海の遊牧民

金澤流都

海の遊牧民の記録(上)

 その民族の暮らしはまさに「海の遊牧民」という言い方が相応しい。

 彼らは3頭程度のクジラとたくさんのイルカを引き連れて、1世帯の暮らす船でプランクトン豊富な海域を求めて旅をする民族なのだ。まさに海の遊牧民、ではないだろうか。


 彼らは自らの種族に名前をつけない。伝説においてクジラの神は彼らを彼らの言葉で「人」と呼ぶためである。彼らは人であり、それ以上の名前をつけることは神に逆らうことだと考えている。なのでこの記録のなかでは「海の遊牧民」と呼ぼうと思う。


 海の遊牧民たちは主に水の冷たい海域を旅している。海中のプランクトンが豊富だからだ。近年の温暖化現象で次第に彼らの生活は厳しくなっているが、彼らは「それが定めなら逆らわない」と口を揃えて言う。

 彼らにとって3頭のクジラのうち、成熟したメスである「母」は絶対神のような存在である。彼らは「母」の乳とイルカの肉を主なカロリー源として暮らしている。

 いまでは陸に立ち寄って食べ物や飲み物を得ることが増えたが、彼らのうちの老人たちは陸を忌み嫌う。なぜかというと、当たり前の話だが陸にはクジラが入れないからだ。事実、クジラが浅瀬にはまればあっけなく死んでしまうことは、いろいろな海岸に生きて打ち上げられたクジラたちの末路を見ればわかることだろう。


 海の遊牧民たちは、毎朝を礼拝で始める。小さな、頼りないと思うような船の甲板に出て、「母」と先祖に香を焚く。そして祈りの歌を歌う。

 つい10年ほど前まで、それは雨だろうが雪だろうが毎日やることだった。ひどい嵐の日にそれで命を落とした男の伝説が残っている。いまでは流石にそこまではしない。嵐の日は大人しく、船室で過ごすようだ。

 礼拝が終われば朝食である。朝食はクジラの乳で作ったチーズだ。長年に渡って彼らの暮らしを見てきたが、どういう方法でクジラの乳を搾るのかだけは見ることができなかった。これは彼らだけに伝わる技術で、陸の人間に教えることは固く禁じられているという。

 チーズを食べたら仕事に取り掛かる。海を見てプランクトンのいそうな方向に舵を切る。これはイルカたちが教えてくれるそうだ。彼らは勤勉で、クジラについたフジツボを剥がしたり、嫁入り前の少女がいる家庭であればコツコツと嫁入り装束の刺繍をする。彼らの衣服を作る道具はクジラの骨やひげ、材料は海藻や貝殻やクジラとイルカの皮である。


 彼らの作る刺繍は素晴らしく、宝石のように磨かれた貝殻を散りばめた嫁入り装束はまさに着る芸術品である。

 彼らの婚礼についてはのちに述べるとして、彼らの生活に話を戻す。

 もちろんチーズやイルカの肉ばかりでなく、海藻や魚介類も彼らの食糧である。男たちはその食糧を得るのも仕事だ。やはりクジラの亡骸を使って作った漁具で、魚や海藻を手に入れる。

 彼らは素潜りも得意である。男も女も、子供ですらも素潜りが上手い。それに驚いていると「我々はクジラの子だからね」と答えられる。なるほど彼らの暮らしを思えば彼らは確かにクジラの子と言えるだろう。


 昼食に海藻や魚や甲殻類を蒸して食べたら、あとは夕方まで昼寝の時間である。夕方になったらイルカたちを数え、クジラの様子を確認し、保存食として船室に吊るしてある干したイルカの肉を食べる。

 夜はみな早々と寝てしまう。航海士役である家族の長、つまり最年長者が星を確認し、家族はみな眠りにつく。


 彼らは年に一度、とある島の周りに集まる。それは「クジラの腹の中」という祭りのためである。

 その島は島と呼ぶのもおこがましいような、申し訳程度岩がぽこぽこと海面に出ているところだ。もちろん上陸はしない。クジラたちの背中をつたって他の船に挨拶をしにいくのだ。

 そのとき、年ごろの若い男女がいれば結婚の約束をして、彼らが「クジラ別れ」と呼ばれる儀式と造船ののち、婚礼が執り行われる。

 クジラ別れというのはどこかの家族のクジラに子供が産まれていれば、クジラを縁組みして、新しい群れとするものである。その新しい群れは、「母」となる個体が乳を出せる、文字通りの新しい母となるまで、別の家族とともに旅をする。


 クジラ別れののち、新しい船に花嫁と花婿を迎え、彼らはまた別れる。彼らは婚礼のためだけに、クジラの乳の口噛み酒を作る。その口噛み酒はイルカの皮の袋に入れられて発酵する。

 婚礼で結ばれる男女のみが、その酒を口にできる。花嫁は花婿の船の酒を、花婿は花嫁の船の酒を飲み、イルカの皮の家系図に書きくわえられ、血縁に加わったことが示される。なお、彼らの筆記に使われるインクはイカ墨である。

 次に会うのは一年後だ。そのころにはだいたい3人家族になっている。また家系図に書き加える人が増えるわけで、そして花嫁と花婿の船にも、新しい家系図が始まる。


 婚礼に触れたのだから彼らの死についても書かねばなるまい。

 彼らは家族の誰かが死ねば、ごくごくシンプルに海に葬る。彼らにとって墓はまさに海である。食事にする海産物は死者が用意したもの、というのが彼らの信仰である。

 人は海に還り、海に還った人は豊かにもたらすというのが、彼らの信じる先祖である。先祖は「母」と同じくらい崇められる。「母」が生きる神であれば、先祖は死してなお力ある神だ。


 クジラが死ぬと、死んだクジラの家族は喪に服し、それと同時進行で新しいクジラを求めて仲間を探す。プランクトンの多い海域を航行しているので、以外とすんなり同族が見つかるらしい。

「どこかでクジラが死んでいればどこかで生まれている」というのが彼らの好きなことわざである。乳をそのまま飲まずにチーズを食べるのはクジラが死んだ時に備えてのことだ。

 また、彼らはクジラが死ぬと、はらわたから香を取り出す。それが毎日クジラと祖先に捧げられる香である。


 最近では彼らの暮らしも次第に文明の色を帯びてきた。陸に上がることが増え、陸の文化や文明が入ってくるようになったのだ。

 目覚ましいのは無線技術である。スマートフォンやパソコンはそれほど普及しておらず、その代わり漁業用の無線が普及した。

 彼らの伝統的な暮らしは失われつつあるが、それもまた「侵略する」という文明の性質かもしれない。


(続く)

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