第4話 侯爵家が…


 翌日の朝、私はナルバレテ男爵家の屋敷に戻る。


 帰ってすぐに玄関で出会ったのは、学院に行こうとする妹のサーラと、それを見送るパメラ夫人だった。


「あっ、アマンダお姉様、おかえりなさいませ。もう帰ってこないと思ってましたわ」

「サーラ、おはよう。それとただいま、私も一晩出て行けと言われたんだから、帰ってくるに決まっているでしょう?」

「寒い夜の中、凍え死んだのではと心配しておりましたの。ねえ、お母様」

「ええ、帰ってこなければよかったのに」


 妹のサーラはまだ直接的に嫌味を言っているわけじゃないのだが、パメラ夫人は悪意を全く隠さずにぶつけてくる。


 今もサーラは嘲笑的な笑みをしているが、パメラ夫人は不快そうな顔を隠さずに私を睨んでいる。


「パメラ夫人、ただいま帰りました。私もすぐに仕事へと出かけますが」

「ええ、早く私の前から消えなさい。同じ空気を吸っていると思うだけで吐き気がするわ」


 とても口が悪いパメラ夫人、男爵夫人としての振る舞いとしては最悪だけど、私の前だけだから大丈夫なのかしら。


「はい、私も早く職場へと向かいたいです。ここよりかは空気がよいと思いますので」


 まあモレノさんが厄介だけど、それでも錬金術が出来るという一点だけで、男爵家の屋敷よりかは居心地がいい。


「それなら早く行きなさい。目障りよ」

「はい、行ってきます。サーラも、学院の勉強頑張ってね」

「お姉様に言われるまでもないわ」


 そんな冷たい家族の言葉を交わしてから、私は準備をして職場へと向かった。

 はぁ、またつまらない仕事が始まるわ……いつまでやればいいのかしら。


 絶対に仕事を辞めたいけど、次の職場も決まってない。


 せめて次の職場を決めてから、また辞める話をするべきかしら。


 そんなことを考えながら、だけど仕事が忙しくて実行できずにいたのだが……。



 私が野宿をした日から、三日後の夜。


 その日の仕事はなぜかモレノさんが午後からいなくなり、久しぶりに定時で上がれた。


 だから久しぶりにストレス発散もかねて、思う存分に錬金術の研究でもしようかな、とか思いながら屋敷に帰ったのだが……。


 屋敷の前に、とても豪華な馬車が停まっていた。

 男爵や子爵などではない、もっと上の貴族の方が使うような馬車だ。


 どなたが来ているのかしら?


 そんなことを考えながら屋敷の中へ戻ると、私と話してくれる唯一のメイドさん、イーヤさんが慌てたように近づいてきた。


「アマンダお嬢様! お嬢様にお客様が来ております!」

「私にお客? え、もしかして前に停まってた馬車って……」

「は、はい、お嬢様のお客様の馬車です」


 嘘でしょ!?

 私、あんな身分の高そうな知り合いなんていないけど!?


 それで、私が帰ってくるまで待たせていたってこと!?


「ど、どこにいらっしゃるの?」

「応接室です! 当主様や男爵夫人、サーラ様もお待ちになってます!」


 私以外の家族が総出で対応しているの?


