第7話 五回目の金曜日②
「嘘を吐いたゆーくんには、私とキスの刑でした」
「な、なに考えてん……だよ」
「私が考えてることは、ゆーくんのことだけだよ」
「だ、だったら勝手にキスとかしちゃダメだってわかるだろ」
俺は口元を押さえながら、静かに怒りをぶつける。
桜坂さんはケロッとした表情で、
「じゃあ嘘吐くのもダメじゃない? 私のこと思い出してないのに、思い出したなんて言っちゃダメだよ」
「それは、言わなきゃいつまでもハグされたままだったし……仕方なかった」
「思い出せばよかったんだよ私のこと」
「それが出来たらとっくにやってる!」
桜坂明里。
俺の脳内で、幾度となく検索をかけた。
手当たり次第、過去の私物も漁った。それでも、思い出せはしなかった。
記憶に霞がかかっていて、掘り出そうとすれば爪弾きにされる。今あるだけの情報では、思い出すのは困難だった。
「……てか、それなら名前以外にも情報くれないか。そしたら、思い出せるかもしれないし」
切り込んでみる。
桜坂さんについて、知るために。
桜坂さんはにへらっと笑みをこぼす。桃色の髪が揺れた
「うん、いいよっ。……でもその代わり、私にもゆーくんのこと教えてね」
「あ、ああそれは別に構わないが」
桜坂さんの情報を集める方が先決だ。
俺のことを教えるだけで、それが得られるなら断る手はない。
だが、次に発せられた一言で、俺の考えは一変した。
「やった。じゃ、ゆーくんの好きな人教えて」
「……は?」
ぽかんと口を開ける。
俺に好きな人などいない。
ただ、俺は告白を断る際、決まり文句として必ず言っている。
他に好きな人がいる──と。
「好きな人だよ。ゆーくん、好きな人いるでしょう?」
瞳の奥に僅かな闇を垣間見せながら、桜坂さんはふわりと微笑む。
俺は口の中に溜まった唾を、ごくりと飲み込んだ。
この質問は、マズイ……。
素直に、好きな人はいないと答えるべきか?
だがそれだと、今後『好きな人がいるから付き合えない』と言った告白を断る定型文が機能しなくなる。
考えた末に、俺は一つの結論をつけると、慎重に言葉を紡ぎ始めた。
「俺、好きな人なんていないよ」
平静を装いながら、俺は正直に好きな人などいないことを伝える。
ここでもし、誰々のことが好きだと嘘を吐いた場合、それが一大事につながる可能性を否定できなかった。
考えすぎだとは思っている。それでも、彼女の口から漏れて出てくる言葉には、時折、狂気的なものを感じる。
「え? いないの?」
「あぁ、何を根拠に俺に好きな人がいると思ってるんだ?」
「それは直接ゆーくんから……あ、じゃなくて、なんとなくだよ」
「それならその勘は外れている。俺に好きな人はいない」
ハッキリと好きな人がいないことを打ち明ける。
桜坂さんは、胸に手を置く。
「はぁ」とプレゼンが終わった直後みたいに開放的な吐息をこぼした。
「なーんだ。心配して損しちゃった。ゆーくん優しいから、告白を断るときに決まり文句として言ってるんだね。そこまで考えが回ってなかったや」
モヤモヤがスッキリしたと言わんばかりの晴れやかな表情。
うんと両手を伸ばすと、そのまま俺の腕に絡みついてきた。
「じゃ、私と付き合お」
「い、いや付き合うとかは……」
少し痩せすぎなくらい華奢な体型。それでいて出るとこはしっかり出ている。胸のあたりまで伸びた桃色がかった黒髪に、アイドル顔負けの整った容姿。目はくっきり二重で、鼻筋は通っている。美少女、そう呼んで差し支えのないルックスだ。
普通なら四の五の言わず、付き合うべきなのかもしれない。
だがそれでも、その判断は取れない。
桜坂さんの手には時間を巻き戻す力があるのだ。
迂闊に付き合えば、後に引けなくなる。
「俺、恋人とか考えてないんだ。だから悪いけど──」
「ヤだよ。ゆーくんと過ごせる時間は有限だもん。これまでゆーくんと一緒に居られなかった分、一日たりとも無駄には出来ない。明日付き合うことになれば、ゆーくんと恋人で居る時間が一日減っちゃう。そんなの耐えられない。だから、今日……今すぐ付き合って」
「いや、俺の気持ちを無視しないでくれるか」
「あ、そうだよね。やっぱ告白は屋上がいいよね。放課後の誰も居ない屋上。ごめんね最初はそのつもりだったんだけど、つい勢い余って告白しちゃった」
話が通じないのか……?
「そうじゃなくて……俺は、誰かと付き合うつもりはないんだ。桜坂さんが悪いわけじゃない。完全に俺の問題だ」
「そうなんだ。でも付き合ってくれないとヤだよ。あ、でも今すぐ私のことを好きになれってことじゃないから。今は私に気がなくて大丈夫。ゆーくんは私にせがまれて仕方なく私の恋人になるの。私のことを好きになるのは徐々にでいい」
「……もし、好きになれなかったら? その時は、潔く別れてくれるのか?」
もし、これで別れてくれる──そう言ってくれれば、俺は付き合う判断を取る。
今の俺の目標は、桜坂さんの気持ちを俺から離れさせること。経緯はどうあれ、桜坂さんが俺に付き合うよう強要しなくなるのであれば、それが最善だ。
「それはあり得ないよ。全力でゆーくんに好きになってもらえるよう頑張るし。万に一つ嫌われる行動したとしても、私には秘策があるもん」
ピンと人差し指を立てて、柔和な笑みを浮かべる。
秘策──要は、時間を戻すということだろう。……なんだこの無理ゲーは。
「あり得ないなんてことはない。必ず好きになる保証はないだろ」
「んー。でも私、本当になんでもするよ。ゆーくんの望み、全部叶えてあげる。だから好きになってもらえると思うんだけどなぁ。……あ、浮気はダメだけど」
「それで好きになるほど、単純じゃない」
そう言うと、桜坂さんは唇に人差し指を置いて不満そうに唸る。
くるりと踵を返して、一歩前進した。
「しょーがない。今日は、ゆーくんに好きな人がいないって知れただけよしとしよっかな」
「は?」
「じゃーね。ゆーくん」
ひらひらと手を振りながら、駆け足で正門を目指していく桜坂さん。
彼女の行動指針が今ひとつ掴めない。だが少なくともまた、同じ日を繰り返す。
その予感だけは嫌でも感じ取れた。
俺は深くため息をこぼすと、頭を抱えるしかなかった。
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