第5話 契約
「今回の戦では敗けたが、我らは再び戦線に復帰する。敵将はレミュエル・ニール。人国英雄ロンド・ニールの息子である。私の配下となれば戦場にて二人の英雄ともいずれ必ず
サシュティアの表情は先ほどから一切変わらない。
地べたに座るレイドに向けて怜悧な目を真っすぐに向けている。
「そこの犬どもと同じように奴隷になれと?」
サシュティアの考えがよくわからないレイドは彼女の後ろに控える狼族の奴隷兵たちを見やる。
「ボトルディオの言葉が確かならばそれなりの力を持っているのであろう? 作法は期待できそうにもないが、戦で役に立つのであればそれなりの待遇を用意しよう」
「ふむ」
その提案にレイドは暫し思案する。
それは今後の身の振り方である。
生まれ育った村は滅び、母も死んだ。
レイドは狩りはできるが田畑で野菜を育てた経験はない。
獣を狩ったとして、それを売って金に換える伝手もない。
辺境であるこの辺りには、この村以外にもレイドの知っている村が二つある。
そのうちの一つには知った顔もいる。
しかし、その生に何の意味があるだろうか。
母が居たから生きていたのだ。
母が独りにならないように生きてきたのだ。
母が腹を減らすことがないように狩りを覚えたのだ。
その母が死んだのであれば、別に生きている理由など、無い。
生きている理由はないが、ただ呆けて死ぬよりは……多くの人間を不幸にするために生きてみるのも一興かもしれない。
「そうだな。三つ条件がある」
「言ってみろ」
「ひとつは衣食住の保障。まあ、金だ。ふたつめは身分の保障。後になって殺人犯扱いをされても面倒だ」
「森国セルティア第七王女サシュティアの名に於いて、お前を食客として働きに応じた金は払おう。最後のひとつはなんだ?」
王女の食客。
それはただ略奪に合っただけの村人に対しては異例にして身の丈に合わない提案である。
レイドにはそれがどれだけの意味を持つものかは良くも悪くも理解はできていない。
サシュティアの提案の本意さえわかっていないのだ。
「ハイエルフの首を十」
「……何と言った」
「俺を雇うのであれば前金として10人分の首を差し出せ。そうすれば俺はお前の言う通りにしてやる」
「ふざけて良い場でも相手でもないということを理解しての言葉か?」
サシュティアは眉を吊り上げ、それまでの冷たい無表情だった容貌に熱を宿らせる。
「お前らは余所者で、俺の村を侵略した敵だ。話が美味すぎる。信用に値しない。この死にかけのハイエルフの頼みでお前らの話を聞いてやってるが、この場所はまだ俺に取っちゃ戦場だ。戦場での兵士の価値は奪った首の数で決まる。それを十で負けてやるんだ」
レイドの頭の中は最初から何一つ変わっていない。
この村はもう戦火に覆われ、レイドは全てを失った。
目の前にいる人の形をした全てのものは敵のままだ。
そんな敵の親玉の言うことを素直に聞く程は愚かではなかった。
この場の誰もが困惑してしまうような、サシュティアの想定外の提案、そしてレイドの返答。
二人以外の者は、自分たちの命が二人の会話の行く末に、自分の意思とは無関係に委ねられている状況に戸惑い、何も言葉にできない。
サシュティアもまた、レイドの言葉の意味を測ろうと考えを巡らせていたところ、最初に口を開いたのはボトルディオだった。
「貴様はそれで本当に味方になるのか?」
「味方ってのは気持ち悪いが、金を貰って殺しができるなら問題ない」
「ならば王女殿下と生き残った兵を森国まで送り届けることも可能か?」
「どこまで行きたいのかは知らねぇが国境越えくらいならなんとかしてやる。この辺の土地勘はあるし、勝てない獣はいない。ああ、それと食い物と水が欲しいなら当てがあるぞ」
「……そうか。ちなみに首の数の中に私も入れて貰って構わないか?」
「ボトルディオ!」
まるでレイドの提案を受け入れるのに前向きなボトルディオの言葉をサシュティアの悲痛な叫びが遮った。
