激重彼氏・彼女 まとめたーの
染谷市太郎
君の心臓になりたい
「自己と非自己の境界は白血球が決めてくれる。
その線引きがはっきりしていれば、体外の異物を排除してくれて。
その線引きがあやふやであれば、他者からの贈り物を受け取ることができるんだよ」
受け逃した講義の内容を、幼馴染は平易にかみ砕いて教えてくれた。
「悪いね、ノートさえ写させてもらえればよかったんだけど」
「ううん、大丈夫だよ。けいちゃんのためになれば僕嬉しいから」
「そう」
にこにことする幼馴染に多少申し訳なく思う。
「何かあったら僕に言ってよ。なんでもするよ」
「あまりそういうことは言うもんじゃないよ」
幼馴染を体のいいパシリにするつもりはない。
何でもかんでも人のために動いてしまう彼が、いいように使われていないか心配だった。
「そうかなぁ……」
私の注意に幼馴染はいじけてしまった。
「さて、今日の時間はここまでかな」
私は開いていたノートを閉じる。
幼馴染が入院する病院の面会時間は少し前に終わっていた。
勉強する私たちに気を利かせ病院側は許してくれているが、これ以上甘えることはできない。
「僕はリモートで授業受けられるから、けいちゃんはいつでもサボっていいんだよ」
「さすがにそれは教授に申し訳ないよ」
今回の休みもサボりではなく家の事情のためだ。
「ええー」
「また来るよ」
私は渋る幼馴染をなだめ帰路についた。
「ただいま」
と私の言葉は大きな破壊音に紛れた。
台所から響いた陶器の割れる音と、女のヒステリックな声に私はため息を吐く。
「いつまで遊んでんのよ!私が誰のために働いてると思ってるの?!あんたそんなことも考えられないわけ!?そういうところほんとお父さんそっくりだわあんたもどうせ私が死ねばいいと思ってんでしょ死んでやらないわよ絶対にあんたらみたいなクズのために死んでやるもんですか!」
一人で完結した考えを怒鳴り散らす母親を横目に、荒れた台所を片付ける。
無視をしているとそのうち金切声は啜り声に変わっていった。
一生そのまま泣いていろ。
母が不安定になり始めたのは離婚後だろうか、あるいは産後だろうか。
とにかく現在はこのような様子で、外で働いてはいるもののそのストレスを家で発散する。
家には私以外にも介護が必要な祖父とそれを介護する祖母がいるため、あまり大きな声は出してほしくない。
祖父の容体が悪化すればそのしわ寄せは私に来るのだ。当然母は祖父の介護に参加などするものか。
先日もそのせいで講義を受け損ねた。
大学を出なければ私の子ではないと言い放った母のため、奨学金まで借りて大学に行ったのだが、結局大学での勉強も満足のいくようなものではない。
母は知ったことではないだろうが。
勉強と、介護の手伝いと、母の機嫌取り。それらを並行しなければならない私にとって、幼馴染の元は平穏そのものだった。
病院は安全だし、誰かの世話をしなくてもいい。幼馴染との時間に没頭できる。
しかしその時間も長く続かないと、私は理解していた。
幼馴染の病気が悪化の一途をたどっているのだ。
幼少期から今まで、なんとか命をつないできたこと自体が奇跡と呼べるほど幼馴染はいたるところが病魔に侵されている。
病気の詳細は、医療に詳しくない私には理解不能だが、特に臓器の働きが低下するものらしい。
今までは病気の進行を抑えていたが、それも限界で、最後の手段として臓器移植が挙げられているという。
そのような不運の中で、幼馴染にとって唯一の幸運は、ドナーがすぐに見つかったことだ。
正確には、もともと将来的には移植手術が必要として探し続けていたらしい。
幼馴染の寿命が延びる。よいことだ、と私は単純には喜べなかった。
他人の臓器が幼馴染に収められる。
それを想像しただけで吐き気を催した。
なぜ他の誰かなのだろう。
なぜ私ではないのだろう。
ただその疑問だけが私の頭に充満した。
幸いなことに、私には手段があった。
長年の幼馴染のための病院通いにより、病院には懇意にしてくれる人間がいた。
それらに頼んで多くの情報を集めた。
移植手術には何が必要なのか。何がかかわるのか。幼馴染のhla型、私のhla型。
そして、ドナーの情報。
幸運は私についていた。ドナーは日本人だった。
臓器は日本にある。海外へ行くよりは安易だ。不幸なことがあり、それらを移植不可な状況にすることは。
そしてもう一つ幸運なことがある。
私と幼馴染のhla型は一致していたらしい。
これこそ奇跡だろう。
募った思いはこんな形で成就するのだから。
一つ、懸念があるとすれば母だ。
あの女は臓器提供に反対する可能性がある。
しかし、私を生んだだけのヒステリックな女に左右されるわけにはいかない。
母は元々頻繁に飲酒をしていたから、処分は簡単だった。
母の次に保護者となる父の処分は面倒だったが、ここは努力でどうにかできた。
その後の保護者は順調に祖父母となる。
祖父母は処分するよりも、認知症を理由に保護者から外すことを簡単にできた。
そして私の保護者を、幼馴染の両親にすることができた。
彼らは喜んで許諾するだろう。なにせ息子の命を長らえさせることができるのだから。
そして準備は整った。
元々のドナーが使えないため、移植手術の予定に多少は狂いがあっただろうが、私の臓器はきれいな状態で病院に運ばれる。
脳死判定から臓器移植の決定までは、遺書も用意したためスムーズにいくだろう。
あとは目の前の水中に落ちる。
そして幼馴染のもとへ届くまで、楽しみに待つだけだ。
よかった。
けいちゃんにドナーのことや、移植手術のことを詳しく教えといて。
だって僕は他人の臓器を体に収めるなんてしたくなかった。
それはけいちゃんだって同じだろう?
診断の情報に手を加えるのは少し手間だったけど、けいちゃんもあんなに無理をしてくれたんだ。僕も無理をするのが道理だよ。
でもとてもうれしかったよ。こんなに僕のことを考えてくれるなんて。
本当は合わない臓器を入れると死んじゃうんだって。
でも僕はけいちゃんのこと受け入れられたよ。
愛があれば何でもできるよね。
だって大好きだもん。
僕もけいちゃんのことを愛してるから、けいちゃんもうれしいよね。
ようやく、自己と非自己の境界を越えて、僕らは一緒に成れたよ。
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