第20話 初恋

アーサーの声は涼やかで、姿が見えない状態でも聞き惚れてしまうくらいなのに、話している内容がおかしい。

それでも、私は物陰で心から安堵していた。

――アーサーが無事に戻ってきてくれた。

折角だ。

浮足立ったこの気持のまま、彼を喜ばせるようにしよう。



「……俺が聞いたのは幻の声だったのかもしれないな。だが、願いが叶うなら、今一度その天使の声を聞かせて欲しい……」

「にゃあ~」

「!?そこか!」

「私ですよ、殿下」

「……!ミーシャか!」



影から姿を出した私は、アーサーにぺこりと礼をして、彼に確認する。



「お疲れ様です。殿下。……災厄討伐はどうでしたか?」

「ああ。確認しに行ったら小さなボヤが発生している程度のもので、早々に祓う事が出来た。この後はもう、部屋に戻るだけだよ。いつもこうならいいんだがな」

「それは良かったです。殿下はこの聖堂はよく来られるのですか?」

「ああ。君を初めて出迎えた場所は公的な儀式をする場で、俺もよく祈りの為に行く場所だ。あそこに比べるとここの聖堂は訪れる人も少なく、気分転換に丁度いいところだ。だから、空き時間がある時はたまに来るようにしている。……それにしても……」

「?」

「いや。最初、本当に猫がいると思ったんだ。ここはあまり人が来ない場所だから、こっそりと猫が住んでいてもおかしくないかもしれないと、一瞬思ってしまった。……ミーシャの技はすごいな。俺もあんな鳴き声が出せるようになれば、この飢えも自分で満たせるようになるだろうか……」



アーサーはふっと笑った。

私の技量を褒めているようで――その実、彼はどこか残念がっているのかもしれない。

本当に猫がいると思ったら、幻だったのだから。

災厄の被害者がいなかったとしても、実際に立ち回って問題解決までするのは大変なものだ。今のアーサーが疲れているのは確かだろう。


――彼をもっと癒やしてあげたい。


そう思った私は、無言で立ち上がり、聖堂の隅にあるオルガンを開いた。そして、音を出す。聖堂の壁に反射する音は、メロディになっていなくともどこか綺麗だ。

私は続けて鍵盤を叩く。ただし、何かの曲を弾く訳ではない。黒鍵盤を弾いてみたり、不協和音を流したり、とても人間が弾いているとは思えないような音を奏でた。

アーサーは私を見て、無言でそっと隣に立ち、私の髪をふわふわと撫でた。



「……俺にはピアノの上で歩き回る猫が見えるよ。ありがとう、ミーシャ」

「ふふふ……」



私の意図が通じたならば何よりだ。私を撫でるアーサーからはぽわぽわと魔力上昇の輝きが放たれている。


「意図しなかった事だが、今日は二回もミーシャと遊ぶ事が出来た。後は自由にしてくれて構わないよ」


アーサーが目を伏せて言う。

それを聞いて、私は考える。

これから私は猫として振る舞わなくてもいいという事だ。

では、私のしたい事は……。



私はオルガンの椅子に座りなおし、両手を動かした。記憶を探りながら指を動かすと、懐かしい旋律が聖堂の中に響き渡る。

未だ私の隣にいるアーサーは、私の手元をじっと見ながら口を開く。



「……初めて聞く曲だな。これは?」

「これは、私の故郷でよく聞いていた猫の曲です。私はピアノの心得は無いのですが、これは簡単な曲なのでよく弾いていました。猫踏んじゃったという……」

「猫を……踏む?」

「あっ」



しまった。

軽い気持ちで曲名を出したが、猫好きでこの曲に馴染みの無いアーサーはぎょっとするかもしれない。本来ベルリッツではこの曲は存在しないのだろう。

私は慌てて追加で説明をする。


「……えっと、今は知っている人があまりいないみたいなのですが、昔はこのメロディの曲が色々な場所で練習曲として使われていたみたいなんです。場所によって歌詞が違って、一番ポピュラーなのは猫ふんじゃった、猫ふんづけじゃったら引っ掻いた、っていう歌詞なんです」

「そ、そうか。そりゃそうだろう……引っ掻くくらいで終わっているのが慈悲深いくらいだ……」

「そうですね。でも、他のところだと、もっと平和な歌詞になっている所もあるんですよ。ここでは……そうだな。猫なでちゃった、にしましょうか。猫なでちゃったらごろ寝した、みたいな感じで」

「ふふ。それは可愛らしい歌詞だな。猫は必ずしも撫でたら喜んでくれるとは限らないものだが」

「まあ、音楽にくらい願望を込めてもいいじゃないですか。私はそう思います」

「……。ミーシャは、色々なものを楽しむ事が得意なのだな……」



アーサーはそう言い、目を伏せた。

私は首を傾げて言う。



「殿下こそ、昔から様々な文化に触れてきたのではないですか。王宮で見た演劇は素晴らしいものでした。料理も毎日美味しいものが食べられて、いつも感動してしまいます。幼い頃からこういう環境にいたのなら、殿下も……」

