〈エピローグ〉「君を私の手の中に」

 あれから四年が経った。


 高石のおっさんの強引な整形手術のお陰で顔が変わり、世間的には『若林一郎わかばやしいちろう』と呼ばれることになった。闇の人脈を使いこなすおっさんの手腕は恐ろしいものがある。


「おい、一生いちお」おっさんは人前以外では俺を一郎ではなく一生と呼ぶ。いい加減止めてほしいのだが。その名前は借りもんだから捨てたはずなのだ。

「へいへいなんでっしゃろか?」と俺はこたえる。最近慣れすぎてめた口調が出てしまう。しかし、おっさんはそれを気にしていない…部下が出来て嬉しいんだろうか?前は1人だったからな。

「明日休みやるから撫子ちゃんに会ってこい」おっさんは撫子ちゃんには激甘だ。

「いや、別にしょっちゅうメシ食いますし。敢えて会う必要なくないっすか?」あの世話焼きさんはしょっちゅう俺の家にメシを作りに来る。いい加減、歳が歳だから家に上がり込むのは止めてくれって言ってるんだけどな。

「あのな、明日新しい設備入れんだよ。で。仕事は出来んから休みなの」とおっさんは言う。

「は?んな金あったんすか?で?何を入れる予定で?」化学絡みとかは割と揃ってるんだけどな。後工作機械もなんやかんやある。それのペイも済んじゃないはずだかなあ。おっさん、新しもの好きで色々入れたがりやがる。

「バイオ絡みをどかっとな。いい加減あの資料を活かす時なんだよ」萌黄の遺した資料は内容が内容なので―使われずに腐っていたのだった。

「お。ついにやります?クローン」と俺はいてみる。

「いいや。それは良い」

「金になりますよお〜」と俺は思いと裏腹の言葉を吐く。クローンなんてこの世に無いほうが良い。こと人類のクローンは。結局。いつだかのCCーコピーキャット―みたいな事になっているのだし。人類がうようよしてる地球にこれ以上命は必要ない。自然発生するもの以外は。

「お前みたいな失敗作見てるとやる気無くすんだわ」とおっさんは一刀両断。

「じゃ遺伝子の改造?ありふれてるから金にはならんすよ」ここ数年で生体に対する遺伝子のノックインもメジャーになりつつある。金持ちだけの霊薬ではなく、庶民にまで行き渡ってる。その功罪が現れるのは―数世代後だろうな。

「ま。方向はそっちだな。生体へのノックインの効果を高めてみたくてよ」生体への遺伝子のノックインは―あまりクリティカルな変化をもたらさない。元からある膨大なコードを多少いじったところで生体レベルの大きな変化を生み出すのは難しい。もしそれがしたいなら、受精卵の時に徹底して改造しなくてはならない。

「生命力強化●●ザでも作りたいんすか?」と俺はふざけて訊いたのだが。

「おうよ」とこたえられてしまった…


                 ◆



 時はあっという間に過ぎていく。


 わたしは中学生になった。相変わらず友達は少なかったりするが、一生さんと出会う前よりは増えた。

 お母さんのことは―相変わらずだったりする。現実はうまくいかない。前よりはしゃべるようになったりしているのだけど。やっぱり距離はつめきれない。わたし達2人の間には大きな溝があるから。


 日々はゆっくりと、でも着実に進んでいる。自分の体を見るとそう思う―そう。この日記は何時かに書いた性の目覚めの続きだ。ちなみに。えっちな事を書こうと言うのでは無い。


 一生さんは変な人で。よく哲学とか宗教とかをからめた思想めいたものを考えているのだけど。キリスト教の異端派、グノーシス主義が気に入っているらしい。 

 そのグノーシス主義にるならば―性を自覚することは自らを覚知かくちするのと同義である。

 聖書の中では『知る』という言葉が性交と同義に扱われる事が多い。例えばアダムはイヴを知った、なんて具合に。

 原初―人は男女おめであった。それが完全たる神の証だった。しかし、愚かな人類は2つの性に別れた。キリスト教正統派では男に似せて女が創られるが、グノーシスの教義ではそうではない。


 性交とは―分かたれた完全性が元に戻る行為である。だから私達はそれを望んでしまう。そしてその行為の先には子が成るという奇跡もついてくる。


 だからまあ。性は恥ずべきものではなく『知る』事なのだ。とりもなおさず。

 そして私達は『知る』事で完全へと向かおうとする。

 アダムとイヴは『知恵』の実を賢い蛇に唆され食べ、お互いに欲情し―楽園から追放されるが、それは完全性へと向かう第一歩であり、祝福されるべきことなのだ。


 ―とか。つらつら書いてみたけれど。

 とどのつまりわたしは一生さんが好きだ。そしてそれには性的な欲情が伴っている。

 今はまだ中学生でまだまだ犯罪だけど。後6年くらいしたら、世間の目は気になれど遠慮なく彼に向かう事が出来る。

 

 私はインプリンティングみたいに彼を好いてる。それは愚かなことなのだろうか?

