第17話 獣人クロード

自嘲しながら猫に話しかけていた私は、突然に聞こえたテノールの人間の声に驚愕した。

誰かに見つかったのか――ときょろきょろと辺りを見回してみたけど、人らしき姿は見つからない。


「どこを見ているのだ。私はこっちだ」

「……わっ!?」


私の腕がぐっと掴まれた。そちらの方を見ると、美丈夫という言葉がよく似合う見目の男性がいた。

軍服のような落ち着いたグレーの詰め襟に、頑丈そうな生地のボトムスを穿いている。加えて動きやすそうなブーツを履いていて、こんな自然の中だと泥で汚れてしまいそうなものだけど、綺麗好きなのか靴は綺麗なものだった。

服装は硬そうな印象を受けるのに、艶のある黒髪とそれに映える青色の目が柔らかな印象を与えている。

アーサーを初めとしたシャルトルーズ王家は皆金髪だけど、こちらもどこかの貴族か王族にいてもおかしくないような風格をしている。華のある装いが多い貴族の間でも目を惹く見目だ。


……だが。

今の私にとっては、男性よりも重要な事があった。


「……す、すみません。猫は?先程の猫はどこに行ったか、ご存知ないですか?」

「……ふう。お前はどうやら勘違いをしているようだな」

「!?」


目の前に男性に、ぺち――と柔らかく平手で打たれた。

ぶたれた。

そうはいっても痛みは無いのだけど、見知らぬ男性に打たれたという衝撃は中々消えなかった。

そして、目の前の男性はすっと顔を近づけて言う。


「私の名前は、クロード・ヴェルンシュタイン――今は人間の姿だが、先程までは猫の姿を取っていた。お前がここ数日間に渡って世話をしていたのは、紛れもなく私である」


そう言われて、私は目の前の男を呆然と眺めながら呟く。


「……。クロード……さんは、人間の姿にもなれる、猫……という事ですか?」

「私は猫ではない」

「えっ。ね……猫ではないんですか?」

「正確にいえば、猫でありつつ、猫を超えるもの……。”獣人”である」

「じゅうじん……」


その言葉はベルリッツでも聞いた事がある。

ベルリッツの神話やファンタジーの物語では、動物の特徴を持った種族や、動物と人間の二つの姿を持って自由に変える事が出来る種族が度々登場した。物語の中の要素として憧れたものだ。

そう――、獣人とは物語の中の存在であった筈だ。

私だけでなく、ベルリッツの一般国民も皆そう認識している筈だろう。獣人とは幻獣を集めた本の中には出てくるが、動物の図鑑の中には出て来ない、そんな存在の筈だ。

だが、目の前の男はそれを真っ向から否定する事を言う。

私は呆然としながら呟く。



「……獣人というのは、架空の存在かと思っていました。実在、したんですね……」

「そうだ。私は並の猫とも人間とも違う。このように、傷も……」

「あ!」



クロードは自分の治りきっていない傷に手を添えた。淡い光が傷を包み、傷のあった部分は綺麗な肌へと変化していく。

……回復魔法だ。

本の中で、獣人とは獣の特性と人間の特性を併せ持ち、神代から存在した種だと書かれていた。あの時はフィクションの存在だと思っていたけれど、実在したんだ……。



「……クロードは……どうしてここに住んでいるのですか?いつから住んでいるのですか?人間の姿になれるなら、街で過ごすことも出来そうなのに」



面食らう私を前に、クロードは鼻を鳴らして説明する。

自分は住み良い場所を求めて移動していた。

この森は長年防護魔法の影響下にあったが、あるときにここを再度訪問したら魔法が緩んでいる場所があり、そこから入ることが出来た。ここは防護魔法の影響か外敵の少ない場所で、ここを根城にして過ごすことに決めたのだという。



「お前の言う通り、人間の姿になれば人の街に紛れ込む事も出来るだろうが、その分魔力を消費するものだからな。基本的には猫の姿で過ごしているのが私には合っている。故に、森でひとりで過ごしていた」

「……家族とか仲間はいないんですか?」

「ふん。やたらと群れようとするのは弱い種の特徴だ。やろうと思えば眷属を作る事も出来るが、私


一人で快適に過ごしていけるのにわざわざ足手纏いを作ることもなかろう」

その言葉を聞いて、私は獣人が今までフィクションの存在だと考えられていた理由に思い至った。獣人は普通の生物のように同じ種を増やそうという考えはあまり無いらしい。そもそも数が少なく、かつ人間と獣に姿を変化させることが出来るのなら、特別な種だと看破されることも少ないだろう。


