第11話 千代子の帰省

立花先生の家を辞してから、その足で私は実家に向かった。電車を乗り継ぎ、やや内陸の私が生まれ育った町に昼過ぎに着いた。


そこから少し歩いて一軒の中華料理屋に向かう。そこが私の家だ。


入口の戸を開けて店の中に入る。


「ただいま」と声をかけると厨房にいる父と注文を聞いていた母が私の方を同時に向いた。


「あ、ち、千代子、お帰り」なぜか緊張しているような声を出す母。


「荷物置いたらすぐに手伝うよ。後で私の昼食も作ってね」そう言って私は店の奥にある階段を上って二階の自室に入った。


すぐに旅行カバンを置き、着替えずにそのまま階下に降りて行った。


お昼のピークは過ぎているが、まだお客さんが入って来る。私が「いらっしゃい」と言うと顔見知りの常連さんが、


「やあ、千代ちゃん。大学は楽しいかい?」と聞いてきた。


「うん、楽しいよ」と答えて水を取りに厨房に向かうと、また両親が私をじっと見ていることに気づいた。


私は「今日はなんか様子が変だな」と思いながらも、すぐにコップに水を入れて常連さんのところへ戻った。


「何にします?」とコップを置きながら常連さんに聞く。


「そうだな、今日は千代ちゃんがいるからラーメンとギョーザにビールを一本」


「昼間っから飲むの?」


「今日は連休の初日だからいいだろ?」


「それもそうだね。・・・注文入ります!ラーメン、ギョーザ、ビールを一つずつ!」


「お、おう・・・」と今日はなぜか歯切れが悪い父。しかしまたお客さんが入って来たので、父の様子を気にする暇もなく注文聞きに奔走した。


一時間くらい働いているとさすがに客が減ってきたので、母がカウンター席にチャーハンと卵スープを置いてくれた。


「千代子、お疲れさん。これを食べなさい」


「はーい」と答えて席に着くと、さすがにお腹がすいていたので行儀悪くがつがつと食べ始めた。


しばらくして人心地着いたので顔を上げると、両親がまた私を見つめていた。


「どうしたの?お昼、食べたの?」と両親に聞く。


「あ、ああ・・・。適当につまむから気にするな。それより帰ったばかりだろ。少し上で休んできな」と父が私に言った。


「じゃあ、お言葉に甘えて」と言って空になった食器を母に渡すと、私は二階の自室に戻った。そこで申し訳ないが、横になって探偵小説を開いた。


探偵小説を読んでいるうちにうとうとしていたらしく、気がついて時計を見たら、もう六時過ぎになっていた。


あわてて階下に降りると、両親が既にのれんを中に入れていた。


「あれ?もうお店を閉めちゃうの?」


「そうよ。連休だから今日は早めに店じまいして、明日は休もうと思ってるの」と母が言った。


「へー、定休日じゃないのに・・・」と思ったが、父はまだ厨房で料理をしていた。


「お父さんは?まだ料理しているの」


「千代子が帰って来たから、ご馳走を作るって張り切ってるのよ」と母が言った。


「へー」と思いながら店の片づけを手伝っていると、まもなく父が料理を何品か作って、テーブルの上に置いた。そのテーブルに家族三人で座る。


並べられた料理は、焼きギョーザ、麻婆豆腐、野菜炒め、カニ玉などだった。所狭しと並べられた料理を前に、父がビールの栓を抜いた。


「千代子、お前も飲むか?」


「私はまだ未成年だから、お酒は飲まないよ」と言ったら、母がミリンダオレンジを出してくれた。


コップに注ぎ合って乾杯し、料理を思い思いに食べ始める。うん、おいしい。昔から食べ慣れた味でとてもおいしい。


しかし両親はビールをちびちび飲みながら、あまり食べずに私の方を見ていた。


「どうしたの、お父さん、お母さん?」


「お前・・・」と父が言いかけたが、それ以上言わなかった。それを見かねた母がおもむろに口を開いた。


