てられた一軒家である坂岡の家には仏間がある。居間の隣に安置された仏壇には、坂岡家以外の位牌も置いてあった。瑠依の両親の物のある。


「あの二人もそれぞれ事件絡みで亡くなった。それになのにあの子までって」

「これ以上縁起の悪ぃこというなら、叩き出すぞ」


 坂岡と行本、それから瑠依の母親は警察官として同期であり、また瑠依の父親も同時期に科学捜査研究所に入った職員であった。その縁と坂岡が一番近くに住んでいて家族ぐるみで付き合いもあったため、瑠依の両親が亡き後は坂岡が彼女の保護者替わりをしていたのだ。それがほかの警察官達から瑠依を「愛娘」と揶揄われる理由であるが、そこに後悔はない。だが殉職した瑠依の両親をなぞっ、て行く先を考える行本の考えに坂岡は苛ついた。


「悪い、それは本当に悪かった」


 行本もそれを感じ取ったのか、素直に謝った。坂岡もすぐに謝られて禍根を残すほどではない。それに一方で周りではそう思う輩も多いだろうという心構えが先にできた。

 それから二人は過去に捜査した事件のことや取り留めのない噂話をしながら酒と料理をつついた。

 廊下の時計が九回鳴る。


「おっと、そろそろお暇するかな。あんまり長くいちゃあ、馬だがどこぞのおっさんに蹴っ飛ばされちまう」


 行本がよっこらせと腰を上げたが、足下がふらついた。彼のお猪口を開けるスピードはいつにも増して速かった。


「おいおい、大丈夫か?」

「問題ねぇ。久しぶりに食べる手料理って奴に、酔っちまっただけさ」


 へらへらと笑う行本に顔を顰めながら、坂岡は彼を玄関まで送った。


「んじゃ、また。あー、お前がマル暴に居りゃあ、いつでも奥さんの旨い飯が食えるのに」

「やなこった。仕事にかまけ過ぎて、お前みたいに妻子に逃げられたかねぇんだよ」


 行本も二十年ほど前に縁があり、一度結婚した。だが彼が仕事に入れ込みすぎていたせいで数年で破綻している。「もとから仲は悪かったんだ、セイセイしたね!」と、それを仲間内に報告した飲み会の席で宣言していた。


「かー熱いねー。普段との寒暖差で風邪を引いちまう」

「ならさっさと帰って早く寝ろ」


 冷やかしを止めない行本は、上機嫌で帰って行った。飲み食いした物を片付けるかと居間へ戻れば、既に比奈がまとめ始めている。


「……比奈、瑠依が行方不明になった」

「そうでしたか」


 坂岡の告白に比奈は特に驚くことなく返答した。


「気付いてたのか」

「もう何年、刑事あなたの奥さんをやってると思ってるんですか。今日は山場だって朝連絡が入ってたのに、あなた昼には静かに帰って来るし、瑠衣ちゃんからも何も無いし。あの子、あなたと喧嘩したって、今日は行けませんって真面目にメッセージくれるのよ? それもないなんていったら、あの子に何かあったってことだわ」


 妻の鋭い観察力に坂岡は思わず舌を巻いた。隠し事なんて仕事内容以外ないが、彼女はそれすらも見抜いているのではないかと錯覚する。


「警察官は人もモノも守ることが多いけど、瑠依ちゃんを守ってくれる人もモノも多いわ。だから心配はあるけど、あなたはあなたができることをしないと」


 まとめ終わった皿を持って、比奈は居間を出る。


「あっ、まずは瑠依ちゃんにメールしましょう。どうせあなたのことだから、自分から送ろうなんてしてなかったでしょ?」


 ひょこりと廊下から覗いた彼女はそれだけ言って、台所へ運び始めた。確かにそうだなと、坂岡は帰ってきてから上着のポケットに仕舞いっぱなしだったスマホを取り出した。

 瑠依からの連絡はまだない。もう一度瑠依のスマホへ電話をかけてみるも、ずっとコール音が鳴り響くだけだった。


「くっそ」


 途切れないコール音が忌々しくなってくると、坂岡は切電ボタンをタップし、久しぶりに開いた電話帳から瑠依のメールアドレスを引っ張り出した。だが文面が思い浮かばず、やっと捻り出した言葉は『連絡寄越せ』だった。ボタンを押せば、エラーを起こすことなく送信された。ただ瑠依にまで届いているかは分からない。


「取りあえず飯でも食って、無事で居ろ」


 坂岡は静かに祈った。

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