第42話 挙動不審なエリク

 今日はいつもと変わらない日。


 そのはずだったが、察し力の高いヒストリカは、今日は何かいつもと違うという空気を敏感に感じ取っていた。


 まず、今日はいつも使っている食堂が改装作業か何かで立ち入れないとの事。

 なので、今日の食事は応接間で摂る流れとなった。


 ただこれは事前に連絡を受けていたし、潤沢な資金のある公爵家の屋敷とあらば定期的に部屋の内装を変える事は、なんらおかしい話でもない。


 唯一不思議に思った点があるとすれば、エリクにそのような趣味があるのだろうか、という事くらいか。


 これは特に気に留まる事なく、いつもの朝の散歩を済ませてから朝食が始まった。


 トーストに目玉焼き、サラダ、ウィンナー、オニオンスープと、初日と比べると少し量が増えた朝食をエリクと摂っている時に、ふと違和感を察知した。


 エリクがどこか、そわそわしているように感じた。


 一見、エリクはいつもと同じ調子に見える。

 しかし記憶力が異常に高いヒストリカは、エリクの声が普段よりもほんの少し上擦っている事に気がついていた。


 それに、どこか落ち着きがないというか。

 何かやましい隠し事をしている子供みたく、目をサッと逸らされタイミングでヒストリカは口を開く。


「エリク様」

「……んっ? なんだい、ヒストリカ?」


 やっぱり、少し声が上擦っている。

 それに視線が迷子みたいに彷徨っていた。


「今日はどこか、調子が悪かったりしますか?」

「調子……?」


 眉を顰めた後、エリクは自分の身体を見回して答える。


「いや? お陰様で、今日も清々しい気分だよ」

「……そうですか、なら、良いのですが」


 いつもよりも声が0.5トーンくらい上がっている気がしますが何かあったのですか、などと尋ねるわけにはいかず、ヒストリカはそれきり朝食に集中した。


 多分気のせいだろうとこの時は思っていたのだが、昼食の時もエリクのそわそわ感は収まっていなく、むしろ時間が経つごとに大きくなっていた


 人がこのような挙動をとる際、相手はどのような内心なのか。

 ヒストリカは、これまでの経験と本の知識で心当たりがあった。


(何か、隠し事をしている……?)


 その仮説を頭に思い浮かべた途端、すとんと腑に落ちるものがあった。

 もはや、そうとしか思えなかった。


 すると次は、当たり前にこんな疑問が湧いてくる。

 

(エリク様が隠し事……? 何を……?)


 貴族学校首席の頭脳を回転させてみるも、思い当たる事柄は見当たらない。


 尋ねようにもまだ、確証が薄過ぎた。


 朝から何やら挙動不審ですが、何か隠しているのですか?

 と聞くのは流石に失礼だろうと、頭に浮かんだ言葉を飲み込む。


 結局悶々とした心持ちのまま、ヒストリカは午後の時間を過ごした。


◇◇◇


「ヒストリカ、夕食の時間だよ」


 夜。

 部屋を尋ねてきたエリクを前に、読書中だったヒストリカは目を丸めた。


 いつもはヒストリカの方から、使用人伝にエリクに夕食を伝えたり、たまに自分が迎えにいったりしている。

 しかし、今日はエリクの方から夕食のお誘いときた。


 怪しさの根拠としては花丸である。


「……今日は、早いおあがりなのですね」


 探る意図を込めて言葉を投げかける。

 すると、エリクは1トーンほど上擦った声で答えた。


「う、うん。今日はなんだか、朝から凄く調子が良くてね……昨日教えてもらった新しいストレッチが効いてるのかもっ……」


 あはは、はは……と笑って頭を掻くエリクの挙動は相変わらず不審に見えて仕方がない。

 本人はその自覚はないのかもしれないが、ヒストリカにバレバレだった。


(怪しい……)


 朝から積もりに積もった疑念がむくむくと膨れ上がる。

 しかし一旦ヒストリカは深呼吸をし、言った。


「それは、何よりです……夕食に参りましょうか」


 ぱたんと本を閉じてから、ヒストリカは立ち上がる。

 今は問答をするような空気ではないと、喉まで昇ってきた言葉を飲み込んでいた。


 ヒストリカの返答に、エリクはどこかほっとしたような表情を見せた。


(やっぱり、怪しい……)


 疑念はさらに、膨らんだ。


 廊下に出て、エリクの半歩後ろをついて歩く。


「あれ、応接間はこっちでは?」

「あっ、えっと……さっきちょうど改装作業は終わったらしくて、夕食から使えるらしいんだ」

「なるほど、そうでしたか」


 このやりとりにも引っ掛かりを覚えたが、違う事で頭がいっぱいだったので流した。

 

