第22話 うちのこが一番可愛いってやつですか?

私は今、服がずらりと並べられた場所に来ている。

王宮で使われるドレスルーム――その部屋にアーサーに招かれたのだ。




王家の人間だけでなく、王宮で暮らす使用人や騎士も場合によっては社交の場に出る事になる。その為に大小様々な衣装が揃えられているのだ。つまりは王家の厚意によるレンタル衣装を揃えた場所で、家の威信を賭けた豪勢な衣装はここには無いのだという。




「本当は王家専用の部屋に招待したいと思ったが……あそこはハイネすら入った事が無い場所だ。俺の一存でどうにかする事は流石に出来なかったな。すまない、ミーシャ」

「い……いやあ……とんでもないです。むしろ、ここですら私には眩しすぎるくらいで……」




私は腰が引けつつもアーサーの言葉を否定する。

広々とした空間の中にいくつもの正装が立ち並び、照明に照らされて当たりには輝きが満ちている。私自身に与えられた部屋にも備え付けの衣装はあるが、ここまで華やかなものは無い。汚したりするのを気にしなくていいように、動きやすく簡易なものをと依頼したからだ。


美しいものを見て気分が高揚する――というより、転んだり何かを引っ掛けたりしてこれらの衣装を傷つけてしまったらどうしよう――という恐怖心の方が大きい。庶民の悲しい性である。

私の事を猫と見立てて、衣装を好き勝手に倒したりするのを期待しているのかもしれないが、それを実行した時の被害総額の事を考えるととてもそんな事は出来ないと思う。そういう事を依頼されても丁重にお断りしよう。

なるべく縮こまるようにしつつ、私はアーサーに質問する。



「殿下は、何故私をここに?何か用事があったのですか?」

「ああ。その……君も知っての通り、俺は王家に生まれた身だ。社交に出る機会が少なくない。だが、綺羅びやかな場所に出るよりも、災厄討伐の為に駆け回る事が多かった。平たく言うと、俺は服飾に疎い。そこで、ミーシャの意見を聞いてみたいと思った」

「私の意見……ですか?」

「ああ。会合に出る場合にどんな衣装が俺に似合うか見立てて貰いたい。仮に公の場にそぐわないようなものだとしても、ミーシャが個人的にこれがいいと思ったものがあればどんどん言って欲しい」

「あの、少しよろしいでしょうか」

「何だ?」

「私が王宮に来る以前から、殿下には公の場に出る機会が数多くあったのだと思いますが……その時はどうしていたのですか」

「使用人たちに見立ててもらっていた」

「そうですよね……今回も使用人の方に見立てて貰えばいいのでは。慣れていらっしゃるでしょうし……」

「そういう事ではない。ミーシャがいいんだ」

「な、何故」

「ミーシャ。俺の審美眼を信じて欲しい。ミーシャの意見は絶対に参考になるんだ。ミーシャに見てもらおう。それがいい!」

「は、はあ……」



アーサーの奇妙な気迫を感じて、私は思わず頷く。そもそもアーサーの審美眼に自信が無いから見てもらいたいという話じゃなかったのかと内心混乱したけれど、何か切羽詰まったような彼の様子を見ていると何も言えなかった。