 おそらくそれだけの貴族の方ってことね。


 私は着替える間もなく、すぐに応接室へと向かった。


 応接室に着くと、扉の前にいる執事の方が私の姿を確認してから、「アマンダお嬢様が帰って参りました」と声をかけた。


 すぐに「入れ!」とお父様の慌てた声が聞こえてきて、執事が扉を開けてくれる。


 そして中に入り、私は待っていた人を見て声を上げてしまう。


「えっ、カリストさん……!?」


 応接室の奥のソファに座っていたのは、私が野宿をした夜、一緒に話したカリストさんだった。

 カリストさんの後ろには執事の男性が一人、騎士の方が一人いた。


 二人とも男爵家の者ではないことは確かで、カリストさんの配下というのがわかる。


「やあ、アマンダ。久しぶりだな」


 ニヤリと笑ったカリストさん、あの夜の最後に見せた笑みと全く同じだった。


 私は状況がよくわからずに呆然としてしまったが、カリストさんの対面に座るお父様が話し始めた。


「カ、カリスト様、娘のアマンダをお呼びとのことでしたが、娘が貴方様に粗相をしましたでしょうか?」


 自分よりも偉い人に気に入られようとするような、機嫌を窺うような声だ。

 はっきり言ってダサいというか、みっともない声って感じね。


「……」


 お父様の言葉がイラついたのか、私に向けていた笑みから打って変わって、とても冷たい表情になるカリストさん。


 お父様が真ん中で左右にパメラ夫人、サーラが座っている。

 私が座るところはないので、とりあえずソファの後ろくらいに立っていた。


「そ、その、娘のアマンダの方は我がナルバレテ男爵家でも無能でして、サーラはとても優秀で愛らしいと評判なのですが……アマンダが粗相をしたのなら、本当に申し訳ございません!」


 お父様が私のことで頭を下げている……という感じだけど、あれはただ自分が、男爵家が助かりたいから頭を下げているだけね。


 男爵家の当主としては正しいのかもしれないけど、親としては最低。


「……例えば、アマンダが俺にとんでもない失態をした、と言ったらどうする?」


 カリストさんがとても冷たい声でそう言い放った。

 というか……え、まさか本当に、私がカリストさんに粗相を?


 お父様がこれだけカリストさんに下手に出ているということは、男爵家よりは上の爵位、子爵か伯爵……さらに上の侯爵ということもあるのかしら?


 そんな方に私は……食事代をせがんでしまったの!?


 こ、これは確かにとんでもない失態だわ……!

 するとお父様が私の方をチラッと見て、「余計なことを……!」というような表情で睨んできた。


 どうやらお父様も、私が失態を冒したと思ったようだ。


「そ、それならアマンダを煮るなり焼くなり、好きにしてください! ナルバレテ男爵家の恥、無能なので……アマンダの身一つを、どうぞお好きに!」

「ほう? アマンダを好きにしていい?」

「は、はい! アマンダをカリスト様に捧げますので、男爵家には手を出さないでいただきたく……!」


 ソファの前にあるローテーブルに頭が当たるほど下げる。

 お父様と一緒に座っているパメラ夫人とサーラも「お願いします!」と言って頭を下げた。


 なんというか、本当に私はナルバレテ男爵家の一員として数えられてないのね。


 もともとわかっていたけど……こうまで言われると、少しだけ寂しい思いがある。


 私が何も反応をせずに立ったままでいたら、お父様が後ろにいる私に怒鳴ってくる。


「おい、お前も頭を下げろ! お前がカリスト様に粗相をしたんだから、お前が生贄になるだけで済むように――」

「黙れ」


 お父様の言葉に、カリストさんが怒気を込めた声で制した。


「ひっ……も、申し訳ありません!」

「静かにしていろ、俺をさらにイラつかせたくないのであればな」

「は、はい……!」


 お父様は小さく返事をして、また頭を下げたまま固まった。

 隣に座っているパメラ夫人とサーラも頭を下げたまま震えている。


 三人の情けない姿が見られて少し胸がスッとするけど……お父様の言う通り、私も頭を下げた方がいい気がするけど……。


「私が聞いたことだけに返事をしろ、ジェム・ナルバレテ男爵。アマンダを、好きにしていいと言ったな?」

「は、はい、言いました」

「その言葉に二言はないな?」

「はい、もちろんでございます」

「ふむ、では……アマンダが、ヌール商会からすぐに退職出来るように手筈しろ」

「……はい?」


 カリストさんの言葉に、お父様が顔を少し上げて気の抜けた返事をした。

 私もカリストさんの命令のような提案に驚いた。


「なんだ? 出来ないのか?」

「も、もちろん出来ますとも! ええ、カリスト様の御言葉に逆らうことはありません!」

「そうか。それとアマンダの一人暮らしの許可と、俺が運営する商会に錬金術師として就職する許可が欲しいな」

「えっ!? ア、アマンダが、カリスト様の……ファルロ商会に、ですか!?」

「無理なのか?」

「で、出来ますが……」


 お父様がとても驚いている様子だが、私もそれに負けず劣らず驚いていた。


 ヌール商会から退職出来て、一人暮らしが許されるようになって、次の職場にすぐに就職出来るようにしてくれているの?


