第41話 王都騒乱と、その首謀者

 ーー空が白み朝日が登り、午前の日差しに王都に続く大河の清流が眩しく輝き始めた頃。

 ついに王都の空にたどり着いた。


 王都は土地神カヤの神域である教会総本山の丘を真北に配置し、長方形に整備された都市だ。最北の王宮・貴族議会・教会から作られた最高階級の区画、上流平民の住まう区画、そしてその他の三つに分けた構成になっている。

 空から見下ろしたのはもちろん初めてだ。

 最北ーー神域の丘の麓に広がる壮麗な宮殿から、煙が行く筋も立ち上っている。

 真っ黒な煙は、明らかに竈のそれではない。


「神様、何かまずいことが起きてるみたいだ」

「精霊馬の高度を下げよう。少しつかまっていてくれ」


 ぐっと精霊馬が首を低くし高度を下げる。彗星のように降りていくあたしたちは、宮殿の有り様を見て息を呑んだ。


「……既に、襲われている、だと……!?」


 神様が険しい顔で遠くを見た。

「結界に守られた国境を破った気配はない。シャーレーンが修繕したままのはずだ。そもそも、空から来たのだから国境を破られていれば遠目にわかる」

「ってことは城の中で、直接襲撃されているってことか」


 これも異国の土地神の仕業だろうかーーいや、まだ断定するには早い。

 あたしは精霊馬に遮蔽魔術(シークレタ)をかけ、高度を下げたまま状況を確認する。王宮をはじめとして貴族議事堂、教会の三大施設のあちこちから、怒号と悲鳴、逃げ惑う声が響く。


 回廊を逃げ惑う人々を追いかけているのはーー


「黒くて体がでかい、豚の顔に皮膚が硬化した鎧状の防具……オ、オークじゃねえか!」

「なぜあんなものが」

「神様でもわからねえってことか」


 あたしはひらひらのコートを脱ぎ、腕を捲った。


「神様、高度をギリギリまで低くしてスピードは落とさずに滑空してくれ。あたしがオークに片っ端から捕縛魔法をかけ続ける! そのまま聖堂まで突っ込む!」

「わかった」


 あたしたちは頷きあう。それからは一瞬だった。

 精霊馬が落下の速度で高度を落とす。

 オークたちがはっきり見える大きさになる。あたしは狙いを定めた。


『魔弾捕縛!』


 ビュルルッ!

 あたしの周りに光の球が複数出現し、人差し指で差した先ーーオークたちへと真っ直ぐ飛んでいく。光はオークに当たると弾け、そのままオークを包み込んだ球になる。攻撃魔法で思い切り爆散させてもいいが、迂闊に建物を破壊したり衝撃で人に二次被害を与えないためだ。


 人々の反応を確認する間もない。

 あたしは次々と、通りすがりにオークたちを捕縛し続ける。


「くそっ、キリがねえ……どれだけのオークが送り込まれてんだッ!?」

「シャーレーン。怪我人が」


 神様が精霊馬の速度を落とす。神様が見ているのはちょうど、王宮・貴族議事堂・教会総本山に続く三本の大通りが収束する三叉路の近くにある大広場だ。そこには貴族神官使用人問わず、多くの怪我人が運ばれて寝かされている。ざっと50人以上いるようだ。

 死者はまだ出ていない様子だが、次々と運ばれているのは明らかだ。

 等間隔に横たえられる彼らの間を、医療班と聖女たちが悲壮な顔で駆けずり回っている。


 あたしに迷いはなかった。


「神様、ちょっと下りる」

「シャーレーン、」


 引き止める声も聞かず、あたしは精霊馬から飛び降り、魔力でなんとか着地する。


「っ……とと」

「な、なんだ君は」


 突然降ってきた8歳児に人々は目を白黒させる。そりゃさっきまで遮蔽魔法を使っていたのだから当然だ。

 取り急ぎ、一番近くにいた聖女へと目を向ける。

 榛色の瞳を大きく見開きビクッとする、茶髪のおっとりした顔だちの聖女。


「あ、あなたは!? 一体どこから……ッ!? ここは危ないわ!」

「ケイシィ落ち着け、とりあえずあたしが癒すから」

「えっ……どうして私の名前を、」


 聖女寮でよくしてくれていた、あたしと同い年の聖女だ。こども好きな彼女らしく、空から降ったあたしを青ざめて心配する。説明している暇はない。久しぶりに、あたしは集団治癒をすることにした。