頭の中で考えていると、不意にクロードの平手がぺちっと飛んだ。


「え、な、なんですか……?」

「どうもお前は勘違いをしているようだから、ここで正しておかねばと思ってな。私が怪我している所を助けたものだから、お前は私を弱い存在と思っているかもしれない。だが、それは違う。たまたま怪我を負った所にお前が鉢合わせただけで、自分の回復魔法だけでも助かる事は出来た。私は強く、私は偉い。私は偉大なる存在だ。今から私の事は陛下と呼ぶように。そうすれば、お前でも私の価値を認識出来る事だろう」



……クロードは何を言っているのだろう。

陛下というのは国王を呼ぶ時の呼称で、つまりはアーサーの父親の事で、彼は今も王宮で業務に精を出しているのだが。

まあ、猫が自分が一番偉いと思っているというのは、そんなに珍しい事でもないのか……。

頭の中でしみじみと猫の知識を反芻していると、クロードがくいと顎を私に向けて聞いてくる。



「そして――お前は?」

「え?」

「お前の名を教えろ。私は一人でも充分に生きていける強い存在だが――お前の献身で早く回復したという事は認めざるを得ない。私の臣下にするには充分だろう。名前は?」

「私は……私は、ミーシャです。ミーシャ・アルストロイア。……えっと、すみません、クロード様。陛下……と呼ぶのは無しにしてもらってもいいでしょうか」

「ほう。甲斐甲斐しく世話をしたと思えば、私に楯突くか」

「いえ、そういう事ではなく……。私は、本物の王族の方と接する機会があるので。国王陛下以外を陛下と言うのはちょっと」

「……ほう?あの建物の中に住んでいるのか。という事は、お前は貴族なのか?」



クロードは森の向こうにある王宮の建物をちらりと指しながら言う。……今は森の中に住んでいるとはいえ、人間の知識も備わっているものらしい。

私はクロードの問いかけに首を振った。



「違います。私は連れてこられただけの平民ですから、王宮に住んでいる人よりも身分が低いんです」

「ほう……」

「無礼があってはならない、敬語を崩してはいけない……。まあ、私にとっては敬語の方が慣れてるからいいんですけど。はは……」

「ミーシャよ」

「は、はい」

「決めた。これから私に対して敬語は使わないように」

「えっ?」



私は首を傾げた。

……自らの事を陛下だとか言うのに、敬語を使わないようにとはどういう事か。


「いえ……でも、そんな……いたっ」

「早くせよ。これから私に対して敬語を使ったら、その度お前の腕で爪を研ぐことにする」

とんでもない宣言だ。私はミミズ腫れになった腕の傷を見つめながら、なんとか口を動かした。

「く……クロード」

「……」

「これから、私は……クロードと、敬語を使わずに話す。……これでいいかな?」

「ふん。やれば出来るではないか」



クロードは笑みを浮かべると、私の肩にぐいと腕をかけて言う。

「お前は私の臣下なのだから、そう無闇に縮こまる必要は無い。それをよく覚えておけ」

「……」

「やたらと私を手揉みしていたが、こちらとしても身がほぐれるものだった。そこも評価に値するものだ。……ふう。陽も照っている事だし、眠くなってきたな……。私は、猫の姿に戻る……」

「あ、あの。クロード」



あくびをしながら話すクロードを私は慌てて止める。

このまま猫の姿になられると、そのまま眠ってしまいそうだ。それより前に話したい事があった。



「……なんだ?」

「わ、私、クロードが野良猫だと思っていて、預かってくれる人を探そうと思っていたんだけど……。クロードはこのまま森で過ごすの?」

「ああ。ここでの暮らしは心地がいい故な。お前が臣下として出向くのは許可するが、誰かのもとで飼われるつもりはない」

「そ、そうなんだ。後、あの……。クロードにはわからないと思って話してた事が色々あるんだけど……どうか秘密にしてくれる?」

クロードはちらりと私を見て、一瞬ぐっと伸びをした。そして、うとうとしながら呟く。

「……わかった。お前が気にかける事ならば、私は口を閉ざそう。それくらいの分別はある」

「ほ、本当?ありがとう!」

「……その代わり……。お前の持ってきた食料、布、どれも良いものだった。これからも、定期的に持ってくるように……」



次の瞬間、美丈夫の姿をしていたクロードは消え、私の目の前には黒と白の長毛の猫が眠っていた。

…………。

どうやら、クロードはこのタオルの質感が気に入ったらしい。

近くにある洞窟にそっとクロードを移動して、タオルと食べ物を置く。ここなら外敵に襲われる心配も無いだろう。


獣人という存在を初めて見たのも、そんな存在が近くにいたというのも驚きだけど……。

私にとって一番優先するべき事は、王宮の森の防護魔法の状態だろう。魔法が解けているかどうか、サンプルを渡す時についでにハイネさんに確認してもらおう。解けている場合、何らかの人為的なものが働いている可能性がある。

後は、クロードに時折会いに来る事か。

……これは、私にとっては負担ではない。むしろ日々の楽しみが増えたのだと思えた。

そう考えながら、眠るクロードの喉をふわりと撫でた。

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