第7話 信頼

「誰か――誰かいないか――っ!!」


 夕暮れの長閑な辺境の村に、その男は現れた。

 麻袋を大事そうに抱え、赤黒い染みに塗れたみすぼらしい服装、そして体中には無数の切り傷に痣を作り、足を引き摺っている。


「レイド!? お前レイドか!?」

「ああ……リオンか。そうか、お前はもう正式に自警団に入ったんだったか……」


 その男――レイド――に慌てて駆け寄ってきたのは、西の辺境、西南部最果ての村の自警団の青年リオン。

 昔、レイドの叔父に剣を習ったことのあるレイドより2つ年上の鍛冶屋の息子だ。


「村が襲われた。不死人シナズの連中がやってくる……!! はやく逃げないと、みんな殺されちまう!!」

「なんだって!? お前の村はどうした!? 師匠は、村のみんなは無事なのか!?」

「ぐっ……叔父さんは死んだ。村のみんなもだ。俺は……リオン、お前にこの情報を届けるためにひとり……ひとり、逃げ出したんだ……これを見てくれ……」

「そんな……まさか、イ、イリアなのか……嘘だろ」


 リオンの胸に体を預けるようにみっともなく縋りつきながらレイドは嗚咽する。

 そして、意を決したかのように大事に抱えていた麻袋を広げてリオンに見せた。


 剣を習うためにレイドの村によく訪れていたリオンは、イリアのことはよく知っている。

 この辺りの村では一番の美しい娘だった。

 幼い頃にはその美貌に見惚れ、何度も剣を振るうことさえ忘れて師と慕うレイドの叔父に怒鳴られたものだ。


「事情はわかった。俺は村長のところへ報告に行く。レイド、お前は少し休んだ方がいい。イリアも弔ってやらないと……」

「ダメだ。俺が村を出るときにはもう村は全滅だ。俺を逃がすために叔父さんも殺された。あいつらは略奪が済んだらきっとすぐに追って来る。早く逃げた方がいい。俺も村長のところまで連れていってくれ」

「……すまない」


 村の全員が死んだということは、レイドが大切にしていた母親も亡くなったのだろう。

 それだというのに、幼い頃にともに剣を学んだ友のために命を懸けて報せを届けてくれた。

 辛いだろうに、泣きたいだろうに、たったひとりで走ってきたのだろう。


 リオンにはそんな友の意思を蔑ろにできる筈もない。




「……では不死人の軍勢は北の村ではなくこちらに向かってきておるのじゃな?」

「はい。南から森を抜け、山を迂回して森国に戻ると言っているのを聞きました」


 リオンに連れられてやってきた村長の屋敷には、村の男勢が集まり、レイドの話を真剣に聞いていた。

 村長の質問に、レイドはときおり胸を抑えて苦渋の表情を浮かべ、喉を詰まらせながら、村を襲った悍ましい惨劇のことを伝えるのであった。


「北の村は人国の砦に近い。森国に逃げようとするのであればわざわざ北の村には近づこうとはしないでしょう。レイドの言う通り、ここに居ては危険かと」

「そうじゃなぁ」


 リオンは若いが頭が回る。

 鍛冶屋の跡取りでなければ、自警団などではなく本当に国に仕えて兵士にでもなれる器量のある男だろう。

 人柄もよく勤勉で、村の誰からも信頼されている。

 そんな男がレイドの味方をしているため、村長を含め、村人たちは見事にレイドの話を信じ切っている。


「猶予はない、か。皆の者。すぐに出発の準備をせよ。幸いこの村には金になるような物などありゃせん。数日分の食糧だけ抱えてすぐに村を発つぞ。畑や森に出ている者も全員呼び戻すのじゃ。可能な限りすぐに北の村に向かう!」