 食堂へ続く廊下を、エリクと一日ぶりに歩きながらヒストリカは考える。


(夕食の時に、聞いてみますか……)


 ヒストリカはそう決めた。


 いい加減、我慢が出来なくなっていた。


 そもそも、聞き方はいくらでもあった。

 なのに今まで尋ねなかったのはきっと、怖かったからだ。


 エリクが隠している事が、ヒストリカが聞きたくない内容なのでは……という予感が脳裏にちらついて切り出せなかった。

 例えば……ヒストリカに対して溜まりに溜まった鬱憤を明かそうとしていた、とか。

 

 今まで良かれと思ってしてきた事が、実はずっとエリクが我慢していただけで、とうとう爆発してしまった、なんて可能性も否定できない。


 結婚をしていると言っても、その関係性は絶対ではない。

 位の高いエリクの方が絶縁を申し出たら、ヒストリカは素直に従うしかないのだ。

 

 エリクに限ってそんな事はしない……と頭ではわかっていても、嫁ぐ前はハリーとの一件を含め、自分のやること為すこと肯定された経験に乏しいヒス トリカの心に、寒気を催すような怯懦が生じる。


 考えれば考えるほど、嫌なほう嫌なほうへ思考が走っていった。


 夕食の時に聞こうと決めていた自制心が、ボロボロと崩れ去って……。


「エリク様」


 食堂の扉の前。


 ぴたりと、ヒストリカが立ち止まる。

 遅れて足を止めたエリクに、ヒストリカは神妙な顔立ちで尋ねた。


「何を、隠しているのですか?」


 じっ……と、ヒストリカはエリクに双眸を向ける。

 誤魔化しは許さないとばかりの眼力に、エリクが息を呑む気配。


「……隠してる、って? なんのことだい?」


 上擦りに加えて震えも追加された声に、ヒストリカは息をつく。


「今朝から、エリク様はどこかよそよそしく感じます。目を合ってもすぐ逸らしますし、失礼な言い方で申し訳ございませんが、挙動不審と言いますか……」


 その言葉に、エリクは「うっ……」と言葉を詰まらせた。

 ヒストリカの指摘が正しい事を何よりも表している反応だった。


 エリクはしばらく考え込むような素振りを見せていたが、やがて観念したような笑みを浮かべて。


「……さすがの観察眼だね、ヒストリカは」


 やれやれと、肩を落としてエリクは言う。


「いえ……観察眼も何も、エリク様が分かり易すぎるといいますか」

「本当かい? なるべくいつも通りを心がけてたんだけどなあ……」

「あれで、ですか?」


 思わず目を丸めてしまうヒストリカ。

 エリクの仕事に『役者』という選択肢がなかった事を心の底から良かったと思った。


 思考を切り替え、真面目な表情でヒストリカは言う。


「とにかく、何を隠してらっしゃったのか……差し支えなければ、教えていただけませんか?」

「えっと……それは……」


 歯切れの悪いエリクの反応から察するに、やはりヒストリカにとって悪い事柄を隠していたのだろう。

 そう判断して、ヒストリカは深々と頭を下げた。


「私に至らないところがあったのなら全力で直しますから、遠慮せず言ってください。また、たとえエリク様が私にとってどれほど不都合な判断をしたとしても、私には謹んでお受けする覚悟がございま……」

「ああああいや! 至らない所があるとか、何か言いずらい事があるとか、そういうのは全然なくて」


 萎れた様子のヒストリカを見て、エリクはあせあせと焦った調子で声を張る。

 そうしてやっと、ヒストリカは顔を上げた。


 相変わらずの無表情だが、瞳は微かに不安で揺れている。


 そんなヒストリカに、エリクは優しい声で言った。


「なんか、不安にさせちゃっちゃみたいで、ごめんね。でも、先に言っちゃったらサプライズの意味がなくなっちゃうからさ」

「さぷらいず?」


 聞きなれない言葉に、ヒストリカは首を傾げる。


「うん、今日はヒストリカにとって、忘れない日にして欲しかったから……」


 そう言って、エリクは食堂の扉を開けて──。



「「「「「「誕生日おめでとうございます!! ヒストリカ様!!」」」」」


 たくさんの声と、パンパパパンッ!! と空気が弾けたような破裂音に、ヒストリカは今度こそぽかんとしてしまうのであった。

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