 それに、ファルロ商会?


 そこって帝国でも一、二を争うほど大きな商会で、貴族も平民も誰でも使える道具を多く出しているところじゃなかった?


 カリストさんが、ファルロ商会を運営している? それってまさか……。


「い、いいのですか? アマンダは無能で、仕事もとても遅くて、ファルロ商会に適した人材とは到底思えませんが」


 お父様がそう言うと、カリストさんの眼光がさらに鋭くなった。


「ファルロ商会の会長である俺の意見に、物を申すのか? それほどの価値があると? お前の意見に?」

「め、滅相もありません! 出来損ないの娘ですが、こき使っていただけたら幸いです」

「……もういい。許可が取れたのなら用済みだ。あとで正式な契約書を持ってこさせるから、そのつもりでいろ」

「か、かしこまりました!」


 テーブルに頭をくっつけている体勢が様になってきたお父様。


「わかったなら出ていけ。ここからはアマンダと二人で話すことがある」

「は、はい!」


 お父様が様になっていた姿から立ち上がり、パメラ夫人とサーラを連れて応接室を出て行った。

 出て行く際、三人から睨まれたりしたが、いつも以上に気にならなかった。


 三人が出て行ってから、応接室の中が一度静まり返る。


「アマンダ、改めて久しぶりだな。邪魔者もいなくなったから、座ってくれ」

「あ、はい」


 カリストさんにそう促されて、私はソファに座った。

 まず、私がすることは……。


「カリストさん、いえ、カリスト様。この度は私が大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

「待て待て、なんでアマンダが謝っているんだ?」


 私がお父様と同じような体勢で謝ろうとしたのだが、寸前でカリストさんが止めてきた。


「えっ、だって私が失態を冒したから、カリストさんが男爵家まで文句を言いに来たのでは?」

「いや、違うけど。なんでそう思ったの?」

「さっき『アマンダが俺にとんでもない失態をした』とおっしゃったではないですか」

「……あれはナルバレテ男爵の言質を取るために、適当に言った言葉だぞ」


 えっ、そうだったの? それにしては真に迫っていた気がするというか、とても怒っていたように見えたけど。


「それにアマンダが俺にした失態は別にないだろう?」

「食事をせがんだこととか……」

「それは俺がアマンダの話を聞いたり錬金術の腕前を見た対価で、全く問題はない。むしろあれくらいじゃ足りないくらいだった」

「それならいいのですが……」


 だがそれなら、まだいろいろと疑問が残っている。

 というかまず、カリストさんは何者?


 だいたい想像は出来ているけど……。


「その、カリストさんってどういう方なのでしょう? ファルロ商会の会長、と言ってましたが……」

「ああ、まだ言ってなかった。そろそろ家名も言おうか」


 やはり家名があるということは、貴族の方ということね。

 それにお父様が頭を垂れてゴマをするような相手、ということは……。


「カリスト・ビッセリンクだ。一応、侯爵家だな」

「……こ、侯爵様?」

「ああ、そうだ」


 ほとんど社交界に出ない私でもビッセリンク侯爵家は知っている。

 帝国の中でも数少ない最上位の貴族でとても有名だ。


 男爵家よりも上の爵位の方だと思っていたけど、まさか侯爵だとは……!


 そんな有名なビッセリンク侯爵家のカリストさん、いやカリスト様が、なぜここにいるの!?


「し、失礼しました。知らなかったとはいえ、無礼な態度を取っておりました」

「いや、俺がわざと隠していたのだからな。謝る必要などない」


 確かにそうだったけど、私も気づくべきだった。

 ビッセリンク侯爵家の方を見て気づかない貴族の令嬢なんて、私くらいだろう。


 ここ数年、全く社交界に出ていないから。


「こちらこそ申し訳ないな、アマンダ。君の意見をほとんど聞かず、職場や一人暮らしを決めさせて」

「いえ、それは全く問題ないというか、むしろとても嬉しいことなのですが……なぜこんなことを?」


 私がカリスト様に「今の職場を辞めたい、一人暮らしをしたい」という望みを言った。

 だけどなぜ侯爵家のカリスト様が、私のためにこんなに動いてくれたの?


「理由は一つ、俺がアマンダを気に入ったからだ」

「……はい?」

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