第16話 ふわふわの猫をもふもふする

猫用の手入れ道具を買い、何度も森に通って、回復魔法と防護魔法を掛け直して、目を覚ました時はご飯を食べさせたり、ご飯を置いていったり。

そんな風に過ごしているうち、傷でぼろぼろになっていた猫の傷はいつしか塞がり、綺麗な見た目になっていた。

猫にタオルを巻き付けて暖めていると、猫がぱちりと目を開けて、そして口を開いた。


「……なぅ」

「!」


喋った。

今までも時々は鳴く事があったが、今の鳴き声は普通の猫と変わりないくらいに張りがあるようだ。


「……傷は大丈夫?もう元気になったの?」

「ニャー」


猫は再び鳴き、私のタオルを持っている手をバシバシとつついた。もうタオルを巻くのはいい、という意味だろうか。

私はゆっくりとタオルを外した。

猫の姿が露わになって、私は改めてその全身を見つめる。

黒とグレーが混じり合ったふさふさした毛と、お腹と首と顔の下半分を覆う白い毛。耳も身体も大きく、青色の目はややつり上がっている。


そんな猫をじっと見て、私はある名前を思い浮かべる。

――ノルウェージャンフォレストキャット。

『森の妖精』とも呼ばれる猫で、飼い猫として人気の高い品種だ。かつて前世で猫について知りたいと思っていた時、本で読んだ事がある。

その名前は『ノルウェーの森の猫』という意味合いで、その名前の通り森林地帯で狩りをして暮らしていたらしい。身体全体にふさふさした毛が生えている長毛種で、身体自体も大きい大型の猫だ。北欧神話には神様がとある猫を連れて行こうとしたが大きすぎて持ち上がらなかったという逸話があって、この猫をモデルにしたのではないのかと言われている。


ベルリッツはノルウェーと同じ地理的な特徴を持っている訳ではないから、正確にいえば同じ品種ではないのだろうけど、あの時に見た図鑑の猫とこの猫はそっくりだ。どちらも美しくて、どちらもかわいい。

一般的に野良猫は家で飼われている猫よりも身体が荒れているものだが、この猫はまるでどこかで飼われているかのように毛が綺麗だ。殊更に綺麗好きな猫なのだろうか。

……アーサーは、対災魔法と引き換えに猫に嫌われる呪いをかけられてしまった。王宮でも愛玩動物を飼う事は禁じられているから、王宮には猫は一匹もいない。

アーサーにこの猫を引き合わせる事が出来たらどんなにいいか――と思った。


私が猫を色々見てきた中でも、この猫はかなりの美人さんだ。

野良猫は人間を警戒してすぐに逃げてしまう猫も沢山いるけど、この猫は私と一緒にいても逃げないようだ。

そんな猫を見ていると、私の心が疼いてくる。


――かわいい。

――撫でたい。


目の前の猫は、まだ傷が治りきっていない箇所はあるものの、全身が万全の状態近くまで回復しているのが見て取れた。胸の白い毛はふかふかのふさふさで、威厳すら感じさせる。尻尾は太くて豊かで、この尻尾を枕にして眠る事も出来そうだ。王宮のベッドはとても寝心地がいいけれど、この猫と一緒にベッドインしたらこの世のものとは思えない寝心地を味わえるかもしれない。

……何だか思考が明後日の方向に飛んでいるみたいだけど、仕方がない。

目の前にいる猫がかわいいのだ。それだけで理性的な思考が吹っ飛ぶには充分な条件だった。それに加えて、アーサーの言動も少なからず私に影響を与えているのかもしれない。



私はそっと猫に問いかける。

「……あの。もし良かったら、君が良かったらなんだけど……、触らせてもらってもいいかな?」

「…………」

「触られるのが嫌になったらすぐにやめるから、手入れも一緒にするようにするから……お願いします」

「……にぅ」



頼み込む私をじっと見つめる猫は、地面のタオルの上にころんと寝転び、私に向けてお腹を出した。

……撫でてもいい、という事だろうか。

私はお言葉に甘えて、指を差し出した。

もふりと白い毛が私の指を包みこむ。


――わたあめか?

