砂糖化症候群
棗御月
塩色の世界
「……どうでしょう」
「雑味が多い」
「厳しいなぁ」
世界に突如として幾つもの巨大な塩の柱が生えてから、早2年。
塩害に弱い植物や建物が相次いで崩れ去っていき、陸上の極小生物も多くが死滅した世界で、人類はその数を大きく減らしながらもなんとか生き残っていた。
そんな中で、どうせ崩れるからと立て直したり日常的に補修をすること前提の校舎の屋上で、幼馴染の少女から辛辣な評価を受けていた。
「あ、止まった」
「いつ見ても変だよなこれ」
塩柱と共に世界で流行したのが「砂糖化症候群」と呼ばれる謎の病だった。
この病に罹患した人はもれなく数日に一度のペースで体が砂糖に変化、そして崩れていってしまう。なにも手を加えなければどんどん症状が進行し、気がついた頃にはなんとなく元の人の影を残すだけの、なぜだか食べたら空腹が埋まる砂糖溜まりになってしまうのだ。
止める方法は一つで、誰かに己の生み出した砂糖を舐めてもらい、強烈な甘みを口にした上で「甘い」以外の評価をもらうこと。そうすると、まるで不満があるかのように砂糖化の進行が止まり、数日間は普通の人間に戻る。素直に甘いと言われると急速に症状が進み、即座に砂糖の塊になる。
本当は砂糖以外のもの、辛かったり苦かったりする粉に変化した人もいたが、それぞれのパートナーが強い味覚の暴力に拒否反応をする様を見て堪えきれなったり、あるいはその反応そのものを味の評価と見做して一気に症状が進んだ人が多くいたせいで、比較的我慢やごまかしをしやすい砂糖になる人しかほとんど残っていない。
よって、便宜的に砂糖化症候群と呼ばれている。原因不明、なぜ砂糖化症候群の人の砂糖を食べたら空腹が満たされるのかも不明、感染経路不明の謎の病だ。
「私はきび砂糖みたいな雑味が多いのは好きじゃないの。舌の上でまだジャリジャリしてる気がする」
「細かいなぁ。前は味が淡白で嫌って言ってなかった?」
「ここまで複雑なのも嫌。やっぱり甘すぎるし。ちょうど良くして欲しいのに」
「精進するよ。……どうやるのか知らないけど」
自分で自分から出た砂糖を食べてもなにも感じないからよく分からないが、どうやら味は毎回少しずつ違うらしい。特に俺がなにをしているとかは無いし、「甘い」以外の評価をされたら止まるというのもあって、最初期では罹患者は悪魔憑きだとか、とにかく色々と揶揄されていたものだ。
今では人が減りすぎてどうなっているのかいまいち分からない。高度な情報網を扱うだけの人口も、それを保つ人もほとんどいなくなってしまった。塩の柱が風で削れて本当に少しずつ細くなっていくのを眺めながら、日々塩害や建物の強度を気にして生きる日々だ。
ちなみにワガママな幼馴染こと日高莉緒は、黒糖やきび砂糖、和三盆のような「甘い」以外の味も含まれている砂糖が好きらしい。上白糖っぽい時は味が淡白で詰まらないって言ってたし、最近では反対に雑味が多くて味わいにくいと言われている。
「じゃ、行こっか」
「おう。ごめんな、呼び出して」
時は昼過ぎ。太陽は変わらず、少しだけ透明度が増した気がする空を悠々と泳いでいる。
2年前は見張る人がいて鍵がかかっていた、今では太陽光線に追い立てられるようにして屋上を後にする。
「なんで真面目に学生してるんだろうな、俺たち」
「さあ。真面目に受験して、真面目に進学して、真面目に登校してるの、すごい変だとは思うよ」
錆びた不快音を立てて、背後で扉が閉まった。
そのままの流れで出席した午後の授業。
とは言っても、この学校に先生は4人、生徒が22人のみ。学年混合で1クラスにするのが精々という有様でなんとか学校の体裁だけは続いている。
午前中は地域の手伝い、午後は高校で学ぶ程度の内容の中から重要そうなものだけを抜粋して授業をしている。
ただ、奉仕活動というか、地域で残っている人たちだけで生きてく上での必要な互助活動というのは当然疲れるわけであり。夏の日差しと気温、ついでに漂い続けている海水と塩の匂いの波状攻撃で、否応無しに眠気が襲ってくる。
「であるからして、この第一象限が──」
広く感じる教室の中で先生の声が響いている。
指定席の概念はとうに消えて、それぞれが好きな場所に座っている。俺の指定席は窓側の外から二列目、莉緒はその隣。他の人は、自分の場所を守っていることもあるし、毎日のように変えている人もいる。
とにかく自由に。それでいて学校らしい姿だけは壊さないように。誰かがそう口にしたわけじゃなく、暗黙の了解でそうなっていた。
「ねぇ」
生徒のほとんどが寝るかノートを見て、先生も黒板を見ながら気だるげに声を垂れ流す中で、莉緒がそっと袖を引く。誰も気がつかないのに、殊更こそこそと、悪戯をするような顔で。
