〈9〉信じる

 撫子なでしこちゃん

 今、俺は夕食待ちついでにリビングでプードルのこうくんと遊んでいるのだった。最近俺に慣れきった彼は鼻をならしつつ腹を見せてる。俺は腹をワシャワシャしてやる…

「ほーれここかいな?こうくんや」なんて俺は可愛いものを前にするとジジィみたいな口調になってしまう。

 こうくんは体をクネクネさせてきゅんきゅん言ってる。えらい懐かれたな。というより、彼が人懐ひとなつこいのだ。多分―孤独な撫子ちゃんの相手をずっとしてきたからだろうな…


 俺は彼女の『何に』なら成れてやれるんだろう?ふと考える。友達かな…しかし歳は親子にちかいくらい離れている。じゃあ兄弟?いやいや。んじゃあ?なんだ。親ではないし恋人か?いやアホちゃうか。

 俺は―こうくんを撫でくり回しながら考える…

「―大学付属病院再生医療プロジェクトスキャンダルの続報です…」ん?久しぶりだなこのニュース。俺に関することなのでこうくんの毛を指にからめながら聞き耳を立てる。

「このスキャンダルの関係者の中で―何故か幾度も浮上していた名前、『呉一生くれいちお』氏の身元が判明しました」マズい。こいつは非常にマズい。キッチンはリビングと繋がっているのだ。


「呉一生氏は2035年の交通事故で意識を失った後、―大学付属病院付属のホスピスに収容されていました。しかし、その名前は残存する書類の一年前から急浮上するようになり、遺伝子組み換え人類との関連が疑われていました…弊社へいしゃ報道班は彼の親類を独自に調査しておりましたが―先日、彼の弟を名乗る人物との接触に成功し―」TVの映像はスタジオからウェブ会議システムの録画に切り替わる―

「兄は…もう存在してません。火葬も行っており、骨壷は実家にあります。なのに、何故このような形で名前が再浮上してきたのか、再生医療プロジェクトに関わったのか分かりません…」少し老けたあきら―一生の弟―がインタビューに一部嘘を交えて答えてる。アイツは萌黄もえぎの企みを知っている。やったことも分かってる。何故なら俺を発生させた受精卵は顕ベースなのだから。アイツはえて黙ってやがる…

「…このようなインタビューに応じたのは、今後報道者の方が私に一切関わらないようにする為です。私は現在、海外に居り、本件には関与してません」恐らく報道サイドから圧力がかかり、耐えかねたアイツは一度切りという約束で出演でたんだろう。しかしそいつは悪手だ。『そういう』疑念があることを世界中に発信しやがった。ああ。これは。マズい。


「一生さん?」とキッチンから声。撫子ちゃんだ。料理を作る手を止めてリビングに出ようとしてる―ので慌ててチャンネルを変えた。

「あ?」とこうくんの頭をわしゃつきながら応える。

「なんかあった?」聞こえていたか否か―分からない。

「いいや」と俺はごまかしたのだった…


                   ◆


 撫子ちゃんとの夕食は気まずい沈黙に覆われた。今日のメニューは骨付き鶏もも肉のソテー。胡椒が振られていてスパイシーなのだが、どうにも味を上手く感じてない。

 テーブルの下では味つけしてない鶏ももの切れ端をフンフン言いながら食べるこうくんが居る。良いよなあ、お前はのーてんきで。

「…」

「…」お互い鶏ももにむしゃぶりつくフリをしているのは明白だ。どちらかが沈黙を破らねばならないのだが。俺は喋りたくないし、撫子ちゃんはどう切り出すか悩んでいるのだろう。


「―ねえ一生さん?何か隠してない?」おう、それは浮気した旦那に使うセリフだぞ?まったく、君は何歳なんですか?

「大人には色々あんの…恩人の君に言うことじゃないけどさ」と俺は言い訳と共に黙秘権を行使してみる。

「ふぅん…?」と撫子ちゃんは手に持った鶏ももを振りながら言う。嫌な間の置き方するんじゃないよ…

「俺は確かに訳アリだが―うん。悪い人じゃないよ」邪悪ではない。存在のあってはいけなさを問われたら困るが。

「そだね、悪い人じゃない、むしろお人よしさんだ」と撫子ちゃんはほのかな笑み。

「悪を行うにも器量が要る…俺は阿呆だ。知恵は回らない」一般論での逃げ。話の展開をなんとか変えたい。子ども相手ならどうにかならんか?


「…わたしは。貴方あなたを信じる」と撫子ちゃんはつぶやく。少し切なそうに。

「…それを信じて良いのか?俺は?」と本人に問うてしまう俺。アホか。そういうのはモノローグでやれ。

「信じられないなら。私の秘密も教えるよ?どう?」という彼女は歳下に思えない…いや、年上だけど。何だろう、妙に大人びていて。少しドキドキしてしまう。

「…高石のおっさんに大体は聞いてるぞ?」と俺は白状してしまう。

「おじさん心配性だからなあ…そっか。でも話はそこで終わらない」と彼女は言う。

「…続きをどうぞ」俺は促してしまう。それは一つの道を歩み始めた事を意味する。俺は彼女を信じてみよう…


 彼女は語る。彼女の家のこと。

 幸せな家族。そこにあるかすかなひずみ。それはあかねちゃんの病気。そして。母親が茜ちゃんに自己を投影し可愛がっていたこと。茜ちゃんの遺伝病が発覚してから産まれたのが撫子ちゃん。その目的は―分子マシンによる補充療法で対処できなくなった茜ちゃんの病気の治療のためだ。配列の近い遺伝子プールを増やし、エラーを起こした茜ちゃんの遺伝子に新しい遺伝子を供給するため。

「そう。私は望まれて産まれた訳じゃない、少なくともお母さんにとって」彼女は平板な顔でそう言う。

「…否定してやれんのが申し訳ない」と俺は言う。まだ情報が少ない。あくまで彼女の証言だけだ。

「良いよ…でね。私は家族の中でも独りぼっち、そして学校でも独りぼっちだったのね」

「お父さん、居るだろ?」と俺はかずにはいれない。

「お姉ちゃんが居なくなった辺から喋ってないよ。多分お母さんとのあの言い合いで気がついちゃったんだよ。もしかしたら自分もお母さんと同じことを考えていたんじゃないかって」そんなの…タラレバ論だ。それにそういう考えが一瞬上ってしまうのはよくある事だ。

「誰だって望んでる事と逆の事をふと考えてしまうことはあるさ」慰め。逃げだ。安くて心には響かないだろう。

「だけどさ。今になってもフォローはない…むしろ避けられてる。それがお父さんの答えだよ」そういう彼女は泣きそうだ。こんなの子どもがしていい表情じゃない。

「そうか」これを言うのが精一杯。

「…だからさ。わたしはいつしかひとりで喋る癖がついちゃってさ」

「俺もよくやるから気にすんな…ていうかみんなやる」言葉は相手が居ないと成り立たないのだ。

「それはただの独り言じゃん?わたしのは―もっと酷い」

「酷い?」

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