第3話 違和感

階段と裏口の間にあって東西に伸びる廊下が野沢博夫と富美江の死亡現場で、その廊下の左手奥に浴室、洗面所、トイレが並んでいるということだった。


(間取り図参照)

https://kakuyomu.jp/users/henkei-p/news/16818093088675852972


そして廊下の右端にもうひとつドアがあり、台所に通じていた。つまり台所には居間に続くドアと廊下に出るドアの二つがあった。洗面所と台所のドアの上にはかぎが打ち込んである。


「この廊下の奥の方、洗面所の手前で亡くなっていたのが野沢博夫さんで、頭を西に向け、うつ伏せになっていました。背中の左側を小三徳包丁という小型の包丁で刺されていて、死因は胸部大動脈刺創による失血死と鑑定されています。そして凶器の包丁は遺体の足下の床に落ちていました」と説明を続ける山下刑事。


「その小三徳包丁も台所にあったのかい?」と島本刑事が聞いた。


「そうだと思われます。この家の住人がみな亡くなっているので、確認できませんが」と山下刑事が答えた。


「そして博夫さんより手前に同じ向きでうつ伏せで倒れていたのが富美江さんで、死因は首を後から手で絞められたことによる扼殺です」


「後から絞められた?」と島本刑事が聞き返した。


「扼殺の場合、司法解剖で被害者が前から首を絞められたのか、後から首を絞められたのかわかるものですか?」と一色が立花先生に聞いた。


「うん。指で強圧したところに扼痕と呼ばれる指の跡が残るし、首の皮下には強圧部に一致して出血や骨折が認められる。扼痕の数や位置から、前から絞められたのか、後から絞められたのか判別できるんだ」と立花先生が説明した。


「縦に並ぶようにして博夫さんと富美江さんが亡くなっていますが、どちらが先に死亡したのかわかりますか?」と聞く一色。


「博夫さんが刺されたのが先と考えられています」と山下刑事が答えた。


「なぜなら富美江さんの顔や体の前側に博夫さんのものと思われる血がたくさん付着してました。だから、博夫さんが刺されて、傷口から大量の血が噴き出て床にこぼれ、そこへ首を絞められた富美江さんが倒れ込んだと考えています」


「富美江さんの体に付いていた血が返り血ということはありませんか?」と一色がさらに聞いた。


「返り血と言うと、富美江さんが博夫さんの背中を刺したということかい?」と立花先生が聞いた。


「あるいは、刺したのが富美江さん以外の人だとしても、博夫さんの背中に刺さっていた包丁を抜いた時に噴き出た血を体に浴びたとか・・・」


「富美江さんの体の前側は血まみれで、返り血を浴びたかどうかの判断はできませんでした。ただ、近所の商店の人の話では、野沢さん一家はよく一緒に買い物に来ていて、とても仲睦まじかったそうです。富美江さんが舅を殺す状況は考えにくいです」と山下刑事。


「返り血が混ざっていたら、博夫さんの背中に包丁が突き刺さっているのを見た富美江さんが抜いた可能性の方がありそうだね。その直後に、おそらく播磨に後から首を絞められたんじゃないかな?」と立花先生が言った。


「いえ、播磨が富美江さんを扼殺したかどうかは確定していません」と山下刑事が言った。


裏口のドアを開ける山下刑事。ドアには釘抜きバールでこじ開けた跡があり、ドアの先には二段ほど地面に降りる階段が続いていた。


その先は裏庭になっていて三方が林で囲まれていた。階段の左手に古い木製の物干し台がある。そして裏口の正面の林の手前に苔むした小さなお地蔵さんがあるのに気づいた。


「播磨はこの階段から裏庭の方に倒れ込む形で死亡していました。死因は背中の左側を包丁のようなもので刺されていたことで、心臓にまで達していました」


「使われた凶器は何だい?」と聞く島本刑事。


「小型の包丁です。大きさは博夫さん殺害に使われた小三徳包丁と同じくらいと司法解剖で鑑定されています」


「三本目の包丁か?」


「同じ包丁で二人が刺されたんじゃないでしょうか?」と一色が言った。


「先ほどの山下刑事の話では、播磨は釘抜きバール以外の凶器を持っていなかったので、台所から柳刃包丁を入手したと考えられました。台所からなくなっている包丁は二本だけのようなので、二本目の小三徳包丁で播磨と博夫さんが刺されたのではないでしょうか」