結果として、私がアーサーの役に立ったのかというと、何ともいえない。

正直なところ、アーサーは何を身に纏っていても美しく見えるからだ。

黒のベストとコートも、シックな赤の燕尾服も、彼の眩い金髪によく映えた。

だが、私が一番のお気に入りにあげたのは、これらの会合で衆目を集めそうなものではない。

私は白とブラウンの組み合わせの、温かみのある組み合わせが好きだと伝えた。


私の中では、黒の衣装はクロードのイメージに近いし……。

赤の衣装は、災厄討伐に赴く時のアーサーを思わせる。

私は柔らかな印象のアーサーが一番好きだ。だからその衣装が好みだと伝えた。



「なるほど。ミーシャはこれが……。ありがとう。ここの衣装は基本的には貸出用のものだが、買い取る事も出来るからな。これは自分用としよう。大切にするよ」

「あ、でも、社交界で人気になる服装かというと、私には判断がつかないです。これはどちらかといえば軽装に近いですし……。なので、他の方に聞いていただけると」

「でも、ミーシャの好きなものはこれなんだろう。それなら俺にとっても大事なものだ。仮に公の場にそぐわないとしても、私的に大切にする」

「そう……ですか」

「動きやすい服装は俺の気質にも合っているしな。そうだ、ミーシャ。良かったら時間のある時に一緒に街に行こう。君の選んでくれた服で出掛けてみたい」

「え。でも……殿下の正体がわかってしまうと……」

「王家の中で広く顔を知られているのは、母上、父上、兄上……それくらいだ。髪や目の色を誤魔化せばきっと大丈夫だろう」



未来の話をするアーサーからぽわりと魔力上昇の光が溢れている。

……彼の様子からすると、本当に喜んでくれているみたいだ。


アーサーの役に立てたならば、良かった。

でも、少し不思議な事がある。

……今の私は、猫役としての振る舞いを出来ていないと思う。それでも、アーサーは魔力上昇を続けているのだ。

どうしてだろう。

魔力が高まるかどうかは、アーサーの主観によって決まるだろうから……。アーサーは、服を猫に選んで貰ったりした事があるのかな。



「ミーシャ。――君も好きな服を着てみないか?」

「え?」


私が考え込んでいると、アーサーに誘われる。彼の長い指が色とりどりの服の方に向けられていた。


「君が王宮で過ごすに当たって、作業に適した服の支給を希望したというのはハイネから聞いている。だが、使用人達だってファッションを楽しむ為に時折ここに来るのだ。世話になっている君も連れてきたかった。ミーシャ、好きなものを選んでくれ」

「え、い、いや……そんな……」


私はアーサーの提案に狼狽える。

私が王宮で働くにあたって、動きやすくかつ目立たない格好でいたいというのがハイネさんにリクエストした事だ。自室にリクエスト通りの服を揃えて貰って、こちらとしては満足していたのだが。


新しい服か……。


ファッションには疎い方だけど、服や小物を新調するとそれなりに気分は上がる。

だけど、こんなに華やかな衣装を身にまとっても、衣装負けするだけだと思ってしまう。


でも、アーサーが希望しているのなら……。


…………!



私は、はっと気づいた。

わかった。

これは――”フリ”だ。

この部屋に入ってから、猫のように振る舞う事は自重していた。衣装を破壊したり踏みつけて歩くのは出来ないと思ったからだ。

だけど、穏便に猫の振る舞いをする事だって可能じゃないか。

それは、服を着せてもらうのを『嫌がる』事だ。


私はかつてクロードのもとにケープを持っていった時の事を思い出す。


クロードは人の姿と猫の姿を取る事が出来る。人の姿でいるとき、彼はシックな黒の衣装を身に纏っている。本人曰く昔に見た人間の貴族の衣装を参考にしたとのことだ。

猫の姿でいる時も美しくもふもふで愛らしいのだが、ある時私は思いつきで黒いケープを持っていった。

クロードが猫の姿の時に、人の姿の時のような衣装をさせてみせたら可愛いだろうし、本人も喜ぶかもしれない――そう考えたのだ。



結果、ケープを巻かれたクロードはチベットスナギツネのような表情になり、おまけに私に爪をお見舞いした。

人間の姿を取っている時にあれこれ着替えるのは嫌いでは無いが、猫でいる時はケープの感触が気に食わなかったと言っていた。

色々な服を着せて可愛いと思うのは人間にとっての感性で、猫にとっては必ずしもそうではないのだと実感した出来事である。



だから、私はアーサーに告げる。

「着たくありません!」

「……そうなのか」

「はい。眺める側からすれば楽しいのかもしれませんが、着る側からすれば迷惑という事だってあるんです。私には言わないようにしてください。お願いするのならば他の方に……、…………」