「いや。俺は、なんというか……、新たに好きなものを作らないようにしてきたからな」

「……え?」

「対災魔法の契約で猫と触れられなくなってから、俺は考えるようになったんだ。いつかまた新たにこういった契約をする日が来るかもしれない。それなら何かに心を砕かない方がいい。だから、その日からは魔法や剣術の鍛錬に力を注ぐ事にした。他の事はなるべく考えないように。料理は栄養が取れるものを決まったメニューで出してもらうだけだ。だから、あの時ミーシャの質問に答えられなかったんだ……。すまなかったな」



アーサーは陰った表情でそう嘯いた。

そんな彼の言葉を聞いて、私の胸は痛む。

アーサーは災厄を討伐する英雄だ。私も最初はそんな彼に憧れた。

でも、周りからはその役割しか求められず、いつか彼は何もかもを諦めてしまうようになったのかもしれない。



私は、そんなアーサーの手に手を重ねて呟く。


「殿下。私は……私は、殿下に好きなものを沢山見つけて欲しいです。時間がある時に、他に知っている曲を教えます。料理のレシピも。勿論、猫としても同じ時間を過ごさせてください」

「……はは。契約に入っているのは猫の事だけだった筈だ。君にそこまで苦労を強いるつもりは無い。そもそも、俺がそんな風に趣味を持ったって、周りにとっては喜ばしくない筈だ……」

「……。例え、今はそうだったとしても。未来を見据えて楽しみを見つけるくらい、いいではないですか。だって、災厄討伐が終わってからも、日々は続くのですから」

「討伐が……終わる?」

「はい」




私の言葉に、アーサーは一瞬目を見開いた。その後、目を逸らして呟く。

「……。考えた事も無かったな。ミーシャ。ベルリッツの災厄は根が深い。きっと自分の代で終わらせる事は出来ないだろう。俺はそういう覚悟を持って過ごしている」

「……。それでも……、殿下の時間は災厄の討伐の為だけにある訳では無いです。私は貴方に助けられた身ですが……部屋で一緒に過ごす殿下の事も、同じくらいお慕いしています」

「……、それは……本当なのか?」

「はい。殿下は私の行いを褒めて下さいましたが、それは私本来の性質では無いのです。殿下がいつも私の行いを受け止めて沢山反応してくれるから、私は頑張ろうという気持ちになれたのです。災厄を祓う所ではなく、普段一緒に過ごしている殿下にこそ、私は力を沢山貰いました」

「…………」

「呪いの事情でそんな殿下の姿は他の方は知らないのだと思いますが……。きっと、他の方も私と同様に好きになってくれると思いますよ。そうだ、殿下は共に過ごしたいと思う方はいますか?私でよければ、王宮にいるうちに手伝いますよ」

「それは……。……――」




アーサーは、私の言葉を受けて、戸惑ったように瞬きをした。何かを伝えようとしたのか口が開かれるが、言葉は何も発される事は無く、彼は迷うように目を伏せる。

暫くして、聖堂に重い音が響き渡る。鐘の音だ。特定の時間を告げる鐘が王宮中に響き渡っている。



私はちらりと天井を見上げて、アーサーから離れて言った。

「……もう遅い時間ですね。私はそろそろ私室に戻るようにします」

「そ、そうか。戻るのか。ミーシャ……」

「はい!」

「……今日は、色々ありがとう。もう遅い時間だが、俺はもう少しここにいる事にするよ」

「あ、はい!すみません、殿下はお疲れでしょうに長々と話をしてしまって……」

「いや。これは俺の問題で……。なんというか……。……、参ったな。うまく伝えられない……」

「やっぱり疲れているんですよ。ゆっくり休んで下さいね。猫をお世話している飼い主なら、体調を整えるのも大事な事ですよ」

「猫……ああ……まあ、そうだな。うん、お休み、ミーシャ。また明日」

「はい!」




私はアーサーに礼をして、椅子から立ち上がる。

戻る準備をしながら、私は先程のアーサーの沈黙の事を考えていた。


アーサーは私の質問に答えなかった。彼の中にも色々な考えがあるのだろうが、恐らく立場上平民である私には伝えられない事なんだろう。

カウンセリングの事もあって私達は近い距離にいるけれど、立場を弁えず踏み込みすぎてしまったかも――。次からは気をつけよう。



反省しつつ、そっとアーサーを一人にした。

私が聖堂から出る時になっても、アーサーは聖堂の長椅子に座って何か考え込んでいるようだった。

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