袖を引っ張った手で俺の机に落としてきたのは、四つ折りにされた小さな一枚の紙片。
なんだこれ。
『今日そっちの家に寄るね』
……後で直接言うのでは駄目だったのだろうか。
首を捻りつつ、裏側に答えを書いて、先生の目を盗んで机の端に置いてやる。
『いいよ』
嬉しそうに頬を緩め、指先で円を作る。慣れ親しんだOKサイン。
満足した、とでも言いたげな顔で紙片を筆箱の中にしまい込んで、そっと手をあげる。
「先生、教科書を忘れたので隣の人に見せてもらいます」
湿気と睡魔が支配していた空間を割る声に、肩をビクッと動かして起き上がるやつの姿がどうにも面白かった。
◇ ◇ ◇
帰り道。
いつもは取り止めのない話をするのに、珍しくお互い静かだった。
帰りの時間になってようやく、先生が聞き慣れたニュースを叩き込んできたからだ。
『現文と歴史を担当していた先生ですが、お互いの砂糖化症候群の進行が大きかったこともあり、パートナーの方と共に溶けたようです』
砂糖化症候群は進行する。砂糖になり、戻るたびに味は濃く、次に変化するまでの時間は短く、そして評価者の好みの味に近づいていく。甘い、辛いというような枠組みは超えないが、その味の範囲の中でどんどん満足できる味になっていく。
最初の罹患者が現れてから2年。どんどん短くなる次の変化までの時間と、誤魔化すのが難しいほどに好きになった味。写真で比べたらどうにかわかる程度しか細くなっていない塩の柱。
そうした諸々に触れ続けた人たちの間で流行ってしまったものがある。それが、パートナーと同時期に症状が出るように調整し、共に海に飛び込むというものだ。
先行きそのものが消えた世界で、隠さなければいけなかった
どうやらあの先生は、その人たちと同じ選択をしたらしい。
「……」
「……」
結局、なにを話すべきなのかも分からないまま家に辿り着いた。二人で俺の家に入る。
俺の親は最初期の治療法がわからない頃に溶けて消えた。莉緒の親は中1の頃から海外赴任中で、インフラが機能していない今ではどうなっているのか分らない。なにかがあって連絡が途切れたのか、それとも連絡用の施設が壊れたのか。どれも不明。
「……大きい野菜を貰えてよかったね。壊れてないビニールハウスなんてもうほとんどないもんね」
「すごいよな。この状況でまだ農家を続けようって頑張ってるの」
午前中にしている互助活動の時に貰ったような野菜、今もなんとか続いている漁業。あとはそれぞれの店とかに残っている長期保存の食材を切り崩すようにして、なんとか食い繋いでいる。
初期の頃に急いで量産され、各家庭になんとか使える状態で残っている脱塩機。塩害に負けにくいように作られた発電機とそのコード。あるいは、食材の生産者や漁業者。どれかが消えた瞬間にこの世界は一気に終わりに近づく。
「風呂入れちゃうよ」
「ん」
そんな事情など気にせず、家事はしないといけないし、垢もゴミも出るわけで。少し先のことを気にするより今の生活をしないといけない。
すっかり慣れた手順をなぞる中で、ようやくいつも通りの会話が始まった。
「今日は豆アジが釣れたんだって。どうする?」
「豆アジか……大きさはどんくらい?」
「これ」
手のひらに三尾乗るくらいの、本当に小さいアジだ。それが大体十尾前後。
「唐揚げはどう? すごい小さいやつは塩漬けで」
「王道だなぁ。でも、あんまり小さい子で拘って作っても味気ないしいいか。じゃ、それで作っちゃうね」
「はいよー。俺は塩はらいしてくるわ」
「気をつけてね」
世界各地にある塩の柱からは、少しずつだが、塩が剥がれていっている。建物や重要な道具、機械に付着したままにしているとすぐに駄目になってしまう。屋根や室外に置いてある道具の掃除はこまめにしないといけない。
もうすぐ夜になる。なぜか夜の方が塩の柱からこぼれ出る量は増え、風が強くなり、とてもじゃないが外を歩けなくなってしまう。その前に戻らないといけない。
据えつけている梯子をのぼり、屋根の上に出る。万が一落ちてしまわないように柱と体をロープで結び、昼間に少しだけ積もった塩を掃いていく。
「眩し……」
あれほど元気だった太陽が沈んでいく。オレンジと紫に染まった海、暗い影を落とす山影、そして太陽光を反射して輝く塩の柱。家の屋根や学校の屋上からも見える不可思議の象徴は、悠然と佇んだまま、俺の目をじっくりと焼いた。
瞼を閉じて残像を消す。完全に夕陽が消える前に、俺と莉緒の家の屋根とベランダを綺麗にしないといけない。
ジャリジャリという音と共に落ちていく塩と僅かに傷ついた屋根を見て、どこかに余っている塗料や保護剤はあったかな、と思考を巡らせた。
