第3話 理由

「不死人ってヤツは寿命がないんだろう? 殺したら死ぬんだよな?」

「ぐぶっ……やめてくれ、私は死ぬ訳には……」

「それじゃあ俺の母さんには死ななきゃならねぇ訳があったとでも言うのか?」

「し、仕方がなかったんだ」

「じゃあお前が死んでも仕方がねぇな」

「ぐ……ぁ……」


 ハイエルフは強かった。

 目にも止まらぬ速さで振るわれた細剣は、何度もレイドの急所を突き、その全てが弾かれた。


 頑丈。


 ただそれだけ。

 たったそれだけの強さが、ハイエルフの速さと技を全て無駄だと弾き返した。


 守護の力は永遠ではない。

 走れば疲れて立てなくなるように、破壊の力を受け続ければ限界は訪れ、ハイエルフの刃がレイドの肉を切り裂き、首でも心臓でも一瞬で一突きにして命を奪えるはずだった。


 しかし、ハイエルフのその目論見は外れた。

 斬られることを恐れないレイドに捕まり、単純な肉体の暴力に圧し潰された。


 左腕を掴まれ、守護を突き破りレイドの握力がハイエルフの左前腕を引き千切り、踏みつけられた右脚の骨が砕け、横に薙ぐように蹴られた左大腿が抉れて血を噴き出した。


 右手に握った細剣はとうに男の手を離れ、今はレイドの手に握られている。


 レイドは初めて手にした上物の剣に興味をそそられ、ハイエルフの男の体で試し切りをしている。


 剣や槍、無機物にもまた力は宿る。

 破壊の力、守護の力、そして、人とは異なる『宿』の力。


 レイドはこれまで訓練用の木剣と、先ほど狼族の奴隷から奪った短剣くらいしか得物を握ったことがない。


 もはや片腕しかまともに動かせない状態のハイエルフの腹や胸、頬に軽く刃を這わせてみるが、力のない児戯のようなそれは僅かに残ったハイエルフの守護を破ることなく、ただいつ訪れるとも知らない死の恐怖だけが男に刻まれていく。


「なあ、アンタ。最後に言い残すことはあるか?」


 戯れのおかげか、目に見える敵を排除したと判断したからか、レイドに理性――といっても良いのかわからない程度の感情――が僅かに戻る。


「剣の対価に聞くだけ聞いてやってもいいぞ」

「……私の名はボトルディオ・ラマルゼール。森国の貴族だ」

「へえ。ただの兵士じゃなかったのか」

「兵士でもあるが……な。私と、お前の家族を殺した奴隷は撤退中の軍の先行部隊だ。直に本隊がこの村に……現れるだろう」

「そうか。じゃあそいつら殺せるだけ殺したら誰かにお前のことを伝えておいてやる」

「待て! まだ終わってない!」

「うん?」


 細剣を大きく振りかぶって今にも力任せに振り下ろそうとするレイドをハイエルフの男が慌てて止める。


「お前が私の最後の言葉を聞いてくれると言うのであれば、後から来る本隊とは戦わないでくれ」

「そうは言ってもそいつらはお前らみたいに俺を殺そうとするだろう?」

「ならば本隊が来るまでは私を生かしておけ。話は私が付ける。さすがにお前だって軍を相手に生き延びられるとは思わないだろう?」

「別に生きたい理由がある訳でもない」

「さっきは父親を殺したいと言ったではないか……っ」

「殺せるなら殺したいが、別にどうしてもって訳じゃない。どうせもう母さんは戻らない」

「母親が大事か……?」

「当たり前だろう。だからお前は殺すんだ」

「待て待て! 母親が大事なのであれば、お前は生きるべきだと言っているんだ」

「お前が言うなよ」

「ごほっ……それはそうではあるが、今は私の話を聞いてくれる約束だろう」

「別に約束したわけじゃないが……聞くとは言ったな」

「ならば、聞け。がふっ……村を襲った私が言えたことではないが……お前が死んだらお前の母親を思い出す者が居なくなるのではないか?」

「思い出す?」

「そうだ、誰にも思い出されなくなったとき、人は世界から消える」

「世界から……消える……」

「ああ。生きていたことも、何をしたのかも、全て何も無かったことになって消えていく。それを知る者が居なくなるからだ」


 レイドの母は、何も知らない他人から見れば、年齢の割には見た目の良い、裁縫が得意な女であろう。

 だが、辺境の村から出たことのない母のことを知るものなんて、村の外には居ない。

 この村の人間は母のことを腫物として、噂話のネタとして、貴族に身を売って捨てられた無様な女としてしか知らない。

 そして、それが偽りで、母は貴族の求めに怯えながら応じることしかできなかったただの物静かな少女だったことを知らない。


 何も知らないまま、わかっていないまま、勝手に皆死んでいった。


 母はどうだ?

 死ぬときに何を思っていたのだろう。

 母は一度だって村の人間を悪く言ったことはない。

 レイドだって村の人間から何を言われているかなど知っていた。

 母がそれを知らない訳もない。


 それでも母は恨み言のひとつも言わず、静かに糸を紡いで、暖かい料理を作って微笑んでくれていた。


 そんな母は、死ぬときに何を思ったのだろうか。

 自分の人生を呪ったのか、何も考える暇もなく死んでしまったのか。


 それとも――息子のことを考えてくれていたであろうか。


 本当は心底憎いであろう、自分の人生を破滅に追いやった男の息子のことを、僅かにでも想ってくれていたであろうか。


「この答えのない疑問さえも、痛みも、苦しみも、何も無かったと消えてしまうのか?」

「消したくないのであれば、生き残れ。そして、お前が何かを残せ。どうせ死ぬならそれから死んでも遅くあるまい」

「何を……偉そうにッ! お前がッ!!」

「そうだ。私が命じて、私が奪った。そしてお前も私から奪い、私の命を奪うのだろう? その先にまた何故争いを続ける必要がある?」

「俺も……奪った? だけどっ! お前たちが来なければこんなことには、ならなかったんだ!」

「くっ……はぁっ、うぐっ。あまり揺らすな。答えが決まらぬうちに私が死ぬぞ」


 レイドは無意識に剣を降ろし、ハイエルフの男の胸倉に掴みかかっていた。


「うるさい。お前はどうせ死ぬ」

「だろうな」

「俺はお前も、お前の仲間も赦しはしない」

「ならばまだ戦うのか? 何のために?」

「……殺したいからだ」

「理由もなく人を殺すなど獣のすることだ」

「ならなんでみんなを殺したっ!」

「我らが生きる為だ。言ったであろう。我らは撤退中だと。ここより北の国境。我が森国セルティアとクエスガルマの戦場に、ロンド・ニールの息子レミュエルが現れた。結果は我らの惨敗だ。私の部隊は奴隷兵とともに殿を任された死兵の生き残り。本隊の背後を追って来るのは護国の英雄レミュエル・ニールだ。我らは奴の部隊と交戦しながらここまで引いてきた。なんの補給も無くだ。生きる為に、この村を襲撃した」


 時折、せり上がって来る血に咽ながら語るハイエルフの言葉に、レイドの内から再び何かが湧き上がってくる。


 静かに、そっと蓋をしてきた場所から、ぐつぐつと煮えるように熱を帯びた何かが体中を駆け巡るのだ。


「ロンド・ニール。レミュエル・ニール……」


 無意識に、二つの名を反芻する。


 平穏な村に唐突に撒かれた戦火。

 その種火となった男たちの名を。


「お前の話に乗ってやる。殺すのはその後だ」

「恩に着る」

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