 いいや。彼はわたしの片割れなの。

 代わりとして産まれた私達。その人生は祝福されたものではなかった。

 でも。わたし達は出会い、『知った』―性的にはまだ―、に。

 今はお互い自分の問題に折り合いをつけちゃったけど。わたし達は同じ孤独の中で産声をあげた。彼はインキュベーターで育ったクローンだけどそんなの関係ない。彼の『彼』はわたしの『わたし』と共に産まれ、分かたれた。


 だから。 

 わたしは一生さんが好き。彼の中に思い出の彼女が居ることは知ってはいるけど。関係ない。私のほうが近くに居るのだ。物理的にも心理的にも。


                 ◆



 久しぶりの休日と公園。そこには萌黄色もえぎいろの植物にふち取られた光が満ちている。

 俺と撫子ちゃんはここで運命みたいに出会った。いや、俺は運命という言葉は嫌いだが。そうとしか形容出来ない。


 撫子ちゃんがほんのり俺を好いてるのは知っている…と言うか知らざるを得なかった。

 だって。ありとあらゆる手段で俺に近づいてくるんだもの。これで気づかなかったら木石ぼくせき呼ばわりされるに違いない。

 

 だが。俺は彼女の気持ちに応えられない。

 世間的な目が気になるとか、見た目が気に食わないのではない…撫子ちゃんは後で気がついたが美人さんだ。芯の通った雰囲気がある。

 アイデンティティが整理されつつある『俺』の中には未だに彼女…萌黄が居るのだ。母としてではなく、本物の呉一生くれいちおが愛したであろう彼女の影がある。それは俺の存在に大きく被さっていて。

 この感情に意味が無いことは分かっているつもりだ。彼女は相変わらず姿を見せぬまま。多分―亡くなっているに違い…ないのだ。

 人の存在は皮肉なもので会えなくなると輪郭りんかくが強まる。

 そう。俺は彼女にもう一度会いたい。どうしても。

 これを。執着と呼ぶ事は知ってはいる。かつての萌黄が貫かれ―決別した感情。

 あいつは賢かったらしい。感情という罠をかいくぐり、決別出来たのだから。

 一方俺はそんなに賢くないらしい。その感情というトラバサミにしっかり捕まってしまっているのだから。

 

 高石さんはバイオ関連の機材を買い集めた。今頃搬入されているだろう。

 これは。ああ。チャンスなのだ―彼女を黄泉返よみがえらせる。



                   ◆

 

 

 なんやかんやの結果―私達は野球場の外野席に居るのだった。

 相変わらず野球のルールは知らないけど、この雰囲気を味わいに来た。

 一生さんは久しぶりのデート―彼は認めないだろうけど―なのに浮かない顔。何かに気を取られているのは明白で。とりあえず祭りの雰囲気にてておこうと思ってココに来た。


「お。試合、始まったばかりじゃん」2回スコアはゼロゼロ。

「…ん?そうだな」と気のない返事。一体何を考えているのだろうか。

 マウンドの上のピッチャー。緊張した面持ちがスコアボードのヴィジョンに映る。

「調子悪いの?」私は訊く。クローンである一生さんの体は何が起こるか分からないから心配だ。無いとは思うけど羊のドリーみたいにテロメアが短縮してないといいんだけど。

 ピッチャーは幾度か顔を振った後、投球フォームに入る。右肩が後ろに下がり始める。

「いんや。健康そのもの」そっけない返事。

「なら良いけど。ねえ一生さん?賭けしない?晩ごはんのメニューを賭けて」昔はわたしが提案する側じゃなかった。

「…ギャンブルはあかんのちゃうんかい」と一生さんは適当な返事。

 ピッチャーの腰が後ろにひねられて行く。

「良いんだよお金じゃないんだから」とわたしは言う。本当は良くないけどね。一生さん元気ないから。

「そ。んじゃあ。今攻めてるチームに賭けようかなあ」

 左脚が地から離れるピッチャー。

「ずるい。ま、良いかな今日は」

「らしくないねえ、ずりいって言われるかと」

 そして右腕は振りかぶられる。腰のひねりを加えて。脚は前に突き出され。

「今日は許してあげる」と私は言っとく。これで少し気が紛れるといいんだけど。

 球はマウンドの上を疾走はしる。キャッチャーに向かって。

「いつもこれくらい優しいと良いんだけどなー」なんて言う一生さん。それじゃ私が厳しいみたいじゃんか。

「私は優しいはずなんだけど」とかむくれてみる。貴方のご飯の大部分を作ってるわたしを無下むげにはできまいて。

 ホームベースに球が至る頃。木と革がぶつかる鈍い音―

「おおぅ打ちおった」ホームランである。ああ、賭けは負けるかも。まだ試合は始まったばかりだけど先制弾は試合を大きく動かすに違いない。

「一生さんさ…なんか食べたいものあるの?」と訊いてみる。勝負はこれからだけど、彼の好物を把握するのは悪くない。

「今日は…天ぷらとか熱いな。あの揚げたてを席に持ってきてくれる店とか」一生さんはあの店の重度のファンだ。

「まあ、ありっちゃあり―」


 放物線を描いたボールは球場という世界を空中散歩していたけど、いつか重力に負けて落ちてくる。

 それがわたし達の方にむかってきおているのが気になったけど―まさか。

 視界の端の方に白い球が見える。

「撫子ちゃん、手ぇ、伸ばせ!!」傍らの一生さんがそう言っているのが聞こえる。わたしは席から腰を浮かせて―両手を落ちてくるものに向ける。そしてそいつを挟み込む。


 気がつけば。

 球は私の手の中に。世界を散歩していた孤独な白い君がわたしの手の中に。

 ここにメタファーを見ていけない理由があるだろうか?


                 ◆

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