6 轢断死体の謎

「鹿児島県警からの相談事は、線路上に横たわっていた人が急行列車に轢断された事件だよ」と島本刑事が言った。


「・・・下山事件の話を思い出しますね」(第1章第16話参照)


「うん、列車事故の場合は、衝突にしろ轢過にしろ、重篤な損傷が生じることが多い。この事件もそうかな?」


私は震えながら、「それでどんな事件なんですか?」と聞いた。


「去年の十二月に宮崎県との県境近くの日豊本線で夜行の急行列車が線路に横たわっている人を轢いた。宮崎県都城市の市内から数キロ離れた山の中だね。死亡者は都城市に住む三十代の男性で、一人暮らしをしていた。こんな山の中でなぜ線路に横たわっていたのか不審に思われたため司法解剖が行われた」


「列車での轢断の場合は、目撃証言があれば外表検査だけで解剖されないことが多いんだ。ほとんどが踏切内での接触事故や、自殺目的と思われる線路への飛び込みだね」


「現場の状況と解剖結果から両手を上に伸ばしたうつ伏せ姿勢で線路の上に横たわり、両腕と両脚が轢断されたと考えられた。轢断部にはほとんど出血が認められなかったそうだ。それから後頭部を強打して脳が挫滅していた」


「線路の上に横たわっていたのに頭を打ったのかい?」


「解剖医の鑑定は、両手両脚を切断された時の衝撃で体が跳ね上がり、列車の車体底部で打撲したんじゃないかということだった。列車の車体底面を調べたところ、血痕が付着した部品があり、その形状が遺体の打撲痕とも合致したようだ」


私はなるべく遺体の状況を想像しないよう努めながら島本刑事に質問した。


「頭を打って即死したのですか?」


「そのようだね。・・・けっこうひどい傷だったみたいだ」と島本刑事は私の顔を見ながら言葉を選んで答えてくれた。


「即死なら轢断部に出血がなくても不自然ではありませんね。心臓が止まって傷から出血しなくなりますから」


「心臓が止まっていなくても出血しないことがあるんだ」と立花先生が言った。


「と言うと?」


「列車の重量は極めて重い。そして列車の車輪で轢断される場合、その部位は鉄製のレールと同じく鉄製の車輪に挟まれる。そのため人体は切断されるとともに押しつぶされて、強制的に止血させられる。だから死亡していないのに切断された両腕両脚に出血が認められなくても不思議ではないんだ」


私は卒倒しそうだったが、気をしっかり持って聞き返した。


「そうだとすると、両手と両足を切断しても、大量の出血が起こりませんから、死なないこともあるのですか?」


「そうなんだ。自殺目的で線路に飛び込んだのに、腕や足を失っただけで死ねなかったことがあったらしい」


「・・・それは、ある意味死ぬのより悲惨な結果ですね。鹿児島で亡くなった人は自殺目的で線路に飛び込んだのでしょうか?」


「解剖の後血液中のアルコール濃度を測定したら、血液一ミリリットルあたり二・五ミリグラムもあったようだ」と教えてくれる島本刑事。


「眠りがちになり、ほとんど動けなくなる濃度だね」と立花先生が説明してくれた。


「じゃあ、本人が線路に飛び込むことはできなかったんですね?」


「そうなるね」


「自殺は不可能。そして現場は住んでいる都城市から数キロ離れた山の中。・・・これって」


「うん、他殺が疑われる」と島本刑事が言った。


「現場は踏切から少し入った線路上で、カーブになっているところだった。夜だったこともあって線路に横たわっていた被害者を急行列車の運転手ははっきりと視認できなかった。突然車体に衝撃を感じたので急ブレーキをかけた。そして車掌と運転手がすぐに列車を降りて後方へ確認しに行き、轢過された被害者を発見した」


「犯人はいなかったのですか?」


「車掌と運転手は列車を降りた時に後方にかすかな光が見えたようだと言っていた。懐中電灯のような光だったけど、現場には誰もおらず、ほぼ同時に車が走り去る音が聞こえたそうだ」


「犯人が車で逃げたのでしょうか?」


「線路の横に道路が並走しているので、犯人の車かどうかはわかっていない」


「被害者が飲酒した場所はわかっているのですか?」


「行きつけの飲み屋で飲酒していたのを目撃されている。カウンターに座ってひとりで飲んでいたようだが、それはいつものことだったらしい。隣に座っていた男と話していた時もあったけど、ただ、その男はつまみを一品と焼酎のお湯割りを一杯注文しただけで、追加注文をしなかったから、店が混んでいたこともあり、店員はその隣の男の風体をはっきりと覚えていない」


