第6話 五回目の金曜日①
今朝の時点でほとんど確定していたことだが、桜坂さんには時間を巻き戻す力がある。
今回の彼女の発言を経て、より確信していた。
原理などは知らない。
考えたところで説明はつかない。
目下、俺が考えるべきなのは桜坂さんをどう対処するか。
恐らくだが、桜坂さんと付き合う選択を取れば、時間の流れは再び正常に戻る。
ただ、その選択を取るわけにはいかない。
彼女の俺への入れ込みっぷりは、狂気的なものを感じる。だからこそ、付き合う選択を取ったら最後。
下手を打てば、一生桜坂さんから離れられなくなるかもしれない。
だから俺は考えなくてはいけない。
この危機的状況を打破する方法を──。
ふと、時計を見やる。
時刻は二三時五九分。あと、六十秒とたたずに、日付が変わる。
もし時間をループする場合、日付が変わった瞬間どうなるのか把握しておきたかった。
カチカチと秒針が進む。
そして、二十四時を迎えると。
──目の前が真っ暗になった。
俺の意識は暗闇に落ちる。
抵抗なんて出来なかった。心臓の動きを自由に止められないのと同じように、この現象は問答無用で俺に襲いかかる。
そうして再び、光を認識したときには、けたたましい目覚まし時計の音がした。
どうやら、また金曜日を繰り返しているらしい。夜ふかししたところで、どうにかなる問題ではなさそうだな……。
五回目の金曜日。
さすがにもう、土曜日が愛おしい……。
俺は目覚ましを止めると、のっそりと上体を起こした。
相も変わらず天気は快晴。ピンと重力に反してひるがえる寝癖も健在だった。
「はぁ」
ため息が、自然と漏れ出る。
悪霊に取り憑かれたみたいに、身体が重たい。
テレビの内容に変化はなく、授業の内容にも変化はない。
ボーッとしているだけでも、時間は過ぎていく。
そうして放課後。
俺は下駄箱の前に居た。
わずかに震える手。
それでも、開けないという選択肢はない。
小さく呼吸を整えてから下駄箱を開けた。
するとそこには、
──ラブレターはなかった。
これを吉とみるか、凶とみるか。
ラブレターがない。それはすなわち、桜坂さんが別の手段に出てくる可能性が高い、というわけだ。このまま何事もないのが一番だが……。
上履きからスニーカーに履き替えて、正門を目指す。
平静を装いながら、それとなく周囲を警戒しているときだった。
タッタッ、と小気味よく砂利を踏みならす音がした。
その音は、徐々に俺の元に近づく。
俺の背中に衝撃がかかったのは、そのすぐ後だった。
「ゆーくん♡」
「……っ。さ……だ、誰だ?」
一瞬、彼女の名前を呼びそうになる。
けれど、すぐに声を堰き止めて、何も知らない体を装った。
桜坂さんは俺の目の前に回り込むと、下から覗き込むように見つめてきた。
「私だよ。桜坂明里。子供の頃、よく一緒に遊んでたでしょう?」
「ごめん……覚えてない」
「むぅ。ホントに覚えてないの?」
「あ、ああ……ごめん」
ぷっくらと頬に空気を溜め込んで、不満げに見つめてくる。
前のめりになって距離を詰めてきた。
俺は僅かに後退するが。
「……えい」
「っ。ちょ、お、おい!」
桜坂さんは、戸惑う俺に正面から抱きついてくる。
周囲には、大量の学生がいる。自然と、俺たちに視線が集まってきた。
「これでも思い出さない? よく、ぎゅーってしてたじゃん?」
「お、思い出さない。それより離れて──」
「やーだ。思い出すまで離れてあげなーい」
「んな無茶苦茶な……」
俺を抱擁する力が強まる。
ベッタリと余す所なく、身体を密着させていく。
居合わせた学生からは、奇異や羨望、怨念と言った多様な視線を向けてきていた。……見てないで助けろよ。
そんな俺の切実な願いは届かず、誰も割って入ろうとはしない。
距離を置こうにも、俺の力ではどうにもならない。本気を出せば別だが、それでは怪我をさせかねない。要するに、なす術がなかった。
「思い出した?」
「あ、ああ、思い出したから……だから離れて……」
「じゃあ、私の誕生日は何月何日でしょう?」
「……っ。は、八月二十日、とか?」
「違いまーす。嘘を吐いたゆーくんには、刑を執行します」
「刑?」
桜坂さんが離れてくれる。
ホッと安堵したのも束の間、彼女は俺の首に両手を回すと顔を近づけてきた。
次の瞬間、俺は唇を奪われていた。
ただ昨日──正確には四回目の金曜日とは異なり、唇と唇が触れるだけ。体感時間にしては十秒近く、キスを強要された。
周囲がざわめく。
喧騒が広がる中、俺の意識は完全に桜坂さんに持ってかれていた。
彼女は、ニコッと笑みをこぼすと自らの口元に人差し指を置く。
「嘘を吐いたゆーくんには、私とキスの刑でした」
「な、なに考えてん……だよ」
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