「千代子、昨夜はお友達の家に泊まってくると言ってたけど、そのお友だちって男性なんでしょ?」


私は思わず口の中のものを噴き出しそうになった。あわてて口を押さえ、何とか飲み込んでミリンダで流し込んだ。


「な、何でそのことを?」


「大悟が電話で知らせてきた・・・」と父がぽつりと言った。


「お兄ちゃんがね、千代子が最近年上の男性とよくお食事に出かけていて、昨日もその人と落ち合って駅に向かったって教えてくれたのよ」と母。


どうやら兄が以前から立花先生の存在に気づいていて、昨日も立花先生と一緒に電車に乗りに行くところを見られていたようだ。


「どんな男なんだ?」とちょっと厳しい声で私に質問する父。


「あ、あの、誤解だから・・・」と私は断って、立花先生と出会ってからのことを、特に恋人とかそういう関係でないことを強調して説明した。


「だから、大学の先生だから、・・・その、友だちというのは正しい表現じゃなかったけど、心配するような関係じゃないから」


「昨日はその先生のご実家に泊まったのかい?」と母。


「うん」


「先生のご両親に紹介されたのかい?」


「うん。・・・先生のご両親とお兄さんとお兄さんのお嫁さん候補の方とお会いして、ご馳走してもらったけど、別に先生の彼女として紹介されたわけじゃないから安心して」


「しかしその立花先生って方はそう思ってないんじゃないのかい?」


「千代子は体が小さいから大人には見られないと思って安心していたが、案外そういう子どもっぽい娘が好きなやつかもしれないぞ」・・・先生もえらい言われようだ。


「とにかく、事件の話を聞いたり、一緒に考えたりしているだけの関係だし、先生もきちんとした人で変態じゃないから、安心してよ」


「まあ、開業医の息子らしいからまともに相手はされないだろうが、逆に遊ばれないよう気をつけろよ」と父がまだ心配そうな顔で言った。


これで一応両親の誤解は解けたように思う。立花先生は女性を弄ぶような人には見えないから、その点は安心している。しかし男女で連れ立って歩いたり、親しげに話をしたりすると妙な誤解を招くなと、改めて自分を戒めた。


翌日はお店はお休みだったが、両親はどこへも出かけず家でのんびりしていると言ったので、私は本屋で探偵小説を探そうと思って駅前の商店街に向かった。


するとちょうど駅前の通りで、一人の女子高生が私の名前を呼びながら走って来るのが見えた。


「一色せんぱ~い!」


駆け寄ってくるとそのままその女子高生は私に抱き着いてきた。


「は、浜田さん?」その子は後輩の浜田澄子さんだった。私と同じく探偵小説が大好きで、文芸部に入ってよく探偵小説の話をしていた。


「家に帰られていたんですね?」


「ええ。浜田さんも元気?」


「はい。毎日推理小説を読んでいます」顔を上げて私に微笑みかける浜田さん。


「先輩は毎日何をしていますか?」


そこで私は浜田さんの体を離すと、ミステリ研に入って、講義の後はそこで探偵小説を読んだり、同じ部員と感想を述べあったりしていることを話した。


「楽しそうですね。私も勉強を頑張って、二年後には明応大学に入り、ミステリ研に入部します!それまで待っていてくださいね」


「わかったわ。待っているから、勉強頑張ってね。・・・で、今は何を読んでるの?」


「今は原点に戻って、シャーロック・ホームズを読みなおしているんですよ。『シャーロック・ホームズの冒険』の中の『青い紅玉』でホームズが帽子からその持ち主の人となりを推理しますよね?あのような洞察力を身につけたいなって、最近は人を注意深く観察するよう心掛けているんです」


ちなみに紅玉ルビーと訳されているが、青い紅玉ルビーなんて存在しない。紅玉ルビーが青かったら蒼玉サファイアと呼ばれるからだ。ホームズの原題を忠実に訳すと青い柘榴石ガーネットになる。


