鮮血の魔女 6
私とルーグは、周囲を警戒しながらスチールエイプの進んだであろう痕跡を追跡する。
この時期のカルフ山は、木々や草木も青々しく、歩く度に若い草花の香りが鼻孔をくすぐってくる。
シヴァンゲール自治州では、どこの街でも売られているが、州の特産品でもある果物『シヴァルカ』の実も、まだ青く未熟ながら自生していた。
この果実は完熟すると甘さと酸味を備えた独特の芳香を持つ。そのまま食べても美味しいが、シヴァルカを原料にして作ったお酒は、他国にまで出荷される程に人気が高いらしい。
また、その酒を熟成した樽も、別の原料で作った蒸留酒をその樽で追加熟成させることで、甘さと酸味等、シヴァルカのフレーバーと別の原料のフレーバーが複雑に融合した風味豊かな酒ができる為、ある意味樽の方が価値が高いとまで言われるほどだそうだ。
まぁ、お酒はまだ飲んだことがないから味は分からないけれど。
「それにしても、なんだか草花がいつもより多いね」
ルーグが、草丈がやたらと高い
確かに去年、シヴァルカの実の収穫の警護と運搬の依頼でこのカルフ山に来た時よりも、草花や果実の数が多い気がする。
それに、以前は鹿や野犬等の動物もそれなりに居たが、そういった動物達の気配は少ない。
もしかして、私達が探している怪物がカルフ山に棲み付いた事によって、山の生態系が変わってしまったのだろうか。
「そうだね。それに……
私が相槌と共に、考えていた事を暗に話せば、ルーグも私と同じ考えに至ったようだ。
「もしかしたら、スチールエイプがこの山の環境を変えちゃったのかもしれないね」
スチールエイプは、この山にとっては外来種どころか、異物と言える。
この山の自然は動物と植物の共存によって成り立っているのだ。植物を食べた動物は排泄をし、それらの行為で、植物は栄養を取り入れ、種子は遠くに広がる。動物同士も、食生のサイクルは同じで、他者の肉を血肉とし、骨は豊かな土へと還る。
そのあるべき自然の中に突如として介入した、それまでの生態系を破壊する存在。
排除するには十分な理由だが、そもそも怪物とはなんなのだろう――と、疑念を抱いたところで、私の前を歩くルーグが私へ注意を促す様に腕を私の前に伸ばし、中腰になった。
「――居た」
私もそれに従い、腰を落としルーグの隣に並ぶと、私達が潜んだ
あの血は、殆どが先程の熊を捕食した際の返り血だろう。
その返り血があまりに多いせいで、州軍が負わせたという傷は確認することが出来なかった。
スチールエイプの全身を覆う体毛は、鋼鉄の様に硬いと評される事に反し、柔軟そうにも見える。柔軟かつ硬いというと、真っ先に思い浮かぶのは
それがかなりの密度で生え揃い、絡み合ったりしていると思うと、生半可な攻撃では通用しないだろう。
やはり、州軍が手傷を負わせたように、体毛の薄い場所を狙うべきか。
「ミエル。
「分かった」
ルーグから、先端の鋭くなった
私達は、こうして弾の共有が出来るように、弾の規格が同じ物に対応した銃を購入している。
私のものは少し小型で、取り回しの効くものになっている。そのぶん軽量だが、威力や集弾性はどうしても劣る。私の得意なナイフと銃の同時使用による近接戦闘においては、集弾性はそれほど重要では無いので構わないのだが。
ルーグのものは、私のとは逆に大型の拳銃でストックを付けれたりと拡張性も高い。
威力こそ私のものより高いが、そのぶん重く、筋力のあるルーグだから扱えるのだろう。ルーグよりも筋力や体力で劣る私が、自分の戦闘スタイルでルーグの銃を扱う事はとても出来ない。
「今、仕掛けるか?」
ルーグが、緊張した面持ちで腰のホルスターに納められた大型拳銃に手を触れる。
「ちょっと、待って」
私はルーグを制止すると、音を立てないように気をつけながら、スチールエイプに少しずつ近づいていく。
視界の中の鈍色の怪物の姿が、一回り大きくなったところで、私の中に怪物の思考が取り込まれてきた。
(痛……な、い……休、が必……)
――戦慄した。
今のは、言葉だった。朦朧とした意識の様な、言葉を紡げない赤ん坊の様な、だけど、断片的な知性の中にしっかりと感じ取れた『私達と、同じ言葉』。
あれは、本当に、怪物なのか。
ふと、浮かび上がった疑問をかき消すかの様に、次いで怪物から流れ込んで来たのは、嵐のような憎悪と嫌悪、そして人への殺意だった。
鈍色の怪物から、激しい突風が吹き付けてきたかのような錯覚を覚え、全身から冷や汗が噴き出した。
「――ッ!!」
怪物の感情を自分の中で殺しきれず、思わず息を呑み、尻餅をついてしまう。
私の発した気配に気が付いたのか、スチールエイプは私の潜んだ方へと振り返ると、明確な敵意と害意が飛んで来る。
――しまった!! 完全に補足された!
「ルーグ! ごめんしくじった!!」
私が、立ち上がりながら、ナイフと銃を手に取ると、ルーグも覚悟を決めて銃を抜いた。
「牽制する! ミエルも無理はするな!」
ルーグの警告に目で応えると、私は草藁を押し退け、私の身体より少し大きな木に隠れるように転がり込むと、その木の陰から左手に持った銃の引き金を引いた。
火薬の弾ける音と共に、反動が返ってくると、すぐさま引き金をもう一度引く。
おそらく私の銃撃は効かない。それは分かっているが、奴の身体能力や戦い方を引き出す為の牽制、そして注意を私に引きつけるための先制だ。
私の撃った弾丸は二発とも命中したようだが、スチールエイプには目立ったダメージを与える事が出来なかった様だ。
だが少なくとも痛みはあった様で、奴の怒りのベクトルは私へと向いた。
スチールエイプは唸りを上げると、私の頭など、一噛みで噛み砕きそうな大きな顎から、体毛と同じ鈍色の鋭い牙を剥き出しにすると、私へと突進してきた。
巨体も相まってか一完歩が大きく、動きはそこまで俊敏ではないものの、脚は疾い。
(薙、グ!)
