第44話 本当に悪いヤツ
目が覚めると———六畳一間の俺の自宅にいた。
「———え?」
日本の、典型的な男の一人暮らしのアパートの一室。
会社員として生きてきた、俺の部屋だ。
さっきの先まで、ミハエルに沼に沈められて、浮上しようと思っていたところだったのに。急にチャンネルが切り替わるように意識がこの空間に飛ばされた。
いや、空間に飛ばされたんじゃなくて、目が醒めたのか?
「もしかして……全部夢だったのか……?」
そう思って窓の外を見る。
外は夕焼け。若干暗くなっており、部屋の中の光が反射して鏡のように俺の姿を映し出す。
シリウス・オセロットだ。
「———⁉」
シリウス・オセロットの肉体のまま、日本の俺の部屋にいた。
「どういうことだ……?」
「すまんのう。呼び出して……お主が死にかけたことにより、
廊下側から声が聞こえ、足音が響く。
この部屋からふすま一枚隔てて、姿は見えないが、誰かがいる。
女だ。
がさがさと何か、ビニールがすれるような音が響いてくる。
「———誰だ?」
「すまんのう。せっかく呼び出しておきながら、あまり長くは話せそうにない———ただ、一つ聞きたいことがあるだけなんじゃ……」
「何だ?」
彼女は老人のような言葉遣いだが、声は妙に高い。まるで少女の様だ。
彼女の姿を確かめたいが、何故だかそれはいけないことのような気がして、ふすま越しに会話を続ける。
「……お主、何故怒りという感情を持たん? 我にはお主の心がわかるが、あのミハエルという小僧に対しても、アンという小娘に対しても、お主の心には一切敵意や怒りといった感情がない。あやつらはお主を殺そうとしているのに。なぜじゃ?」
「それは———俺が、この体がシリウス・オセロットだからだ。罪を犯し、死ななければいけない運命にある体だからだ……俺が死なないとあのロザリオの世界が救われない。なら、怒りの感情もわいてこない」
「そうか……ではもし、もしその死ななければならない運命や、罪がなくなったとすれば、お主は奴らを殺そうと思うのか?」
「いや、それは……」
それはそれで話は違う。
「そうなったとしても、殺そうとまでは思わない。死んだらそれまでだし、生きていればいつかは分かりあって違う道があるかもしれない。だから、守るためには戦うけれども、命を奪うことまではしないよ」
「ほう……命までは奪わぬか。では分かり合うと言っているが、お主はあの世界で生きていくつもりか? さんざん死ななければならないと自らに言っておいて?」
「あ……」
「どうせ死ぬのだから、別に何をしてもよいではないか。アンとかいう娘はともかくとして、あのミハエルとかいう小僧は殺しても構わんだろう? どうじゃ?」
声の主に言われて気づく。
確かにそうだ。俺の答えは矛盾している。
俺はどうせ死ぬ運命にあるのなら、人の命なんて顧みずに好き勝手してもかまわないじゃないか。
やりたいことをやって生きていくと決めたんだから……。
「いや……やっぱりなしだ」
———ミハエルは、殺さない。
「ほう、なぜじゃ?」
「あいつにはあいつの事情があるとか、本当は優しい奴なんだとか月並みなことを言うつもりはない。ただ単に———やりたくないんだ」
「何……?」
「俺はあの世界でやりたいことをやって生きていく。こっちの、現実世界でできなかった分までやりたいことをやる。その中にないんだ。〝ミハエルを殺す〟っていうのが」
現実世界で、生きてきた、部屋を見渡しながら答える。
ぶっちゃけ、この先の展開で、ミハエルが生きていなければ発生しないイベントがあるので、この時点で殺すとルートがどうなるかわからないと言うのもある。
だが、それ以上に、単純にあの少年を断って分かり合う道を閉ざすと言うことを俺がしたくなかった。
「———答えになってはいないな」
「答えがある問いかけだったのか?」
なぜか、ふすまの声の主は嬉しそうに「フッ……」と笑った。
「そうか……やはりお主は面白い。お主の言葉、我が胸に深く刻み込んでおこう」
「? ああ……」
「そろそろ行くがよい。
部屋に置いてあるテレビの電源がつく。
そこに映し出されているのはミハエルとアリシアの光景。ミハエルに土魔法で拘束されて動けなくなっているアリシアの姿だ。
「———アリシア!」
俺は、テレビの画面に向かって前のめりになると、そのまま体が吸い込まれていった。
「————ああ、そうそう、最後に一つ、お主も我が言葉を胸に刻み込んでおけ」
「———?」
テレビに体が吸い込まれ切る直前に、ふすまの向こうの声の主が言う。
「———よの中には、本当に悪いヤツもおるのだぞ」
その言葉を最後に———俺の視界は沼地に変わった———。
◆
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ‼」
全身から魔力が迸り、それをそのまま解き放つ。
すると、魔力が沼の流れを操作し、俺が思うがままに下から上への奔流を作り出して、体を押し上げていく。
高揚感が全身を包んでいる。
今なら何でもできるような気さえしてくる。
俺は、アリシアが沼に飛び込もうとするのを声を上げて阻止し、自力で沼から脱出して見せて、陸地に着地する。
「シリウスゥゥゥ……! 貴様ァ……生きていたのかァ……!」
ミハエルが歯ぎしりをして、俺を睨みつける。