私はアーサーの様子を伺い、そして内心愕然とした。

アーサーの魔力の輝きが失われている。

猫の呪いの影響でダメージを受けた時と同じくらい魔力が低下していると見える。どうやら、アーサーはかなり気落ちしているようだ。



私は慌てて言い募る。

「……な、なんて、殿下!すみません、今のは聞かなかった事にして下さい!着ます!本当は興味があったんですが言い出せなくて」

「ほ、本当か。ミーシャ……だが、無理はしなくていいんだぞ……?」

「無理はしてません!その、私、最初は遠慮した方がいいかなって思ったのであんな事を言って……。本当は、一度くらいは体験してみたかったんです。殿下に誘っていただいて、嬉しかったです」

「そうか……」


雲で覆われた空が晴れ渡るように、アーサーの表情がぱあっと明るくなった。

私は胸を撫で下ろしつつも、内心疑問に思う。



……アーサーの想像する猫というのは、着せ替えに積極的に喜んでくれる性格をしているんだろうか。

アーサーは実際の猫とは長らく触れていないから、猫の行動について想像で補う事が増えてきていて、その結果猫の振る舞いの当たり判定が大きくなっているのかもしれない……。

まあ、今は私の疑問よりもアーサーの望みを叶える方を優先したい。

私は着替えの方に集中する事にした。



基本的に、ドレスというのは人に手伝って貰って着させてもらうものだ。一人では着られないつくりになっている。

だが、このドレスルームでは魔法が込められた道具によって簡単に試着出来るようになっていた。アーサーが先程服を次々と着替えていたのもその道具の力あってのものである。

カーテンの内側で道具を使った私は、着替えを終えてそっとアーサーの前に出る。



「…………」

「……着てみました」



正直なところ、何ともいえない居心地の悪さで目が泳いでしまう。

初めてヒールのある靴を履いた時、姿勢を綺麗に保つのが想像以上に大変で鏡の前で震えた事を思い出す。背伸びした格好というのは、うまく着こなせていないと普段着の時以上に残念な印象を与えてしまうものだ。

アーサーにそういう印象を持たれるのは、嫌だった。


私が王宮に滞在出来る期間は決まっている。この先に多少の延長の打診があったとしても、ずっと王宮にいる事は出来ない。アーサーと共に過ごせる時間には限りがある。だからこそ、なるべくいい印象を持って貰ったままで役目を全うしたいと思っていた。



私はおそるおそるアーサーの様子を伺う。


アーサーは緑色の目を細めて私を見つめている。

見入っている――と錯覚してしまうくらい、瞳が熱を帯びているようだ。



「ミーシャ。……とても綺麗だ」

「……そう、ですか」

「写真技術を日常で使う事が出来ないのを、これ程残念に思った日は無いよ」

「で、ですが……殿下はドレスなど見慣れていますよね。以前に演劇を観に行った際も、とても華やかな方ばかりで……」

「――確かに、君の言う通りかもしれない。でも、俺はミーシャのそんな姿を見るのは初めてだったから」

「…………」

「もし、君が嫌で無いなら……他にも選んで欲しい。ミーシャの好きだと思ったものが知りたい」

「い……嫌では無いですが。少し、気恥ずかしいです……慣れていないので」

「そういう表情を見るのも、楽しい……と言ったら、流石に困るか。忘れてくれ。……でも、俺は楽しいよ。これからも、君のいろんな顔を見たい」



融けるような目でそんな事を呟くアーサーから、輝きが溢れている。魔力が高まっているのだろう。

これが猫だと考えると、例えば……猫が恥じらいを覚える場面というのは……。

猫が恥じらいを覚える事は、あるのか……?

わからない。


アーサーが私の様子を見て喜んでくれているのは……所謂、うちの子が一番かわいいという境地に至ったのかな。それならまだ理解出来る。

それか、私の持つ猫のイメージとアーサーの持つそれが段々と乖離してきたのかもしれない。それならばイメージを擦り合わせるように気をつけないといけない。



そう思ったけれど――、アーサーの熱の入った様子に流され、そんな確認は出来ないままに時間は過ぎていった。

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