――空に浮かぶ雲か?


その心地よさに、様々な比喩が浮かんでは消える。王宮の毛布もふわふわで気持ちいいと思っていたけれど、体温で温まった毛並みというのは斯様に極上の触り心地がするのだという事を思い知らされた。


――もっと触りたい。


私は猫の知識を総動員しながら、喉や背中、顔など、猫が撫でられて喜ぶ所を撫でて、撫でて、撫で回した。猫の毛は部位によってボリュームの違いはあるが、ふわふわな所も滑らかなところもどちらも指に心地いい刺激を与えた。

気持ちいい。

だが、これだけでは足りない。


――猫を、抱っこしたい。

膝抱っこしたい。


欲望は留まるところを知らなかった。私は猫をそろっと抱き上げ、私の膝の上に乗せた。

猫はうとうとした様子でされるがままだ。私の行動を嫌がる様子はない。

――チャンスだ。


私は膝抱っこした猫を撫でた。私の膝に沿って身体を預けているからか、先程とはまた違った感触がする。

柔らかい。

かわいい……。

何度も抱いた感想が私の中に再びこだまする。

猫のかわいらしさというのは底が無いのだ。どんな角度から見てもかわいいし、何度見つめても何度でも和んでしまう。

そうしてふにふにむにむにと猫を触り続ける私だったが、暫くしてある考えが浮かんでくる。



「アーサー……」

私はぽつりと呟いた。

――ここにアーサーがいたら、どんなに彼は喜んだ事だろう。

感触が似ている私の髪を触るだけで言動がおかしくなるアーサーの事だ。本物の猫に接して触れたらどんなに喜ぶかわからない。

私の呟きに、猫が不思議そうな顔でもそりと身体を動かした。

私は微笑みながら猫に話しかける。


「アーサーは、この国の王子なんだよ。猫が大好きだけど、事情があって猫に触れない体質で……。君に会わせる事が出来たら、どんなに喜んだか……」


私は猫を撫でながら、アーサーについての思いの丈を口に出す。

王宮というのは、私にとってはどうしても気を張らないといけない場所だ。猫相手でも誰かに気兼ねなく話せるというのは、自分にとっては嬉しい事だった。

「アーサー殿下は……、災厄と戦っている。災厄というのはこの国が作られた時から存在する、人にとっての害になるもの……。王家の人間は代々祓う力を持つから、殿下が主力になって災厄を討伐してる。すごい人なんだよ」

「……」

「……でも、それが原因で大好きな猫と接する事が出来なくなっちゃって。アーサー以外にも、災厄に対処出来る人がもっといればいいのに……」

「なうー」

「あ、この持ち方は嫌だったかな?ごめんなさい」



私の呟きは意に介さない様子で、猫は伸びをしてもぞもぞと身体を動かしている。気持ちがいいポイントを探っているのかもしれない。

猫の青い目をじっと見ながら、私は考える。

アーサーに会わせる事は出来ないけれど、この猫を助けた以上、私はこの猫を保護する責任がある。

……だが、仮に誰かがこっそり放し飼いをしている猫だとしたら、私が下手に何処かに連れて行ったりするのは良くないかもしれない。



「ねえ。君は誰かの飼い猫なの?それとも野良で住んでいる猫?」

「……。ニャー」

「首輪が無いから、きっと野良だと思うけど。……ここにいたらまた鳥に襲われたりするかもしれないよね。だから、君を保護してくれる人を探そうと思うの。王宮の中で飼う事は出来ないんだけど、頑張って引き取り手を見つけるから。……君も、それでいいかな?」

「ナアー」

「……はは。そうだよね。猫に話しかけてもわかる筈ないよね……。私、何やってるんだろ……」

「……フン。仕方がない奴だな。こうすれば言葉が通じるようになるか?」



「……えっ!?」

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