「ああ、少し灸をすえねばならない奴がいるからな」
「灸をすえる? 誰にだ?」
「貴様にだ。ミハエル」
俺は彼を指さし、懐から手袋を取り出して、彼の目の前に投げ捨てる。
「決闘だ。ミハエル・エム・プロテスルカ。俺が勝ったら今後貴様は俺の奴隷とする」
「な……⁉ 僕は王子だぞ何の権限があってそんな……!」
「生徒会長権限だ。この聖ブライトナイツ学園に所属している以上、
「ギギギ……」
顔を真っ赤にして覇を食いしばり続けるミハエル。
挑発されて、怒りに任せて決闘を受けたいが、負けた時のリスクがあまりにもありすぎるといった顔だ。
もう一押しだな———。
「それとも———王子は自分では何一つ決められないというのですかな? 人の敷いたレールの上でしか、生きられない哀れなおぼっちゃま」
「————ッ‼ いいだろうシリウス! その決闘受けて立つ! ここで君を殺して‼ 最愛のアリシアにその死にざまを見せつけてやるよォッ!」
ミハエルは杖を振り回す。
「大地よ、
彼の足元の土が隆起し、大量の土の大砲を作り出す。
そこから一斉に岩石の砲弾が発射され、砲弾の雨が俺へと降り注ぐ。
「ハッハッハッハッハ————‼ 避けることもでき、」
「避ける必要などない」
ガァンと岩石の弾の一つを拳で砕くと、その破片が別の弾に当たり———砕く。
その現象が連鎖し、岩の砲弾の雨は一瞬にしてすべて砕け散った。
「この程度か?」
「————舐めるなぁ!」
挑発すると、ミハエルは更に連続して岩石の砲弾を撃ち続ける。
再び迫る砲弾の嵐だが———俺の目には全く脅威には映らない。
「———この程度の様だな」
「ヒッ————⁉」
俺はそれを破壊しながら、ミハエルに向かって歩み寄る。
俺の体に着弾しそうになれば破砕し、また迫るものを破砕し、淡々と作業のように砕いて行きゆっくりと怯えるミハエルへと歩み寄っていく。
「何故だぁ⁉ シリウス! お前の身体は毒に侵されていたはずなのに! どうしてそんなに———ッ!」
毒? あぁ……そういえば、すっかり忘れていた。
沼に引きずり込まれた時は多少、気分が悪かったが今はすっかり回復している。むしろ気分がいいまである。シリウスの肉体の自然治癒能力が毒を勝手に打ち消してくれたのだろう。
本当に———どれだけこの体は
「そのようなもの、この
「そんな……! そんな理不尽な話があってたまるかぁ~~~……!」
いや、本当にそう思うよ。俺も。
だけど、効かなかったものはしょうがないだろう。
「フンッ……そのような小細工に頼るから、好きな女一人振り向かせることができんのだ!」
とりあえず、そんな無敵体質は棚に上げて、ミハエルを叱りつけると、いつの間にか彼の眼前まで辿り着いていた。
「ヒィ———ッ!」
彼が作り出した岩石の砲台を踏み砕く。
「ヒッ……ヒィ……!」
「…………」
ミハエルが怯え、後ずさる。
その彼に見せつけるように拳を握り締めると———。
「ぼ、僕を殴るのか⁉ そんなことをしたらどうなるのかわかってるんだろうな!」
ミハエルは、情けなく俺を脅してくる。
「戦争だぞ! 僕はアリシアと結婚するためにこの国に、学園に来ているんだ! 両国の関係を取り持つために! そんな僕を傷つけてみろ! 戦争が起きるぞ! 君はその引き金を引くことになるんだ! それでいいのか! シリウス・オセロット‼」
「構わん。
「な———⁉」
どちらにしろ、「紺碧のロザリオ」のシナリオ展開ではミハエルがアリシアと結ばれる未来はないし、それに怒ってミハエルはプロテスルカ帝国の軍を動かす。
俺が何をしようが、アリシアが彼を拒絶し、ミハエル自身の性格の悪さからして、プロテスルカと険悪な関係になるのはわかり切っている。だったら、覚悟を決めて振り切った方がいい。
「———やってみろ、と言ったであろう。覚えておけ、ミハエル。世の中には本当に悪いヤツもいるのだ。貴様のような小悪党がどんなにこざかしく権威を振りかざそうと、問答無用で叩き潰すような悪い人間が———、」
ふと、頭によぎった言葉だったが、この言葉は誰の言葉だったか……つい最近聞いたような気が……。
「ヒッ……! ヒィ……‼ 来るな……来るなぁ……‼」
俺はポキポキと指を鳴らした後、グッと拳を振り上げ———、
「————自分では何もしようとせず、人に頼ってばかりいるから、〝こう〟なるのだッッッ‼」
思いっきりミハエルの顔面を殴り飛ばした。
異常なシリウスの力と魔力、それを思いっきりぶつけられて、ミハエルの身体はボールのように飛んでいった。
「ぐギッ、アはああああああああああああああああああ……‼」
断末魔の叫び声をあげて、草むらへと突っ込んでいくミハエル王子。
「———ミハエル。もう一度、よく考えてみろ。お前がしたかったことは本当にこんなことだったのかを」
もはや聞こえているかもわからないが、ミハエルに対して俺が思ったことをぶつける。
草むらの隙間から彼の腕がのぞきピクピクと震え、「ぼくは……ぼくがしたかったことはねぇ……」と呟いていた。
聞こえていたようだ。
ふと、沼地を見ると、『ミハエルとアリシアのラブラブ学園日記♡』という本がブクブクと音を立てて沈んでいっていた。
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