第22話 白骨鑑定の話

また島本刑事に誘われて、立花先生と一緒にいつもの小料理屋でご馳走してもらった。


「この前の長野県の事件だけどね、あの後、家の周りの土中を調べたら、家の裏から白骨死体が二体発見されたそうだ」と島本刑事が教えてくれた。


「現地の法医学教室での鑑定で、その男性は五十代の男性と三十代の女性だということがわかった。例の息子の父親と妻で間違いないだろうと言うことだった」


「そうですか。・・・悪い想像が当たってしまいましたね」


「現地の新聞で大々的に報道されたようだ。被疑者が既に死亡していたとはいえ、知り合いの刑事は本部長と刑事部長に褒められたと礼を言ってきたよ」


「骨を見て性別や年齢はすぐにわかるんですか?」と私は立花先生に聞いた。


「じゃあ、白骨死体が発見された場合の鑑定について教えてあげよう」


「お願いします」


「骨どうしは靭帯という組織で繋がっているけど、完全な白骨死体では靭帯はなくなってバラバラの骨として発見されることが多いんだ。その場合は解剖台の上で生前の形に骨を並べるんだ。頭蓋骨、脊椎、肋骨、骨盤、手足の骨というようにね」


「似たような骨でも左右のどの骨かはわかるんですね」


「骨の形に特徴があるからね。・・・で、何人分の骨があるかを確認する。複数人の骨が混ざって発見された場合は、骨の大きさや性別などで分けていくんだ」


「人数が増えるほど仕分け作業が複雑になりますね」


「そう。この時人間以外の骨が入っていたら取り除くんだ」


「動物の骨はすぐに見分けられるんですか?」


「骨の大きさや、骨の表面の隆起と陥没の位置や形状は、動物の種類によって違うんだ。どの動物の骨かは獣医学者でないからわからないけど、人間か人間以外の動物かはすぐに判別できるよ。一番わかりやすいのは頭蓋骨かな?」


「頭の骨ですか?」


「そう。人間の脳の重さは千三百から千五百グラムだけど、動物の中で最も賢いと言われるチンパンジーの脳は四百グラム程度、体の大きいゴリラでも五百五十グラムくらいしかないんだ。だから頭の上の頭蓋冠と呼ばれる部分は人間がダントツに大きくて、他の動物は小さいんだ。逆に顎の骨は動物の方が遥かに発達しているけどね」


「脳の発達が人間の一番の特徴なんですね」


「そういうこと。それから人間は二本足で出歩くけど、動物はたいてい四本足だから、骨盤などの形状も大きく違うね」


「よくわかりました」


「人間とわかったら次は性別の見分け方なんだけど、一般に男性の骨の方が女性の骨よりも大きくてごつごつしているんだ」


「男性の方が女性より体格が大きいことが多いから、骨も大きいというのはわかりますが、ごつごつしているのはなぜですか?」


「骨はね、筋肉の支持体でもあるんだ。筋肉が収縮するとその力が骨に伝わって関節を曲げたりする。骨の筋肉が付いている部位には常に力がかかるから、その力に対抗できるよう骨が盛り上がってくるんだ。一般に男性の方が女性より力が強いからね、骨の盛り上がりも男性骨の方が顕著になり、女性骨よりもごつごつしているんだ」


「男性骨は大きくごつごつしている。と言うことは、女性骨は小さめで、より丸みを帯びているんですね?男女の外見のイメージ通りです」


「そういうことだね。見た目での識別だけでなく、骨の各部位を人類学的に計測して、計算式に当てはめ、計算値で客観的に性別を判定することもしているんだ」


「年齢はどうやって調べるのですか?」


「年齢によって差が出やすいところ、例えば歯のすり減り具合とか、頭蓋骨の縫合線の融合の程度、上腕骨の骨髄腔の高さなどから総合的に判断するんだ。きっちり何歳と判定することはできなくて、二十代前半とか、六十代以上とか、おおざっぱにしか推定できないよ」


「その次に身長を推測するんですね?」


「身長は手足の骨の長さと比例するから、大腿骨などの長さを測って計算するんだ」


「性別、年齢、身長がわかれば、行方不明者のリストの中から合致しそうな人を抜き出して、その人のより詳しい情報を調べるんだ」と島本刑事が口をはさんだ。


「そうして警察が調べ上げてきた該当者とさらに白骨の特徴を比較して本人かどうか特定するんだ」と立花先生。


「一番役に立つのは歯型だよ」


「歯型ですか?」


「うん。虫歯になったら治療するだろ?その治療の仕方が人によって様々で、歯医者のカルテに残っている記録と白骨の歯の状態が完全に一致すれば、ほぼその人だろうと判定できるんだ」


