第3話 診療所の妖怪(雪女)(1)

私は一月のある日、勉強疲れが出たせいか学校で体調不良になった。保健室で半日寝て回復したが、一色を含めた友人たちに心配させてしまい申し訳がなかった。


「熱はなさそうだけど貧血かもしれないから、一度病院でてもらった方がいいわよ」と、目覚めた後で保健の先生に言われ、翌日の午前中に受診することにした。


当時、同級生の須藤 みどりさんにお見合いの話が持ち込まれていた。まだ十八歳の須藤さんだが、昭和四十四年当時ならそれほど珍しい話ではない。


お相手は三十歳くらいの開業医だそうだ。年齢差があるので須藤さんが私に相談したことがある。そこでせっかくなので須藤さんのお見合い相手のお医者さんの診療所で受診することにした。


その診療所は古びた木造で、看板には「三澤医院 専門科:内科、小児科」と書かれていた。待合室に入るとおばあさんが二人とおじいさんが一人いる。受付で手続きをした後でしばらく待っていたら、年配の看護婦さんに名前を呼ばれた。


診察室に入って見ると、三十歳くらいというそのお医者さんは優しそうな顔をしていた。額は広いがはげているわけではない・・・ようだ。中肉中背で顔は普通かな?物腰は柔らかく、性格に難がありそうには見えなかった。


私はまぶたの内側、口の奥などを見られ、聴診器も当てられた。採血もしたが、その結果は後日出るそうだ。


「診察したところ、明らかに悪いところはなさそうだけど、何なら栄養剤でも注射しておきましょうか?」


「はい、よろしくお願いします」


左腕に注射してもらった後で、せっかくなので私はお医者さんに話しかけた。


「先生は最近開業されたんですか?」


「そうだよ。ここは父の診療所でね、僕は大学病院の医局に入って、患者の診察をしながら研究を続けていたんだ」と気さくに話してくれた。


「学位を取るための研究をされていたんですか?」


「博士号の学位はもう取ったよ。でも、そのまま医局に残って、ずっと研究を続けようと思っていたんだ。研究して新しい発見をして、それを論文にまとめることがしょうに合ってたみたいでね」


