第2話 僧侶高弦のプロジェクト

 令が黙々と作業をしているこの横浜のスタートアップの会社はまだ登記もされておらず、正式な屋号もない。それは鎌倉在住の高弦という僧侶がある目的のために始めた個人事業なのだ。

 高弦は鎌倉の樹恩寺という寺の住職だが、元はソフトウェア技術者で現在も鎌倉大学という仏教系の大学でプログラミング講座の講師を務めている。この会社、当初は高弦の企画したソフトウェアを作成していただけであったが、それを使ったサービスを商品として提供する見通しが出てきたので、高弦はきちんとした会社組織に体裁を整えようと考えた。それでは何を売るのかと言えば、未解読文書を解読すると言うものであった。高弦がそのサービスを考え付いたのは寺の境内にある石碑を眺めている時であった。

 高弦は樹恩寺に代々伝わる石碑にはたくさんの解読が難解な文字が刻まれていたが、その多くは未だ、正確には読み解かれていなかった。そしてこれらの未解読の文字で書かれた文を最新のAIを用いれば解読できるのではと考えた。

 それは、その文字が生まれ、使われていた頃の他の言語や文字、社会の営みや、自然現象など文字解読に参考となり得る記録をデーター化し、未解読の文字や文字の組み合わさった単語、そして単語の組み合わさった文の意味を解析していくというやり方だ。この方法が完成すれば世界中の大学の考古学研究者をおおいに助けることになるだろう。それのみならず暗号解読などの分野にも応用が出来る。そうなれば、それを是非に望む訳ではないがこの技術に対する大きなニーズはあるに違いない。

 その実現の為に、高弦が思い描いたAIとは未解読文字の意味について自ら推論し仮説を立て、その仮説を検証するにあたって必要なデーターが何なのかを推定、そしてそれを探し出す能力を持ったものだ。そのデーターはインターネットを介して入手し、仮説がほぼ100パーセント確実と結論づけられるまでその検証のタスクを続けるというものであった。

 そして、タスクをこなすためにAI自体がプログラムの改修や新たに必要になるプログラムを作る。つまりそのAIは自らを強化しその分身をつくることが出来るプログラムだ。

 高弦はフリーの名うてのコンピューターシステムエンジニアだった頃に貯えた資金を用いてソフトウェアエンジニアを雇い、設備を整えてこのAIプロジェクトに着手した。しかしAIの完成にはほど遠いまま着手から2年経ち、手許の資金も乏しくなってきた頃、高弦は実行力のありそうな新たなメンバーを数人引き入れてプロジェクトを遂行することにした。

 まず声を掛けたのが、高弦の甥で、鎌倉大学の文学部史学科を卒業した後、就職もせずにいた南陵だ。

 陵は体育会系で、何故か昔から周りの者がシャチョウと呼んでいた。日頃「世の中のために仕事をしたい」と言っていた彼を、高弦は人のためになる会社の社長にならないかと言って勧誘し、陵は即日社長となった。

 高弦は、リーダシップはあるものの、やや直情的で感情に流されやすい陵とタッグを組み冷静に補佐する人物として北仁に声を掛けた。彼も鎌倉在住で高弦の家系と何世代も前からゆかりのある北家の一人息子である。子供の頃から近所に知られた秀才で、歴史と物理学を学ぶために鎌倉大学の理学部に入り、大学では陵と同じクイズ研究会に属していた。彼は大学卒業後、両親の期待を裏切り大学の研究者や企業の技術者とならずに地元の古書店で働いていたが、高弦の誘いに即応じ、その新たな会社に参画することにした。

 高弦は、このメンバーでは企業としてやっていくためには、実務面が弱いと感じた。そこでそれを補うべく、陵と令の共通の友人で鎌倉大学のクイズ研究会の副部長であり、大学卒業後は親の経営する地元の総菜屋を手伝っていた佐伯リナに来てもらうことにした。高弦は、リナは営業から経理までこなせる凄腕の助っ人であると直感的に認識し両親と本人を説得し引き抜いた。

 さらに、高弦が新たなメンバーとして不可欠な人物として懇願して引き入れたのが鎌倉大学の高弦の講座の生徒であった敷島令だ。

 令は幼い頃より病弱であり、引きこもりという訳ではないが少年時代はほぼ家の中で過ごした。そして多くの時間を、コンピュータープログラムを作ることに費やした。もともとその領域で才能があったため、彼が17,8歳の頃にはすでに秀でたプログラマーになっていた。令の唯一といっても良い友人の北仁の勧めで、高校卒業の検定を受けて合格し、仁の通っていた鎌倉大学に入学した。そして高弦のコンピューター講座の生徒となった。

 高弦は大学で令と出会った時よりその創造的で迅速なプログラミング能力に感嘆し、その能力を活かす方法はないかと考えていた。そして自分のプロジェクトを始める時、メインプログラムの開発者として彼以外は考えられないという結論に至り、彼を誘い入れた。

 高弦は彼がそう簡単には応じないだろうと考えていたが、令は一寸考えた後にその役を引き受けることにした。

 高弦のプロジェクトは実質的に高弦とこの4人の若者により開始した。令のプログラミングによるAIが意識をもつ5か月前の話である。

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