第二章【Merciful Traitor Prince】

第12話

――――初めて彼女を見た時、冷たく無機質な人形みたいだと思ってしまった。


 初対面の人間に対して抱くべき感想ではないし、失礼極まりない事だとは思っている。

 しかし、当時の自分はあまりにも幼稚で世間知らずだった。

 誰からも愛されていたと思っていた子どもの頃の自分が、人間味を感じさせないような彼女と出会った時に抱いた衝撃はかなり強かった。

 世界にはこんな人も居るのかと。

 だが話してみれば普通に話す事も出来たし、不器用ながらも笑顔だって浮かべた。

 だから出会ったばかりの頃は緊張していた表情が固まっていたのだと思った。

 時が経つにつれて少しずつではあったが、自分は彼女の事を理解してきた。


――――それが間違いだと知ったのは、彼女が幼子に手をかけているのを見た時だった。


 自分は問うた。


――――何故、こんな事を。


 彼女は正義感が強い人間だ。なのになぜ、子どもの命を奪うような真似をするのか。

 そんな思いから投げた問いだったが、彼女は淡々と答えた。


――――だって、敵だよ?


 その時の彼女の表情は一番最初に会った時に見た無機質な人形のようだった。

 確かに、子どもは自分達の命を狙った敵だった。それは間違いない。

 しかし、その子どもにも事情があったのかもしれない。もしかしたら手をかけなくても良かったかもしれない。

 だが、それは最早手遅れになってからの思考だ。

 もう取り返しがつかない現実だった。


――――そうか。


 その時、何を思ったのか当時の自分は分からなかった。

 だが、今ならば理解出来る。

 彼女を、人の形をした人形を許せなかったのだ。


   +++


 呼吸を殺す。

 出来る限り息をするのを抑える。

 この行いに意味があるのかは分からないが、染み付いてしまった癖だ。緊張とか行動を移す度につい息を止めてしまう。

 そして、呼吸を再開するのは行動を終えた時だ。


「――――っ!!」


 刀に手を掛け、勢いよく突貫する。

 進行方向には一体の熊がおり、僕が動き出した事に遅れて気が付く。

 だが時既に遅く、熊が気付く頃には懐に潜り込んでおり、刃を振るった後だった。


「ガ――――」


 振り抜いた刃に伝うようにして血が飛び散り、熊の身体は大地に沈む。

 ピクピクと痙攣しながら血の水溜りを作り、ついには動かなくなった。


「ふぅ、これで食料は問題ないかな」


 刃に付着した血を振るって落とし、鞘内に仕舞う。

 後は血抜きやら皮剥やらして売れる所に持っていけばそれなりの金になる。

 肉は勿論の事、皮や骨だって売れるし熊胆といった一部の内蔵は非常に高価だ。

 勿論、ちゃんとした下処理をするのが前提の話だが。下手な処理をしたら安く買い叩かれるし、場合によっては売り物にすらならなくなる。

 一応そういった事は出来るがかなり久々だし、上手く出来るだろうか?

 そんな事を考えながら熊を背負い、血を抜く為に川に移動し熊を水に漬ける。


「血が固まるのは早いから急いで血抜きしなくちゃ。まあ時間止めてたから大丈夫だけど」


 これが生きている相手なら上手くは止められないけど、既に死んでいるのなら時間を止めるのも楽だ。

 まあ川まで近かったから態々止める必要は無かったかもしれないけど。


「さて、血が抜けるまでは放置するとして」


 掛けていた魔法を解除して時間が流れ出す。

 水に浸かった傷口から赤い液体が川の流れと共に無くなっていくのを眺めながら呟く。


「あれから一週間も経ったわけか」


 ルーナが勇者として再び旅に出ると決意して、僕もその旅に同行すると告げてからそれぐらいの時間が流れた。

 なら何でこんな山奥、というか自分の家の近くで狩りをしてるのかと聞かれれば単純にお金稼ぎである。旅に出るにも金は必要だし、それ以外の装備や道具を揃えるのにも必要だ。