「その男性が犯人だとして、飲酒した後被害者をつれて、車を運転して現場に行ったのでしょうか?・・・そうだとしたら飲酒運転ですね?」


「おかわりしなかったようだから、飲んだふりしていただけかもしれないぞ」


「だとしたら、飲み屋で被害者を物色し、適当な相手を見つけて酔いつぶれるまで飲ませ、車で運んで列車に轢かせたことになります。・・・何を考えてそんなまねを?」


「人殺しの考えることなんかわからないさ。快楽殺人犯かな?」


「そうかもしれないね。・・・特に恨みがない相手を線路上に突き飛ばして殺したのなら、法医学の実験じゃなくて、ただの殺人鬼と考えた方がいいだろうね」と立花先生が言った。


「実験の可能性はない・・・のかな、一色さん?どうしたんだい、険しい顔をして?」


「先ほど立花先生がおっしゃったことを考えていたんです。手と足だけが轢かれれば、死なない可能性があると」


「そうだけど」


「先生はそのような実例を見たことがあるのですか?」


「いや。話に聞いたことがあるだけで、実際にそんな被害者を見たことはないよ」


「犯人もそのことを聞いたことがあって、列車に轢かれて大けがを負っても死なないことがあるのかを実際に試してみたいと考えたのなら・・・?」


「前後不覚に陥った人を線路上に横たわらせて、両腕両脚だけがレールの上に乗るように配置したとでも言うのかい?・・・盛岡の事件のように、実験をするために殺人できるような奴なら、そんなひどいまねもやりかねないか」


「実験のための殺人も悪魔的な所業ですが、わざと死なないようにして両手両足を奪おうとするなんて、いっそう非道な行為のように思います!」私は思わず強い語気になってしまった。


しばらく三人の沈黙が続いた後、島本刑事が口を開いた。


「今日相談に乗ってもらった六件の事件だけど、一応おさらいしてみよう。最初は二月の北海道の凍死事件。車に乗る前から凍えていたんじゃないかということだったけど、これは法医学の実験じゃないよね?」


「北海道警の捜査結果を聞かないとわかりませんが、矛盾脱衣を実験的に再現できるか、実験した可能性もあります。考えすぎかもしれませんが」


「一色さんが言うのならその可能性を考えておかないといけないな。そして二件目は十月の岩手県の事件。地蔵背負いで絞殺した遺体を首吊りに偽装できるか実験した。三件目は四月の神奈川県の事件。木の下に水死体を埋め、屍蝋化しろうかが起こるか実験した。四件目は六月の奈良県の事件。首を切って殺した人の自殺偽装がわかるか実験した。五件目は八月の鳥取県の事件。自殺した女性を包丁を使って短時間で解剖できるか実験した。同時期の島根県の水死体の死体現象を用いたアリバイ作りも関係があるのかもしれないということだったね?そして今の六件目が十二月に起こった鹿児島県の事件で、列車に手足を切断させてなお生き残るか実験した。もしこれらすべての事件に同じ人物が関与していたとしたら、どういう犯人像になるかな?」


「法医学の知識がある人。法医学教室の関係者か警察官、医学生などでしょうか?」


「二か月に一回ずつ全国で事件が起こっている。警察に勤務している警察官がそうそう旅行には出かけられないよ」


「遺体や被害者を現地で見つけて行っていた実験だとしたら、一日や二日の滞在では時間が足りないでしょうから、少なくとも数日は休みを取らないと無理でしょうね」


「法医学教室に所属する教職員も同じだよ。司法解剖以外にも講義や研究などの仕事が毎日あるから、しょっちゅう休みは取れない。医学生だって講義や実習がある」


「となると、どこかの職場に常勤している人じゃないことになりますね」


「法医学教室の関係者だとすると、去年の十月に盛岡の地方集会に参加した時はどこかの・・・おそらく東北地方の法医学教室に在籍していたんじゃないかな?フリーで参加する人はまずいないからね」


「なるほど。その後法医学教室を辞めたということか?・・・立花先生、すまないが、十月の地方集会に出席していた法医学教室の関係者で、その後大学を辞めた人がいないか調べてもらえないか?」と島本刑事が頼んだ。