それはさておき、「あまり他人をじろじろ観察しないでね」と浜田さんに注意する。


「例えば今駅から出て来たあの人ですけど・・・」と私の言葉を気にせずに駅前の通りに出て来た中年男性を指さした。


「四十歳前後の男性で、かなり着古したような背広を着ていますね。履いている革靴も表面に傷がついて、靴底もすり減っているようだから、外回りをよくするセールスマンでしょうか?」


「ほかに気づいたことはない?」と私は浜田さんに聞いた。


「え・・・と、左手の薬指に結婚指輪をしていますね。ですから結婚しています」


「そうね。そして右手の中指を見て。大きなペンだこがあるわね」


「よく気がつきましたね。セールスマンでなく、事務員なんでしょうか?」


「靴を履きつぶすほど外をよく歩き、かつ、たくさん字を書く人。・・・それは刑事さんね」と私が言うと、浜田さんは驚いた顔をした。


「なんでそう言えるんですか?」


「刑事さんは事件の証拠や証言を探すために歩き回るわ。だから靴底の減りが早い。しかも証拠や証言を見つけたら、そのことをすべて報告書として書き残さないといけないの。だから刑事さんの仕事の半分以上が文書作成なのよ」


「それは知りませんでした」


「そして浜田さんが指摘したように結婚しているけど、娘がいるわね、中学生くらいの。そして本人は血圧が高めで、最近は減塩食をとるよう心がけている・・・」


「ど、ど、どうしてそこまでわかるんですか!?」


その時、その中年男性が私たちに気づいて近づいて来た。接近する男性を見て固まる浜田さん。


「やあ、一色さん。出会えてよかった。あなたに会いに来たんですよ」とその中年男性が私に言った。


「島本刑事、私にわざわざ会いに来られたんですか?」と私は驚いて聞き返した。


「先輩のお知り合いでしたか。・・・どうりで詳しいことを知っているはずです」と浜田さんがちょっとすねた顔で私を見た。


「この方は最近知り合いになった刑事さんよ。・・・でも、私の家を知らないはずなのに、どうしてこの町まで来られたんですか?まさか、私のことを調べて?」


「いや、そうじゃないんだ。一色さんの家も電話番号も知らないし、職権を使って調べたわけじゃないよ。君の家がこの町でラーメン屋をしていることを立花先生に聞いてね、ラーメン屋を手当たり次第回ってみようと思って来たんだ」


そう言うと島本刑事は後ろを振り向いて、駅から出て来た男性に手を振った。


「立花先生、こっち、こっち!うまい具合に一色さんと出会えたよ!」


「せ、先生まで!?」


駅から出て来た立花先生は手を挙げながらゆっくり近づいて来た。


「無駄に歩き回らずに一色さんに出会えて幸運だったね。昨日摘んだ四つ葉のクローバーのご利益かな?」


「どなたですか?」と浜田さんが私の腕を引いて聞いてきた。


「こちらの方は明応大学医学部法医学教室にお勤めの立花先生。そしてこっちが警視庁の島本刑事さんよ」


「何でそんな方たちが!?・・・まさか先輩の推理力を頼って、事件の解明を依頼されに来たんですか?」


私は「違うわよ」と言おうとしたが、その言葉を島本刑事が遮った。


「その通り。一色さんに事件捜査の協力をしてもらいに来たんだよ」


目を見開いて驚く浜田さん。私もちょっと驚いたが、どうせまた家庭問題の相談だろうと思い直した。


「どこかそのあたりの喫茶店で話を聞いてくれないか?」


そこで私は隣にいた浜田さんを紹介した。


「この子は女子高の後輩の浜田さんです。彼女を同席させてもよろしいですか?」


「君の後輩で信頼できる方なら構わないけど」と島本刑事は言って浜田さんを見た。


「ほかの人には話の内容をしゃべらないって約束してもらえるかい?」


私はいつもと違うなと思いながら、浜田さんがあわててうなずくのを横目で見ていた。

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