〈1〉母の授けたもの、彷徨う自動人形(オートマタ)

 この地球の上をうごめく人たちの母、そのおやは誰なのだろうか?現世人類はごく少数の祖先たちに収束していくので網目のように広がったそれはいずれ真ん中の女性にたどり着くだろう。


 『』は自己増殖をしながら世界のふちへと手を伸ばす。そこに論理なんてものはない。正しいとか間違っているとかは暇人の論理なのだ。


 俺は産まれた。

 1人の女性の執着により。かつて失われた者のオルタナティブとして。

 彼の存在を事で世界に繋ぎ止められた。いや、『俺』は『俺』だけど。

 今日も元気に世界を生きてる。しかしその生活は決して華やかではない。だって逃亡生活なのだから。

 眼の前には海。青っぽい灰色のそれは荒れ狂いのたうってる。その先には朝鮮半島がうっすら見える。

『海は広いなー』と習ったはずもない童謡どうようが口をつくのは何とも不思議だ。俺はある人物の記憶データを基にアイデンティティが作られた。簡単に言うと彼の残りカスみたいなもんだ。

「ふんふんふふーん」歌の続きは覚えてなったのか出てこない。そこに皮肉を見るのはやり過ぎだろうか。出来損ないだから…肝心な事は覚えていない。

「そんな事はない」と空耳。俺の首元から下げているロケットを授けた―俺の母みたいな存在の言葉だ…そのロケットの中には色々とが入っていて。彼女は俺に何かを託して何処かに消えた。まったく、何をしてくれてんだか。


萌黄もえぎ…お前は無茶振り好きだよなあ」と『俺』は海と空を相手に独り言。

「君ならなんとかなる」と無責任な彼女の言葉が俺の頭に響く。根拠のない肯定ほど虚しいものはない。

「戸籍もねえ、金もねえ、オラこんな人生嫌だあ〜」と某曲のパロディを口ずさみながら俺は海の水際みぎわに近づいていく。そこには波が押し寄せていて。

 このまま海に突っ込んでやろうかとも思わないでもない。

 俺の存在は母―萌黄もえぎ―の言葉と裏腹ににあってはならないものだ。心理的にそう言っているのではなく。


 クローン。その最も根本的定義はオリジナルと同一の塩基配列DNAを持つ細胞集団であること。その細胞集団が集まり組織化されれば生物になる。

 しかし。

 その存在は酷く曖昧で。なんせ生物の遺伝子の発現は一定ではない。時と共に変わっていく。同じものは二度と現れないと言っても良いかも知れない。

 だから。俺は呉一生くれいちおではない。『呉一生』自動人形オートマタだ。

 あくまでオートマタ。俺は人ではない。人ではあるが『その人』―呉一生―ではない。

 自らの定義が曖昧なら、定義し直せ。俺の頭の中の賢いやつは言う。一から創り直せばいいじゃないか?それをしていけない理由はどこにある?神を気取るなとか言う阿呆あほうはほっとけ。

 いいや。俺は彼に成りわった。その思考システムを受け継いだ。そこから離れて思考するのは大変に難しい。俺のもう一方の賢いやつはそう言う。

 まったく。母に似てジレンマやアンビバレントが好きらしい。お陰で人生で立ち止まりがちだ。

 しかし責めてくれるな。。来年で二歳…


                 ◆


 この日本の西の端の方にあるデカイ島の北の端の街は―カオスだ。

 もともと立地的に大陸に近いこともあり、昔から多国籍な色彩を帯びているのだが、俺―呉一生―が眠っていた10年前くらいから大陸の企業や欧米系の企業が進出しまくったのもあり、今や日本の中でも有数のカオスタウンと化しているのだった。

 神功皇后じんぐうこうごうや豊臣秀吉は大陸を切り取ることを目的としてこの島に降り立ったものだが、皮肉かな、いまは切り取られつつあると言っても良いかも知れない。


 そんな訳で。

 俺のような根無し草の逃亡者にとっては大変に居心地が良い。俺の事を気にする原住民なんて者はいないのだ。みんな根なし草。

 その街随一ずいいちの繁華街を俺は歩いている。ちょっと前までは足取りが危ないものだったが、萌黄のあのプログラムのお陰か今やシュタシュタ歩ける。


「仕事…探さんとなあ」と独り言が出る。路銀がつきだしているのだ。

 こっちに来る前の怪しい仕事で稼いだ金はあっという間に消えた。何なら初めての街に浮かれてグルメツアーをやったせいかも知れない。街を知るならモノを食え…誰の言葉か知らんが呉一生はそう思っていたらしく、あふれる食欲はラーメンや天ぷらやうどんに向かっていったのだった。

 そんな事を思い出したら…腹が減ってきた。ああ。思い出すんじゃなかったな。


                 ◆


 繁華街の真ん中の私鉄のターミナル駅の前にある公園までなんとかたどり着いた。

 公園というのは漂白者ひょうはくしゃのオアシスだ。誰でも受け入れてくれる点が素晴らしい。俺のような人もどきもとい自動人形だって公園の植え込みの端っちょに座る権利があるのだ。

 植え込みの淵から見る公園は祝日なのもあり賑やかだ。中央の方ではイベントをやっているらしく人だかりが出来てるし、遊具の周辺には親子連れが溜まってる。目立たない方では若者達がたむろして時間を無駄にしている。

「平和だなあ…腹が減っている事を除けば」と俺はつぶやいてしまう。生物の宿命として食うもんが無いと阿呆アホになる。なんせ肉体の素が尽きようってんだから。

 人間、腹が極限まで減ると胃腸の蠕動ぜんどうすらなくなる。カチコチに固まって腹のまん中でねているのを感じる。ああ、一昔前なら近所のデパートで試食でも食ってたんだが。今やそういうのはないのだ。コスト削減の波は漂白者を迫害してくれるぜ。

「こうやって死んでいくのかね」なんて情けない言葉が口をつく。弱気になっているのだ。周りにいた人間は―不審者を見る目で俺を見る。いや済みません、極限状態なもので。

「…どうしたの?」小さな女の子がいつの間にか眼の前に居た。

「いや。そのセリフは俺のだ」と返す。

「私?遊びにきてるんだよ」と女の子は短い髪を弄りながら返す。友達や親は?

「…変な大人に構うなって習わんかった?」と俺は大人ぶって返す。歳は確実に俺の方が下なんだが。そこにシニカルな面白みを感じないでもない。

「ガッコーで習ったよ…ま、この街なんて変な大人しか居ないけど」歳の割に口が達者…見た目的に10歳くらいか?

「言えてるな」と返した時に…盛大に腹が鳴った。ぐううううう、と。

「…お腹減ってるの?」とかれる。恥ずかしい。

「ついでに金もないね」なんて言わんで良いことまで言ってしまったのは何でだろう?

「百円ならあるけど」子どもに金をたかる情けないおっさんの図である。

「…流石にそれはない」と俺の最後のプライドは魅力的な選択肢を潰した。

「じゃあ、飴玉あげるよ、ちょうど持ってたんだよね」とてのひらを突き出して来る少女。その中にはミルクキャンディ。

「これくらいなら―いいか。ありがとよ」と俺は受け取る。それと同時に彼女も去っていった。

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