 村長の決断は早かった。

 男衆も慌てて屋敷を飛び出し、家々を回って声を掛け、足の速い者は森や畑に出ている者を呼び戻しに走った。


「レイドよ、此度は誠に良くしてくれた。この家は好きに使って良い。しばし体を休め、我らの準備が整い次第にともに北の村へと向かおうぞ」

「村長の言うとおりだ。イリアの埋葬は俺が済ませておく。構わないか?」


 レイドは、ずっと肌身離さず抱きかかえていたイリアの頭の入った麻袋をリオンに手渡そうとして……ほんの少し手を震わせた。


「……ああ、助かるよリオン。できれば花を添えてやってくれ」

「任せておけ」


 最後の別れを告げるかのように、僅かばかりの沈黙のあとにレイドはイリアのことをリオンに託すのであった。



 一時間も経たないうちに、村の入口には行列ができていた。

 馬に引かせた荷車には足のおぼつかない幼子と老人を乗せ、それぞれに野菜や穀物の入った袋や籠を抱えさせた。

 隙間にも可能な限りの食糧を詰め、女は毛布や毛皮を背中に括り付け、男は斧や鋤、剣を手に女と荷馬車を囲うように立っている。


「それでは皆の者、出発じゃ。道中では大声を出さぬように、荷車の老いぼれどもはこどもの面倒をよく見て、歩きの者は周囲にくれぐれも気を付けるように。では、参るぞ」


 自分も荷車に乗って芋の入った籠を抱えている村長が皆に声を掛ける。

 幼子は何もわからず「はーい」と陽気に返事をするが、大人たちは静かに頷くだけだった。


 誰もが理解しているのだ。

 すでにもうここはいつ死んでもおかしくない戦場に変わってしまったのだと。


 それからしばらく、一行は細心の注意を払いながら雑草の生い茂った道とも呼べない道を行く。

 南北の村の往来は、稀に行商人が訪れたり、物々交換や情報交換のために数か月に一度ある程度。


 後ろからいまにも不死人の軍勢が襲い掛かって来るかもしれぬ恐怖の中、暗い森の道を進んでいた。


「俺は……ここまでだ」


 レイドはひとり立ち止まる。


「何を言ってるんだ?」


 レイドは村を出てから無言だった。

 俯き、ずっと何かを考えているようだった。

 リオンはそれを察して、あえて何も声を掛けずにただ隣を歩き続けてきた。


 だからこそ、レイドが口にしようとしたことがなんとなく理解できてしまった。


「俺は戻って不死人どもを待ち受ける。俺だって叔父さんに鍛えられたんだ。少しくらいの時間稼ぎはできると思う」

「バカなことを言うなっ! 相手は100人以上の軍勢だと言ったのはお前じゃないかっ! 勝てる訳がないだろう!」


 リオンは無意識にレイドの胸倉を掴んでいた。


「……わかってるよ。だけど、俺が生き残っても仕方ないだろう。北の村に逃げたって、俺にはもう居場所がないんだよ。それに、叔父さんはひとりでも多くの人を守れって言ったんだ。俺にはリオン……お前や、村の人々をひとりでも多く無事に避難させる義務がある」

「義務だとっ!? そんなものとっくに果たしているだろう! お前のおかげでこうして俺たちは村を脱出できた! このまま夜の内に進めば日が昇る前に北の村まで辿り着けるんだ! お前がひとり戻ってなんになるんだよ!」

「これリオン、大きな声を出してはいかんと言うたじゃろう。こどもたちが起きてしまうわい」

「村長……」


 下を向くレイドに食い下がるリオンを窘めたのは村長の優しい声音だった。


「レイドや、お主が望むのならば、わしの養子として面倒を見ても良いのじゃぞ」

「ありがとうございます。でも、俺にとっての親は母さんしかいなくて。俺にとって父親のように接してくれて、剣も、力との向き合い方も教えてくれたのは叔父さんなんです」

「……お主のような立派な息子をもてた母上殿が羨ましいのう」

「せっかく良くしてくださったのにすみません」

「かっかっか。構うものか。田舎者じゃとしても、男に生まれたからには死んでもやり遂げる覚悟をすることはあるもんじゃ」


 自分の優しさを無碍にされたというのに、村長はからからと笑顔を浮かべる。


「レイド。お主は我らの英雄じゃ。誇りに思うぞ」

「ありがとうございます」


 レイドは村長に、ゆっくりと歩みを進めながらもこちらを心配そうな眼差しでちらちらと窺っていた村人たちに、深々と頭を下げた。


「村長っ!」


 しかし、ただ一人納得がいかないのはリオンだ。


「リオン。この中で最もレイドと縁のあるお主が、友であるお主が認めてやらねばならんぞ。人は死ぬ。死んだあとに残るのは生きている人間の想いや記憶だけじゃ。レイドが覚悟を決めたのであれば、わしらはレイドの想いを残すために生きねばならん。背中を押してやるのも友の役目であろう?」

「……そんな、俺は、俺は……ああっ、クソ! レイド、イリアの墓は村の外れの丘にある! 戻るのなら花を持って行くのを忘れるなよ!」

「わかった。リオン。村長、それからみんな。本当にありがとう。絶対に生き延びてくれ。国の兵士が敵を追って近くまで来ているはずだ。応援が来るまでは様子見に戻ったりしないようにするんだ。無駄に命を懸けるのは兵士の役目だからな……だから、見習い兵士としてあとは俺に任せてくれ」


 南の村人たちと合流してから、レイドははじめて笑顔を見せた。


 村人たちは僅かな間だけ歩みをとめ、若く無謀な英雄の背に祈りを捧げ、再び歩き出す。

 土を踏む音にいくつもの噛み殺したような小さな嗚咽が混じっているのは、無理もないことだろう。

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