「誰が二人を刺して、誰が富美江さんを扼殺したのかな?」と島本刑事が聞いた。


「そこがわからないところで、我々も頭を悩ませています」


「あの、ここに来る前に一色さんに、博夫さんの次男の方が行方不明だと聞いたのですが、その人が播磨を刺して逃げ出したんじゃないですか?」と私は聞いてみた。


「その可能性を我々も考えてみました」と答える山下刑事。


「播磨が博夫さんを刺し、その後で富美江さんを扼殺した。そこへ次男の和夫さんが来て、包丁を拾って播磨を刺した、と。でも、そうだとしたら和夫さんはなぜいなくなったのでしょう?家族を全員殺した播磨を返り討ちにしたのなら、逃げ隠れする必要はないでしょう?」


「和夫さんはどういう人だったのですか?」


「この家族の知り合いから聞いた話では、大学を出て就職した後で心の病にかかり、ずっとこの家に引きこもって暮らしていたそうです。滅多に家の外には出て来なかったようで、家族で買い物に行っていた商店の人も和夫さんはほとんど見たことがないと言っていました」


「和夫さんはひょっとしたら対人恐怖症で、事件があった家に警察官が大勢押し寄せて来るのが怖くて逃げ出したのかも。・・・でも、家の外だともっと多くの人に会いますから、この考えはおかしいですね」と私は自分の言ったことをすぐに否定した。


「殺人の順序と犯人は後で考えることにして、ほかの家族の死亡場所を教えてもらえますか?」と一色が尋ねた。


「では、こちらの階段を上ってください」と山下刑事は言って、廊下の手前の階段を上り始めた。私たち四人も後に続く。


階段を上がったところの突き当たりにトイレがあった。そして東の方向に一階と同じような廊下が続き、廊下の少し先に、チョークで人型が描かれていた。


(間取り図参照)

https://kakuyomu.jp/users/henkei-p/news/16818093088675852972


「ここで亡くなっていたのが博夫さんの妻の惠子さんです。頭はトイレの方を向き、やはりうつ伏せで死亡していました」


「死因は何でしたか?」と立花先生が聞いた。


「バットで後頭部を殴打されたことによる脳挫傷です。そのバットは階段を下りたところに転がっていました」


その廊下は家の中程で右(南)に曲がっていた。チョークの人型を踏まないように慎重に進んで曲がってみると、廊下の東側にドアが三つ、西側に二つ並んでいた。また、突き当たりにもドアがあった。


「まず、トイレに一番近い東側のドアの中は物置です」と山下刑事が言ってドアを開けた。


物置の中にはいろいろなものが雑多に置かれていたが、右手(南側)の壁際に幅が狭い階段があった。


「その階段は三階の屋根裏部屋に続いています。そちらは後でお見せします」と山下刑事。


「廊下東側の二つ目のドアは普段は客間として使っていたと考えられる部屋で、三つ目の一番南側のドアは、中に置かれている家具や小物から嘉夫さんと富美江さん夫婦の寝室と思われます」


次々とドアを開けてみせる山下刑事。どちらの部屋にも特に変わったところはなかったように思う。


「廊下西側の二つのドアは、北側が有美子さんの部屋、南側が博夫さんと惠子さん夫婦の寝室と思われます」


どちらの室内にも異変は感じられなかった。


「こちらはベランダに通じるドアです」と山下刑事が言って、廊下の一番奥のドアを開いた。


ベランダは一階のテラスとほぼ同じ幅、同じ長さで、外側を手すりが囲んでいた。私がベランダに出てみると、右側(西側)に金属製の比較的新しい物干し台が置いてあった。


「このドアから出た正面の手すりの上に有美子さんが体をくの字に曲げて倒れ込んでいました。死因は腹部打撲による内臓破裂です」


「ここから手すりに飛び乗っても内臓は破裂しないね」と立花先生。


「そうです。この真上の屋根裏部屋の窓から有美子さんは飛び降りて、あるいは突き落とされて、この手すりの上に落ちたのではないかと考えています」


私たちは頭上を見上げた。屋根裏部屋の窓は閉められているようで、よく見えなかった。


「次に屋根裏部屋に上がってみましょう」と山下刑事。


私たちは廊下に戻り、さっきのぞいた物置部屋に入った。そして山下刑事に続いて、南の壁際の狭い階段を上った。


上ったところは正方形の部屋で、正面の壁には何もなく、右手(北側)の壁に裏庭に面した窓がひとつ、左手(南側)の壁にドアがひとつあった。窓の大きさは一メートル四方ぐらいで、両開きになっている。