「じゃあ、歯医者には足しげく通って、最新の歯の状態をカルテに残しておいた方がいいんですね?」


「そういうこと。何十年も歯医者に通ってないと、未治療の歯が多くなって、同一人物でも昔のカルテの所見と一致しなくなるからね」


「歯型以外に身元の特定の役に立つものはあるんですか?」


「血液型は前に説明した解離試験を使って骨から検査することができる。それから生前の骨折の治癒痕があれば、それも個人を特定するいい根拠になるね」


「骨折の治癒痕ですか?」


「折れた骨がくっつくとその部分に膨らみが生じるんだ。骨折部を補強するようにね。だから完全に骨折が治った後でも、過去に骨折があったことがわかる。さらに金属製の器具で骨折部を固定する治療法があるから、整形外科のカルテと器具の種類を照合することもできる」


「骨折はしたくないけど、骨折したことが将来自分の身元を調べるのに役立つこともあるんですね・・・」


「身元不明の白骨死体にならない方がいいけどね」と言って立花先生は笑った。


「次は白骨死体になった人がいつ死んだかだけど、正確な死後経過日数はわからないことが多い。まだ新しい白骨死体なら死後一、二か月、またはそれ以上、骨が風化してぼろぼろになっていたら死後数年以上とかね、誤差が大きくなるからね」


「難しいものですね」


「一番わかりにくいのが死因だね。皮膚も筋肉も血液も内臓も残っていないから、病気や損傷や窒息や出血の有無などがわからず、死因は不明としか回答できないことが多いんだ。頭蓋骨骨折のような死因になり得る損傷の痕跡があれば別だけどね」


「中毒死もわかりませんか?」


「ほとんどの薬物、毒物は有機物だから、死体が腐敗する過程で分解されてしまう。骨から唯一検出できる毒物は砒素ぐらいかな?砒素は元素だから分解されないんだ」


「砒素中毒ですか?」


「うん。砒素は昔から暗殺に使われていて、中国の明代に成立した『水滸伝』にも砒素で毒殺する話が載ってるんだ。現在では毒殺に使われることはまずないけどね」


「要するに白骨死体の場合は死因が特定できないことが多いんですね?」


「そうなんだけど、去年発見された白骨死体では、運良く死因がわかったんだ」と島本刑事が口をはさんだ。


「どういう事件ですか?」


「郊外の河川敷で白骨死体が一体見つかったんだ。最寄りの人家から五十メートルぐらいしか離れていない所だったんだけど、草がぼうぼうと生い茂っていたので、白骨になるまで見つからなかったんだ」


「そんな事件があったんですね」


「その白骨死体には前頭部に一か所、後頭部に三か所の陥没骨折があって、ハンマーのようなもので頭部を殴られて死んだことがわかったんだ」


「死因がわかったのは良かったですね。人が亡くなっているので語弊がありますが」


「身元はさっき説明があった性別、年齢、身長の推定や歯型から半年前に捜索願が出されていた三十歳の男性工員だということが判明した。そしてその男が同じ工場に勤めている後輩の男性にしょっちゅう暴力を振るったり、金を脅し取ったりしていたこともわかった」


「その後輩に容疑がかかったんですね?」


「そう。さらに捜査を続けて、行方不明になる前夜に男性工員が後輩と会っていたことがわかった。そこでその後輩を尋問したんだ」


「それでどうなりましたか?」


「その後輩はすぐに白状したよ。その夜、勤めている工場に二人で残っていたら笑いながらナイフを突きつけられて、『金を出さないと刺すぞ』と脅されたらしい。後輩が断ると、ほんとうに刺そうとしてナイフを突き出してきたんで、とっさに近くの机の上に置いてあったハンマーをつかんで額を殴ったと供述した」


「殴られたのは一回じゃなかったですよね?」


「そう。額を殴られて工員はその場にうつぶせで倒れ、パニック状態になっていた後輩はさらに倒れている工員の後頭部を二、三回ハンマーで殴ったそうだ」


その状況を想像しないように私は頭を振った。


「その後後輩は工員の死体を夜陰に紛れて河川敷まで運び、工場の血の跡を消してから帰ったそうだ。この後輩を検事は傷害致死及び死体遺棄の容疑で起訴したが、弁護士は、『これは正当防衛である。後頭部を殴ったのは過剰防衛気味だが、日頃から工員に脅されており、その夜は命の危険を感じたのでやむを得ない行為だった。問われるべきなのは死体遺棄だけで、有罪となっても執行猶予をつけるべきだ』と主張したんだ」