「――っ!」
ノイズまみれの思考の中にまたしても浮かんだ、言葉の欠片。
薙ぐ。
次の瞬間、言葉の通りに怒りを込めた鈍色の
私は咄嗟に半歩下がろうとしたが、そもそもこの巨体の腕を、後退して躱すのは危険な賭けだ。
リーチを把握しているわけでもないし、何より先端の方が掠めただけでも危険な威力を持っているのは明白だ。
私は身体を隠していた木から、スチールエイプの真横へ飛び出すようにして、前へと転がりながら受け身を取る。
振るわれた腕は、空気を切り裂くような唸りをあげながら私が隠れていた木を、いとも簡単に圧し折った。
想像はしていたが、恐ろしい威力だ。生身で木を圧し折る等、とても生物のなせる技では無い。
ヤツは腕を振り抜いた方向に、逃げた私の姿を見て取ると、怒りをあらわにして、首を振り回しながら、再度こちらへと突進をしてくる。
「ミエル!」
私の背後へと周り込んでいたルーグが、私へと警告をしながら両手の銃を構えた。
私はルーグの射線から外れるように駆け出すと、背中側からルーグの銃撃の音が響いた。
火薬の弾ける轟音が、次々と山の中を走り抜けて行く。
連続して引き続けられた引き金は、数多の銃弾を雨霰と鈍色の怪物へと降り注がせた。
怪物からの少なくない痛痒を感じながら、私はスチールエイプの左側面へと周る。
ルーグが怪物の脚を止めているこの隙に――!
私はスチールエイプの全身を観察する。
やはり関節の裏側や、首は体毛が薄い。特に喉の辺りは黒ずんだ皮膚が剥き出しになっている。
ルーグの銃撃を、前傾姿勢で受けて首元を隠しているのも見て取れた。
狙うなら、喉――!
ナイフを持つ手に力を込めると、低い体勢のまま、銃撃しながら怪物へと疾走する。
怪物の背丈は私の倍はあるが、跳びながら腕を伸ばせば、首を掻き切る事は出来る筈……!
「ルーグ!」
私の呼び掛けでルーグが射撃を止めると同時に、私は全力で跳躍する。
こちらに気付いた怪物が視線だけこちらへと向くと同時、私はナイフの切っ先を怪物の喉元につき立てた。
(斬れる――!)
ナイフの刃が伝える肉に食い込む感触に勝利を確信した刹那、怪物の顎が大きく開かれるのが眼に入った。
突然の反撃に、動揺した私は咄嗟にナイフを手放し、怪物の身体を蹴りつけ間合いを取った。
直後、怪物の顎が鉄と鉄をぶつけ合ったかのような硬い音立てて激しく閉じられた。
――あのまま、無理矢理倒そうとしていたら、私の頭は潰れた果実の様になっていたかと思うと、全身の力と熱が失われるかの様な、戦慄を覚えた。
スチールエイプは、首元に突き刺さったままの私のナイフを引き抜くと、忌々しげに投げ棄てた。
「ヴォォォォアアアアアッッッ!!!」
怒りをあらわに咆哮すると、私もルーグも攻め気よりも、怖気の方が勝ってしまう。
「ルーグ、このまま攻める?」
「……」
私の問に、ルーグは咄嗟に応えられなかった。
ルーグの心中も、判断がろくにつかない程に動揺と焦燥に支配されている。
「……っ!」
私は、まだ弾が入っている弾倉と予備弾倉を入れ替えると、怪物の首を狙って二度引き金を引いた。
短い銃口から放たれた弾は、二発とも狙った首からは逸れ、胸元と僧帽筋へと命中した。
弾頭が鋭く加工された貫通弾は、名の通りの威力を示す事は無かったが、それでもスチールエイプの身体に突き刺さり、鈍色の体毛に包まれた身体から赤い鮮血が噴き出した。
「ヴオオオオオオオオオッッ!!!」
スチールエイプからは、痛みへの怒りや、私達への殺意よりも少なくない動揺が感じられた。
普段、鉄壁の防御を誇っていた体毛の防御が、多少の傷とはいえ破られた事に、少なくない驚きと恐怖を感じている様だ。
「ルーグ! ルーグも貫通弾で!」
「あ、ああ!!」
ルーグも焦りを見せながら、貫通弾を伴った銃撃の嵐を再びスチールエイプへと撃ち込んでいく。
ルーグの銃撃もやはり痛撃には程遠い様だが、ルーグの二発の貫通弾によって、また二筋の鮮血がスチールエイプから流れ出す。
「ガアアアアアッッ!!」
咆哮したスチールエイプは、ルーグから逃れるように私へと突進してくる。
私は銃口をスチールエイプに向けながら、横に跳び躱そうとしたが、スチールエイプは私の銃口も避けるようにして、そのまま走っていく。
「あいつ……逃げたぞ!」
ルーグが、多少の安堵とともに叫ぶ。
「追うよ! あっちは……!」
スチールエイプが逃走した方向は山頂……ザルカヴァー王国との国境線がある方向だ。
あんな手負いの怪物を取り逃がして国境を渡らせたら、小さくない問題が国に起こる――!
懸念していた筈の最悪の事態というものは、懸念していただけでは起きてしまう事を、私はこの日、その身に覚えさせられた。
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