トマトスープ

相原梨彩

第1話

 仕事終わりお中元で送られてきた高級ホテルの冷製トマトスープを飲む。


「……うわ」


 高級であることに間違いはないのだろうがトマトを丸ごと使っている分よく酸味が効いていて隼人の口にはやっぱり合わなかった。


 あの時と同じように牛乳を流し込む。


 あの時から十四年。年齢も三十歳になりいい加減舌が大人になった頃だろうと期待したのだが十四年経った今も隼人の味覚は変わっていなかった。


 あの時と違うのは向かい側に美味しい、と飲み干すあいつがいないことだけ。


 それだけなはずなのに隼人の心には大きな穴がぽっかりと開いていた。


♦︎


 あいつ、早希は隼人の幼馴染だった。


 隣の家に住む彼女は幼稚園から一緒だった。


「はやとー!」


 会う度にバシッバシッと肩を叩かれていた。


「痛えよ、手加減しろよ」


「はあ?野球部でレギュラーになりたい人がこんなか弱い女の子のタッチだけで痛いなんて言うなんて、はあっ、こりゃあ全然ダメだね」


「いやお前は弱くもないしあれはタッチでもないからな?普通に女の子にやったら怪我するから。ってか俺が野球頑張りたいことちゃんと分かってるなら怪我しないように手加減しろよ」


「だからこんなか弱いおん、」


「あー! 分かった、分かった」


 何度も繰り返すのはごめんだと遮る。


 早希とはいつも言い合いをしていた。


 これでも一応付き合っていた。


 中学校を卒業するときに早希から告白された。


 本当は俺から言いたかったんだけどという言葉は飲み込む。


 OKすれば良かった、ととびっきりの笑顔を向けてきた早希を人目のない場所に連れて行き抱き寄せた。


「あいつを女として見るなんて無理だわ、あいつバケモンじゃん?」


「何であいつなの?」


 男友達にはしょっちゅう質問攻めにあっていた。


 確かに力強さや言葉遣いは女を感じない時もあるが早希は女の子だった。


 たまに見せてくる笑顔も泣き顔も抱きしめた時の華奢さも手の大きさも全てが女の子だった。


 高一の秋、珍しく部活がオフであったその日母さんから紙袋を手渡された。


 受け取れば意外と重い。


「それトマトスープだから早希ちゃんに渡してらっしゃい」


 聞けば父さんが貰ってきたものらしい。


 量が多く食べきれないのでお裾分けということだった。


 早希の家に行けば早希しかいなかった。


「お父さんとお母さん、今日法事でいないの。入ってっていいよ」


 彼女の家に2人きりという環境に緊張しながら家へと入る。


「これ、トマトスープだって」


「わー、ありがとう。ってこれめちゃくちゃ有名ホテルのじゃん! うわー、最高。ありがたく頂くわ」


「あ、そうなの? ただトマトスープって言われたから知らなかったわ」


「あんたんちお金あるもんね」


「まあ……」


 裕福な家庭であることは間違いない。


「ねえ、これ食べようよ。多分めちゃくちゃ美味しいよ」


 時計を見ればちょうど十二時を回ったところだった。


 お昼としてはかなり軽めだがまあいいだろう。


 冷製であるということで缶から出し少し冷やす。


 その間に早希はテキパキとパスタを茹で始めた。


 お昼ご飯を用意してくれるということなんだろう。


 手伝うよと手を出そうとすれば邪魔しないでと強い力で叩かれ怒られた。


 早希なりの優しさだと受け取っておくことにする。


 パスタが茹で上がり絡めたのはトマトソースだ。


 今日のお昼はトマト尽くしのメニューみたいだった。


「はい、出来たよー」


 結婚したらこんな感じになるのかななんて先のことを想像してにやけそうな口元を覆う。


「いただきます」


 手を合わせまずスープに口をつければ、


「酸っぱっ!」


 想像以上の酸味に驚き声が上がる。


「え? そんな酸っぱくないじゃん」


 向かい側で早希は平然とした顔で食べ進めていた。


「俺、これ牛乳ないとダメかも」


「え〜? まあいいけどさ、好き嫌いは良くないよ」


「分かってるって」


 牛乳で酸味を薄めながら何とか流し込む。


 早希が作ってくれたトマトソースのパスタは酸味もちょうどよく美味しかった。


「後5缶くらいあるの助かるわ。これめっちゃ美味しい」


 皿洗いは2人で終わらせテレビをつけながらソファに座る。


「味覚合わないわ、もう俺はこれで勘弁」


「高級な味が合わないただの馬鹿舌ってことでしょ」


 これだからお子様はとため息をつかれる。


「馬鹿はないだろ、庶民的で家計に優しいと言ってくれ」


「これだから坊ちゃんは」


「それは嫌味か? 褒めてんのか、褒めてないのかどっちだ」


「当然褒めてないですー」


「おい!」


 軽く肩を叩けばその倍で返ってきた。


「相変わらず手加減を知らねえな」


「あんたは私を女扱いしすぎ」


「だって女の子だろ」


「もっと強く叩いていいのに」


 何故か不満気な早希の唇にそっと口付ける。


「はっ? え、待って何のタイミング? どういうこと?」


 急な口付けに早希はパニック状態だ。


「好きな女の子だからそんな本気で叩いたり乱暴なことはできませんよっていうキス」


「……もう」


 耳まで真っ赤に染め頬を両手で包み込んでいる様子は誰がどう見たって女の子だった。


 ♦︎


 あれから14年経った今、向かい側に早希はいない。


 あれから隼人は野球部のレギュラーにはなれなかったが何とかベンチ入りを果たし控え選手としてベンチを盛り上げた。


 早希は相変わらず男勝りなことをして男を怖がらせていた。


 大好きだった。けれどいつからかすれ違っていた。


 部活に一生懸命な隼人と恋愛をしたい早希。


 会えない時間が増えるごとに喧嘩が増え最終的に別れという道を選んだ。


 あの時、隼人がもっと器用でどちらも手放さないという選択肢を取れていたらどちらも大事に出来ていたら今あの時と同じトマトスープを飲みながら虚無感に襲われることはなかったのだろうか。


 トマトスープに透明な雫がはらはらと落ちる。


 久しぶりに食べたトマトスープは酸味に加えて何故かしょっぱかった。

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トマトスープ 相原梨彩 @aihararisa

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