 食料だってそうだし、足になる馬も必要だ。

 本音を言えば僕一人なら別に馬は必要無いのだがルーナも一緒に旅をするのなら必要になってしまう。

 彼女の魔法があればそんなものはいらないと思うが、多分そこまで極めれてないだろうし何より――――、


「この空を見る限り、最短で行くのも難しいだろうしなぁ」


 忌々し気に呟きながら空を見上げる。

 空は白い雲こそあるものの晴れている。が、以前からあった紫色の瘴気のようなものが広がっていた。この地から見たらまだ空を全て覆ってないようだが、きっと、この瘴気が既に広がっているところでは空一面が満たされているのだろう。


「…………いつかはこうなるとは覚悟していたさ」


 永遠に勝者で居続けられる者なんか居ない。

 どのような形であれ、いつかはこうなっていた。

 でも、もしその時に自分が居たら防げていたかもしれない事態だったかもしれない。


「…………止めよう。ありもしない過程を考えるなんて」


 僕が動けなかったからこうなったわけだし、僕が居なかったからルーナが傷付いてあんな事になった。

 ただそれだけの話だ。それだけの、無様な言い訳に過ぎない。

 刀に手をかけて改めて自分に言い聞かせる。


「出来る事なら、これをルーナの前で抜きたくないんだけど」


 とはいえ、旅を続けていればいずれは気が付くだろうし、そうも言っていられない事態になるかもしれない。

 世の中には絶対なんて事は無いのだし、何よりルーナは結構頭が良い。

 もしかしたら心の何処かで既に察しているかもしれない。


「まあ、何とかするしかないか」


 その時が来たら素直に本当の事を全部話すしかないとして、それまでは話さなくてもいいだろう。

 別に態々話さなくちゃいけない事ではないし、そもそもあまり話したくない事だし。

 うん。そういうのは明日以降の自分に任せよう。


「――――ダンゴ」


 問題を先送りにしていると、自身の後ろからルーナの声が聞こえる。

 後ろに視線を向けるとそこには僕があげた服の上に姫騎士を連想させるような鎧を身につけたルーナが居た。

 鎧としては身体の動きを制限しないように軽装備だが、急所はしっかりと守れる作りになっている。


「こっちも準備が終わった」

「そのようだね。村の人達が鎧を作ってくれたのかい?」

「うん。後、馬も二頭ただでくれた」

「そっか」


 ルーナの言葉を聞いて少しだけ申し訳ない気持ちになる。

 馬を買うお金が浮くのは嬉しい事だが、それはそれとして村の人達の生活に響かないか心配た。

 とはいえ、人の好意を無碍にするのも違うし、ありがたく貰っておく事としよう。


「じゃあ、この熊を捌いてさ。今夜ちょっとしたパーティでも開いてからに旅に出ようか」

「それは構わないけど…………」

「英気を養うのも仕事の一つだよ」


 今日に至るまで、ルーナは自身のリハビリに努めた。

 彼女曰く、全盛期には及ばないまでも納得がいくように仕上がったらしい。

 ならば最後に必要なのは精神面でのリフレッシュだ。

 緊張は必要なものではあるけれど、気負い過ぎるの良くない事だし。

 だから最後にルーナが喜ぶような料理を食べさせよう。


「それじゃ、今日は熊肉パーティといこうか」


 血抜きを終えた熊を背負い、ルーナと共に自宅を目指す。

 ルーナと一緒に自宅に帰るこの瞬間がとても懐かしく思えた。


   +++


 熊肉パーティで英気を養い一日が経過した。

 僕とルーナは自宅の前に立ち、視線を前へと向ける。

 ここに戻って来るのは魔王を倒してからか、あるいは戻ることは無いかもしれないか。

 どっちにしろ、暫くはこの家の姿を見る事は無い。


「ルーナ、行こうか」

「――――うん」


 少し間を置いた後、僕とルーナは馬に乗って旅立つ。

 後ろを向く事は無い。それをする理由も無い。

 ただ只管に前を目指し、空を覆いつくさんとしている紫色の瘴気が発生している方向へと進んでいく。

 それが魔王を倒し、世界を救う勇者の旅の再開だった。

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