「そうですか。・・・それなのに大学病院を辞められたんですか?」


「父が急に亡くなってね、しかたなくこの診療所を継ぐことになったんだ」


「そうでしたか。お悔やみを申し上げます。・・・でも、患者さんには喜ばれたでしょうね?」


「それはどうかな?頼りないと思われているのかもしれない」


「いえ、私は診察していただいて何の不安も感じませんでしたよ」


私がそう言うとそのお医者さんは照れていた。そして私のカルテを見て、


「藤野さんは松葉女子高の三年生だね?」と聞いてきた。


「はい、そうです」


「同じ学年に須藤さんって子がいると思うけど知ってる?」


おおっ、逆に探りを入れてきたぞ。でも、良さそうな先生だから、当たり障りのないことを言ってもいいだろうと考えた。


「須藤 みどりさんならクラスメイトで、私の親友の一人です」


「どんな子ですか?」


「なぜ知りたいんですか?」その答を知ってるけど、本人がどう説明するか聞いてみたい。


「いや、・・・その・・・最近知人から話を聞いたことがあってね。ちょっと興味を持っただけだよ」


「明るくて活発ないい子ですよ。顔は私よりかわいいと思います」


「そ、そうかい?」お医者さんは純情なのか顔を少し赤らめた。一回りも年上だけどかわいく思えてくる。


「じゃあ、これで診察を終わります。一週間後に血液検査の結果を説明するので、もう一度来てもらえるかな?」


「わかりました。今日はありがとうございました」私は頭を下げて診察室を出た。


受付で受診料を払って診療所を出る。栄養剤を射ってもらったが、薬は出されなかった。


家に帰って母親に説明する。「特に異常はないみたいだけど、血液検査の結果を聞くために来週もう一度来てくださいって」


「何も問題なければいいわね」


その後、通学カバンを持って午後から登校した。まだ昼休み中だった。


「今朝はどうしたの?」と須藤さんに聞かれた。


「念のため、お医者さんに診てもらっただけよ。特に異常はないと思うって」


「それなら良かったわ」


私は須藤さんに耳打ちした。「あのお医者さんに診てもらったのよ」


須藤さんはちょっと顔を赤らめた。


「どんな人だった?」


「性格は優しそうで、頭は良さそうだけど年の割には純情そうだったわ。・・・あ、診療所には年配の看護婦さんしかいなかったから、そっちとの浮気はなさそう」


「そんなことまで聞いてないわよ」


「私が松葉女子高生と知って、みどりさんのことを聞かれたわ」


「ええっ?・・・それでどう答えたの?」


「性格と顔をほめておいたわ。お医者さんの方はまんざらでもない様子だった」


「ちょ、ちょっと・・・」と、普段は勝ち気な須藤さんが動揺していた。私は心の中でにひひと笑った。


「あ、あの、・・・いい話だと思う?」


「年の差さえ気にならなければいいんじゃない?・・・最後はみどりさんの気持ち次第だけどね」


その日はそれだけで話を終えたが、翌週になって須藤さんが相談したいことがあると言ってきた。


人に聞かれたくないらしく、二人で学校の廊下の端に移動する。


「どうしたの?」


「三澤先生のことなんだけど・・・」三澤先生?三澤医院のお医者さんのことか。


「この前生徒会長がいい人と言ってくれたので、お見合いの話を進めることにしたの」


「あら、そうなの?」


「ところが昨日になって、問題があるらしいって話が出たの・・・」


「問題?あのお医者さんの?」


「実は三澤医院に妖怪が出るってうわさがあるの・・・」


「よ、妖怪?」私はまたかと思った。本来ならここで悲鳴を上げるところだが、保健室で休んだ日以来調子がいいせいか、「妖怪」と聞いてもあまり怖さを感じなかった。


「この世に妖怪なんていないわよ。誰がそんなデマを流しているの?」


「生徒会長が冷静で良かったわ」と須藤さんが言った。私が怖がりだと知っているからね。


「実はね、最近よく夜中に雪が降ってるでしょ?」


確かに三学期になってからよく雪が降るようになった。積雪はほとんどないが、私が体調不良になった日も雪が降っていた。


「そうね」


「夜中の雪が降っているときに、三澤医院の前に雪女が立っているってうわさがあるらしいの」


「雪女?」


雪女はメジャーな女妖怪だ。特に小泉八雲ラフカディオ・ハーンの『怪談』の中に書かれている話が有名だ。


雪山で吹雪にあって小屋で一夜を過ごそうとする木こりが雪女に襲われる。しかし若い木こりは誰にも話さないことを条件に雪女に見逃してもらう。その数年後にその若い木こりはお雪という美女と結婚し、子どもをもうけた。木こりがお雪に雪女の話をついしてしまうと、実はお雪はその雪女で、約束を破った木こりと子どもを残して消えてしまうというお話だ。


「雪国でもないこんな町中に雪女ぁ?」と私はもう一度聞き返してしまった。


「私が見たわけじゃないからよく知らないんだけど、その雪女は赤ん坊を抱いているそうよ」


「へー」


「さすがに雪女だってうわさはぶっ飛んでいるから、三澤先生が過去に捨てた女が恨んで現れたんじゃないかってことで、私とのお見合いをやめたらって言ってくる人まで出てくる始末よ」


「う〜ん、あのお医者さんは女を捨てるような人には見えなかったけどね」


「仲人さんもそう言ってるの。そんな人じゃないって。・・・でも、変な女につきまとわれているとしたら、私まで恨まれるんじゃないかと両親が心配しているの」


「そういう心配はつきまとうわね。・・・で、私に相談ってのは?」


「生徒会長はこの前柴崎さんちに現れたろくろっ首の謎を解いてくれたんでしょ?」


「え?ええ・・・柴崎さんから聞いたの?」


「ええ。この前生徒会長が保健室で寝てた日があったでしょ?あの日は生徒会長が放課後すぐに帰ったので、教室に残っていた柴崎さんがみんなに、生徒会長にお世話になったって話をしてくれたの」


あちゃーっと思った。あの謎解きが本当に正しかったのかわからないのに。


「怖い話かと思って聞いていたら、生徒会長がロマンチックな真実を解き明かしてくれたって、みんなで感心していたわ」


「それが雪女の話とどう関係するの?」


「三澤医院に行って、雪女の真実を暴いて、三澤先生の無実を証明してほしいの」


「え?・・・そこまであのお医者さんにしてあげたいの?」


「私は別に三澤先生とどうしても結婚したいってわけじゃないけど、仲人さんの話を聞いていたら気の毒になっちゃって・・・」


私があのお医者さんをほめたせいで須藤さんはお見合いをする気になった。それが出鼻をくじかれて、何ともやるせない気持ちになったのかもしれない。


「でも、私なんかが三澤医院のことに口を出せないわ」


「そこは仲人さんを介して話を通しておくから」と言って須藤さんは手を合わした。


須藤さんにここまで頼まれると無下むげにはできない。


「今度、血液検査の結果を聞くために受診するけど、その日までに話を通しておいてくれたら、先方の話を聞いてもいいわよ」


「ありがとう、生徒会長!」そう言うと須藤さんは教室を早足で出て行った。電話でもかけに行ったのだろうか?


そして三澤医院を受診する日になった。


この日も学校を午前中に休むことは中村先生に言ってある。


朝九時過ぎに三澤医院に入り、受付をすませてしばらく待っていると、三澤先生に呼ばれた。


診療所に入ると、血液検査の結果が書かれた書類を出して説明してくれた。


「どの検査結果も正常だよ。貧血もなさそうだね。風邪だけに気をつけていればいいかな」


「ありがとうございました、先生。安心しました」


「ところで、藤野さんが母の相談に乗ってくれるそうだね。自宅の方で話を聞いてもらえるかい?」


例の雪女の話だと思うが、このお医者さんでなく、母親から話を聞くことになっているらしい。


「私でお役に立てるかわかりませんが、須藤さんが先生のことを心配していたので、話だけでも聞いてみます」


「ありがとう、藤野さん。よろしくお願いします」と言って三澤先生が頭を下げた。


ほんとうに偉ぶらない、いい人だと思った。

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