「事情を聞けば後輩に同情してしまいますね」


「ところが有田教授の鑑定によれば、先に殴られたのは後頭部で、前頭部、つまり額は最後に殴られたらしいんだ」


「どっちが先に殴られたかなんて、どうやってわかるんですか?」と私は立花先生に聞いた。


「ハンマーで頭を殴ったとしたら、ハンマーの打撲部の面積と同じくらいの範囲の頭蓋骨が内側に陥没する。これを陥没骨折と言うんだ。さらに陥没部から放射状に何本かの骨折線が伸びる。・・・蜘蛛の巣みたいにね」


「はい。イメージしました」


「骨折部位の近くをもう一度ハンマーで打撲すると、同じような陥没骨折が生じる。そして放射状に骨折線が伸びるんだけど、二番目の打撲で生じた骨折線が最初の打撲で生じた骨折線に達すると、そこで二番目の打撲による骨折線は終わって、最初の打撲による骨折線を越えてさらに伸びることはないんだ」


「え?どうしてですか?」


「骨折とは骨に加わった外力で骨が割れることだから、別の骨折線、つまり骨が割れている所があると骨を伝わる外力がそこで途切れて、骨の割れ目の向こう側に外力が及ばなくなるからさ」


「なるほど。何度か殴られている場合は、骨折線どうしが合わさるところを見れば、打撲の順番がわかるということですね?」


「そういうこと」と立花先生。


「額と後頭部の骨折線が交叉する所を観察した結果、工員が後ろを向いた時、つまりナイフで脅されていない時に後輩が工員の後頭部を三発殴り、あお向けで倒れたところでもう一回額を殴ったという状況がわかって、正当防衛には当たらないと検事が主張したんだ」と島本刑事が言った。


「後輩が脅されて金を取られていたことは事実だったから、結局後輩は懲役何年かの比較的軽い実刑を受けたけど、執行猶予はつかなかった」


「そうだったんですね。加害者には同情すべき点もありましたが、それでも骨折の状況を調べて犯行状況が判明できたのには感銘を受けました」


その時仲居さんが入って来て、骨付き鶏もも肉のローストチキンを私たちの前に置いた。足先にはフリルが付いた紙製の持ち手が巻かれていた。


私はローストチキンを手に取ってかじってみた。骨が露出する。


「鶏のモモの骨が白骨死体のそばに落ちていたら指の骨と間違えそうですね?」


私の言葉を聞いて立花先生が笑い出した。


「鶏の骨は簡単に識別できるんだ」


「そうなのですか?」


「骨は表面の硬いところを緻密質と言い、内部はスポンジのような見た目の網目状の骨で構成されていて海綿質と呼んでいるんだ。人間の骨は緻密質が厚く、がっしりしているんだけど、鶏をはじめとする鳥類の骨は緻密質が薄く、その内部は空洞になっているんだ。断面の見た目がまったく違うからね、人間の骨じゃないことはすぐにわかるよ」


「今度骨付きの鶏肉を調理する時に、包丁で骨を切断して確認してみます」


「鳥の骨に空洞が多いのは、体重を軽くして空を飛びやすくするためだね。鶏は飛ばないけど、骨の構造は鳥の特徴を有しているんだ」


その話を聞いて島本刑事が鶏もも肉の骨を噛み砕こうとしていたが、うまくできなかったようだ。


「けっこう硬いな」


「一応骨だからね。中空だからと言ってそれなりにしっかりしているよ」


「あまり強く咬み過ぎると歯が砕けるかもしれんからやめておこう」と言って島本刑事は鶏もも肉を口から離した。


「人間は他の動物と違って顎が退化しているからね、咬む力も弱いんだ」


「人間にも退化しているところがあるんですね?」


「顎の退化は人が火を使って調理するようになったためだろうね。加熱して軟らかくなった食べ物ばかり食べるようになると、強い顎は必要ないからね」


「でも人間である私としては、骨を噛み砕けるような強い顎を持つよりも、おいしい料理を食べられる方が幸せに感じます」と私が言って、島本刑事も立花先生も肯定するように笑い合った。

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