(間取り図参照)

https://kakuyomu.jp/users/henkei-p/news/16818093088675852972


この部屋も物置として使っているらしく、古い家具や箱類が乱雑に置かれていた。


ドアの方に向かう山下刑事。ドアを開けて入ったところはほぼ同じ広さの部屋で、正面(南側)にさっきと同じ窓があり、室内にはベッドや書き物机や箱類が乱雑に置かれていた。


「ここは和夫さんの部屋だったんじゃないかと思われます。一階にも二階にも和夫さんが寝起きしていた痕跡がなかったので」と山下刑事。


「そして事件発覚の日、この窓が開いていました」と言って山下刑事が両開きの窓を開けた。


「この真下が有美子さんが死亡していたところです」との説明を聞いて、私たちは順番に窓の下をのぞいた。


「ここから有美子さんが落ちたんですね?」と私は確認した。


「そうです。この部屋には当時争った形跡はなく、有美子さんが自ら飛び降りた可能性を考えています」


「なぜ飛び降りたんでしょう?」


「恐ろしい相手、例えば殺人犯に追いつめられ、下のベランダに飛び降りて逃げようとしたんじゃないでしょうか?当時、この部屋のドアも二階の物置のドアも開け放たれていましたから」と山下刑事。


私たちが一瞬沈黙した後、島本刑事が山下刑事に尋ねた。


「凶器についていた指紋は?」


「禎子さんを殺害した釘抜きバールと嘉夫さんを刺した柳刃包丁、それに惠子さんを殴るのに使ったバットからは播磨の指紋が検出されました。播磨は指紋には無頓着だったようです。博夫さんを刺した小三徳包丁は柄の部分にも血がべったりと付いていて、はっきりした指紋は検出できませんでした」


「やはり一連の犯行は播磨の仕業と考えられますね」と立花先生。


「そうですね。だから最後に播磨を和夫さんが殺したと思われたのですが、いまだに和夫さんの行方はわかりません。近隣の林の中も捜索しましたが、何の手がかりもありませんでした」


「・・・あの、この家に洗濯機はありますか?」と私が言ったので、全員がはっとして私を見た。


「え?・・・ええ、ありますよ。一階の洗面所の中です。それが何か?」と聞き返す山下刑事。


しかし一色は目を爛々と輝かせた。


「さすがは藤野さん!あの違和感に気づいたんだね!」


「どういうことだい?」と聞く立花先生。


「藤野さん、説明してよ」と一色が私を促した。


「洗濯機は一階の裏手にあります。そして裏庭に物干し台がありました。物干し台は少し古いものですが、壊れた様子もなく、普通に使えます」


「そうだけど、それが何でしょうか?」と山下刑事が聞いてきた。


「洗濯し終わった衣服を裏庭に持って行って、物干し台に干すのが移動距離が短くて楽です。それなのにこの家には、二階のベランダに新しい物干し台が置かれていました。なぜそんな洗濯機から遠いところに物干し台を置く必要があるのでしょう?いちいち階段を上って洗濯物を干しに行く理由がわかりません」と私は言った。


「ベランダの方が日当たりがいいからじゃないかな?裏庭だと建物の影になって乾きにくいだろう」と島本刑事。


「毎日、洗濯のたびに階段を上り下りするのは大変ですよ。ほかに物干し台がないのならいざ知らず、洗濯機から近いところに長年使っていた物干し台があるのですから」


「それに、観光地や避暑地だと生活感が出るのを嫌って洗濯物はなるべく表から見えないところに干すことが多い」と一色が援護してくれた。


「そうかな?ここは別荘地だけど、それほど人通りは多くないから気にしないんじゃないか?」と半信半疑の島本刑事。


「二階の物干し台は布団を干すのに使ったんじゃないかな?」と立花先生。


「重い布団を干すのなら、ベランダの手すりの方が安定していいですよ。物干し台だと物干竿が折れかねませんから」と私は言ったが、男性陣はいまいちピンと来ていないようだった。

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