一通り掃除を終えてその間に少し体に積もっていた塩を玄関の外ではたき落とす。夕陽は残り香を残すだけ、風も強くなってきた。
部屋の中に戻れば、火を入れられた魚の匂いがする。豆アジの唐揚げ、貰った野菜でできた味噌汁、残っていた漬物、そして米。
「なんかさ、主食が米でよかったって本当に思う。色々なものに合うし、なにより保存ができるのがありがたいよな」
「それ、前も言ってたよ」
「そうだっけ?」
なんでもないような、取り止めのない話をしながら夕飯を食べていく。授業中寝ていた間の内容の解説を頼んだら少し怒られた。
洗い物をして、順番に風呂に入り、なんとなくリビングのソファーに集まった。
インフラが死亡して以降、一気に趣味や暇つぶしにできることは減った。テレビはつけても電波が飛んでこないし、スマホは通信をする施設が壊れてからはただの電子時計になっている。外はとっくに塩と風で歩けず、そもそも人が少ないせいで風の音以外が聞こえない。
「それ、次貸して」
「ん」
隣り合わせで座り、それぞれでページを捲る。
「南蛮漬けとかもしたいんだけど、調味料が貴重になっちゃったんだよね」
「それが本当に辛いよな……タルタルソースとかつけて食べてぇよ」
「ねえ、ご飯食べたあとなのに食べたくなっちゃうじゃん。やめてよ」
「マヨネーズってさぁ」
「最後の一本だよ。賞味期限ギリギリまで大事にするんでしょ?」
「そうだった……ってかピクルスが無いよな」
「探せばどこかにあるかもだけどね」
この現状でよく食べれている方なのだろうな、とは思う。山海の恵みを食べれているし。
ただ、満足になるまでお腹いっぱい食べた、という経験はだいぶ前のことだ。
「先生、また居なくなっちゃったね」
「最後はなにを食べたんだろ」
「さあ。ピザとか食べたくならなかったのかな」
「……おい、食べたくなるだろ」
莉緒が、なにかを突然思い出したように本を閉じて。
「あ、そうだった。報告があるのですが」
「なんだよ、改まって」
「私も砂糖化症候群、発症しました。いえーい」
「はぁ⁉︎」
驚いて思わず本を取り落とす。
人口大幅減少の原因の半分にして、気を抜けばすぐに命を落としかねない奇病。それが発症した報告にしてはあまりにも軽いというか、なんというか。
「風呂に入ってる時に少しずつ指が溶けてた。びっくりしたよねー」
「おい、気がつくの遅れたら一大事だぞ……」
「本当に自分だと味が無いんだね。こんなに凄い味なのに感じないわけ無いだろーって思ってた」
そこまで言って、驚いたままの俺に覆い被さるようにして身を寄せてくる。
「なので。私が何味なのか、是非とも感想をいただきたいのですが」
「正直に言えないんだからわかんないじゃん」
「そこはほら、幼馴染の絆といいますか」
伝わったら駄目なんだって。
「ほら、舐めて舐めて」
「……改めてこの状況を考えるとやばいことをしている気分になるな」
「それを2年してるんだぞ、私は。ほら早く」
そうだった。とっくに2年付き合ってもらっていた。
目の前で悪戯をするように揺れる指を、その根本を掴み、指先をそっと口に入れて。
瞬間、口の中で弾ける、猛烈で暴力的な──
反射的な収縮で口内の唾液が一瞬で干上がり、直後に壊れたかのように溢れ、喉へと必死に流し込んでいく。舌への攻撃といって差し支えのないそれは、あまりにも、あまりにも鮮烈で。
素直な感想が口をついて出かけた、その時。
味覚の世界に囚われていた俺の体に莉緒が乗っかる。俺の首元に顔を埋めるようにして、俺の表情を見えないようにするために。
「…………辛い! あー、辛いなー! 辛すぎてやばー!」
「……んふふっ、声でっか」
僅かに震えた声が、埋められたままの首元から響く。
不安だったのだろう。もしかしたら、なにを言うこともできずになにかの塊になっていたかもしれないのだから。
「ね、美味しくはないけどさ。症状が進んでずっと砂糖になっても、塩の柱が消えるのが10年以上先でも……最悪、お互いを食べたら時間は稼げそうだよね」
「そうだな」
莉緒が、俺の鎖骨を甘噛みして、言う。
俺の衝動が囁くままに、莉緒の耳を甘噛みして、返答をする。
くすぐったそうに震え、嬉しそうな声で。
「絶対に生きてやる。誰かさんは雑味ばっかで美味しくないけど」
「もう一回、腹一杯の肉とか食べてぇよな。辛すぎてやばいけど」
いつか、
絶対に生きてやる。
塩辛い風が、遠くで強く吹いた。
砂糖化症候群 棗御月 @kogure_mituki
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