「わかった。知り合いの先生方に聞いてみよう」


「助かるよ。こっちは警察関係でその地方集会に参加し、その後警察を辞めた人がいないか調べてみるよ」


「これで被疑者が浮かび上がるかもしれないね。・・・同じ法医学会に所属していた人が犯人だったら、やり場のない気持ちになるけど」と立花先生。


「勤務先を辞めたやつが犯人だとして、少なくとも二か月おきに国内を旅行して、何泊かしていたことになるのか。いいご身分だな」


「自分のお金で旅行した可能性もありますが、仕事で全国を回っていたのかも」


「仕事で?・・・どんな仕事だい、一色さん?」


「例えば地方で売ってないような輸入品を、各地のお金持ち、例えばお医者さんなどに訪問販売するとか・・・」


「輸入品か。・・・どんな商品だろう?」


「そう言えば聞いたことがあるよ」と立花先生が言った。


「地方の大学の医局に輸入ワインの販売をするセールスマンが来るって」


「輸入ワイン?ケースごと持ち歩いて売っているのかい?」


「何種類かのワインを一本ずつもって医局を訪れるんだ。そして試飲してもらい、気に入ったワインを注文してもらったら、東京の本社から郵送するんだよ」


「なるほど。・・・以前大学の医学部に在籍していたのなら、そのコネで地方の大学の医局を紹介してもらえるのかもしれないな」と感心する島本刑事。


「その線も調べてみよう」と意気込む島本刑事。


「僕も知り合いの法医学の先生に聞いてみるよ。・・・臨床の先生には知り合いはいないけど、兄さんに頼んで全国の大学病院の耳鼻咽喉科の医局にワインを売りに来た業者がいないか調べてもらおう。さすがに大学病院以外の病院までは調べ切れないと思うけど」立花先生の兄の立花正樹先生は明応大学医学部の耳鼻咽喉科学教室に在籍している。


「十二月に鹿児島県、二月に北海道、四月に神奈川県、六月に奈良県、八月に鳥取県と島根県で同じセールスマンが販売に来ていれば、可能性は高くなりますね」と私は言った。


うなずく立花先生と島本刑事。


「それらしい人物がわかれば各道県警に調べてもらおう」


「ただ、これらの六件はそれぞれ北海道、東北、関東、近畿、中国、九州の各地方で起こっている。中部地方と四国で起こっていないのが気になる」と立花先生が言った。


「いずれどちらかの地方で実験をするつもりなのでしょうか?」


「根拠はないけどね。ただ、仕事で全国を回れる犯人なら、全国制覇なんて馬鹿なことを考えているのかもしれない」


「被疑者と現在の職場がわかれば、・・・仮にその被疑者が犯人だとして、次に起こる事件を防げるかもしれないな」と島本刑事が言った。


「起こるとしたら、今までの間隔から推測して、次は十月だね。少しだけ余裕がある」


立花先生の言葉にうなずく島本刑事。


「今日は思いのほか成果があった。二人には感謝し切れないよ。お礼と言うほどのものではない粗餐だが、晩飯を一緒に摂ろう。そして明日から動けばいいさ」


「そうですね」と私は同意した。


その時玄関から「ただいま」とみちるさんの声が聞こえた。


「ちょうど帰って来たな。晩飯の準備をさせるから、しばらくくつろいでいてくれ」と言って、島本刑事は奥さんを呼びに行った。




翌日から立花先生と島本刑事は精力的に各地方の法医学教室や警察署に電話で聞いて回ったそうだ。その結果、ひとりの人物が浮かび上がって来たと、後日立花先生と島本刑事に会った時に聞かされた。


「該当者は白神柏人しらかみはくと。陸羽医科大学法医学教室に勤務していた解剖技師で、去年の盛岡の地方集会が終わった後に個人的な都合・・・実家の借金か何かの理由で退職したらしい」


「技師?お医者さんではなかったのですか?」


「うん、工学部出身と言っていたかな。でも、地方集会や全国集会では熱心に学会発表を聞いていたそうだ。僕は話したことはなかったけどね」


「立花先生のお兄さんから、地方の大学病院に営業していたことも確認してもらった。借金を返すために東京のワイン輸入業者に就職して、セールスマンとして全国に営業に行っていたそうだ。大学の技師よりも給料がよかったのかな?」と島本刑事。


「該当者がわかれば事情聴取ができそうですね。まだその人が犯人と決まったわけではありませんが」


「各道県警に白神が関わっていなかったか調べてもらっている。ただ、そのワイン輸入業者に白神が在籍しているかを問い合わせたところ、そのことが同僚から白神本人に伝わったらしく、突然辞職して行方をくらましたそうだ。警察とは名乗らずに聞いたんだがな」と島本刑事が言い、私たちは顔を曇らせた。


「白神の関与が明らかになれば、全国に指名手配がかけられる。それだけが一縷の望みだ」

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