「殿下。十人の命で殿下が無事に国に帰れるというのならば安いものです。この男の力がハイエルフ十人分で殿下の者になり、更には頭を悩ませていた補給の問題が解決するのであれば……結果的にここで争うよりもよっぽど多くの命を救うことができるでしょう。どうか、ご決断を」
「勝てぬのか、それほどの犠牲を出しても、この男には」
「神獣召喚を以ってすれば勝利は可能でしょう。しかし、あれを使えば追撃の人国軍には間違いなく我らの場所が知られてしまいます。この男の言葉は異常で、性悪で、悍ましいものだ。ですが……我らもまた、この村にした行為は悪であります。正しい道理など存在しないのです。だからこそ、賢い判断が必要です」
「随分な言い草だなぁおい」
「バゼルディオ、カマルディオ、バベルディオ、スウェディオ、イクノマディオ、サペルディオ、キュエルディオ、ラパルディオ、ゴネスディオ! 前に来い!」
不満を露わにしたレイドの言葉をわざと遮るように、ボトルディオは9人のハイエルフの名を呼んだ。
掠れた、とても大きいとはいえない小さな、魂からの叫び。
ざっと音を立て、僅かに舞う砂埃が静かにそれに呼応した。
サシュティアの横に9人のハイエルフの男が並び立つ。
「お呼びでしょうか! 副官殿!」
その中のひと際体つきの良い男が胸に手を当て、声を張り上げる。
震えなどない、美しい立ち姿だった。
「私と共に死んでくれ」
「了解しましたっ!!」
たった一言だった。
「お前たち、何を勝手をしている! 私はまだその様なことは認めていないぞ!」
それに怒り――いや、困ったように嘆くのはサシュティアであった。
「……レイドと言ったな。無理を頼んで済まなかった。できれば我らは王女の剣で死にたいのだ。最期の頼み、聞いてくれるか?」
「最期の頼みが多すぎやしねぇか。さりげなく首の数までちょろまかしやがって……ったく。構いやしねぇよ。約束通りてめえが死んで、俺は金と仕事を手に入れる。そこの王女サマとやらは契約料としてお前らの命を背負う。まあ上等だろう。仲間の命を対価にするんだ。簡単には裏切りはしないだろうよ」
「お前たち……まさか……」
「そういうこった王女サマ。それ以上野暮なことを口走るようなら交渉はもう終わりだ。もう、こいつの命がもたねぇ。さっさと楽にしてやんな」
レイドに支えられたボトルディオはもう、息を続けるのもやっとであった。
だからこそ、サシュティア率いる本隊が来る前には全てを決めていた。
誰を生かし、誰を殺すのかを。
予想外だったのは王女がレイドを雇おうとしたことだけだ。
ボトルディオは手打ちを模索したが、王女はそのもっと先を見据えていた。
ボトルディオの灯火があと少し長ければ……もっと良い条件をレイドから引き出した上で、自分の物にしてしまったかもしれない。
だが、この王女は持っていないのだ。
生まれた時から何も持っていない。
意味を持たずに生まれ、意味を持つために戦場を選んだ。
そんな若く、無謀ばかりをするこの娘の世話をするのは苦労した。
実の娘のように、思っていた。
「幸せ……でした……サティ……さま……」
「――っ!」
サシュティアは目を見開いた。
自分の教育係を務め、戦場に出ることを選んだ自分を支え、本当の父よりも父らしく傍に居てくれた頼れる副官の灯火が消えようとしている。
無意識に、サシュティアの手は剣の柄を握っていた。
力は大きく3つに分けられる。
『糧』の力は命を奪った相手の力を奪い自分の物とする。
そして時に、仲間の想いをその身に宿し引き継ぐ為に使われる。
銀色にしなる剣に陽光煌めく。
「――私も、あなたがともに居てくれて幸せでした」
剣は更に九度振るわれた。
どれもこの世のものとは思えぬほどに美しい輝きを放っていた。
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