 膝をつき、怪我人が横たわる地面に両手を当て、聖女異能の範囲を目測する。そして上空にいる神様に「頼むよ」の気持ちを込めてウインクをして、言葉に出して祈った。


「『神よ、善き信仰者に治癒の祝福を』」


 ケイシィが困惑気味に呟く。

「あなた、それはシャーレーン様しかできなかった……」


 彼女の言葉が終わらないうちに人々の体が発光する。重症者から軽傷者まで、それどころか治療に奔走する医療班と聖女まで、全員があたしの聖女異能を浴びて輝いている。


 輝きは一瞬で終わる。あたしは立ち上がり、唖然とするケイシィを見上げた。


「説明は後だ。ルルミヤはどこだ? 奴が持ち出した聖遺物はどこにある?」


 そういえば彼女は一般聖女だ。筆頭聖女しか入れない聖堂の聖遺物の形は知らない。あたしは手をうんと広げて示す。


「こう……錆びた棒みたいなやつ。見てない?」

「あ……ええと……ルルミヤ様は……聖女寮で休んでいるわ。あなたが言っている聖遺物も多分、彼女が持っていたものだと思うけど場所はわからないわ」


 そこに他の聖女が駆けつけてくる。


「あの汚い棒なら第二王子殿下がお持ちになられていたわ。なんでも、あれは危険だからって」

「……やっぱりそうか。第二王子殿下はどこに?」

「聖遺物を返さなければと、土地神カヤの聖堂に」


 あたしは髪をぐしゃっとかき上げる。

 聖女たちですら知らない聖遺物を知り、危険性を知り、意図的に奪った第二王子殿下。

 完全にクロだ。


「ルルミヤの件はわかった。あとは……この状況の引き金についてだ」


 あたしは治療した重症者の方向に向かって叫んだ。


「誰か、この状況がどうなっているか知らねえか!? オークはどこから出てきた! 何が起きた!?」


 突然のガラの悪い幼女に困惑しながらも、みんな口々に答えてくれた。

 もっとも詳細な内容を話してくれた王宮近衛兵たちと侍女の話を統合すると、オークは突然王宮内から姿を表し、王宮、貴族議事堂、教会総本山まで一気に広がったという。


「知能が低いオークは目の前の獲物を襲うことしか考えないはずだ。意図的に国の中枢ばかりを狙うのは……そうか、黒いのは意図的に改良されたオークだから……」


 数秒のうちに考えを巡らせるあたしに、聖女たちが声を弾ませる。


「ところであなたすごいわね!? 体が軽くなっちゃった、まだ小さいのにすごいわ」

「まるで……シャーレーン様みたい……」


 あたしは集まり始めた聖女たちに詫びのポーズを作る。


「悪い、話はあとだ。あたしは霊泉を復活させてくる。みんな大変だろうが踏ん張ってくれ、疲れたら必ずまた、あたしが癒すから!」

「あっ、待ちなさい……!」


 ケイシィが呼び止めるも、油を売っている場合じゃない。

 第二王子が今そこにいるかどうかはともかく、とにかく霊泉にまず向かわなければ。

 あたしはブーツの裏に跳躍魔術(ルイブ)を展開し、弾みをつけて壁を蹴り、屋根を蹴って神様の精霊馬に飛び乗った。


「待たせた。……神様。聖遺物は第二王子が持っているらしい。首謀者はあいつで間違いないだろう。オークも王宮から溢れたらしいから、第二王子が噛んでいるはずだ」

「奴はどこにいる」

「聖堂だ」

「わかった、このまま一気に突っ込む」


 神様があたしを片腕で抱き込み、身を低くする。あたしも馬にしがみついて叫んだ。


「いっけえええッ!!」


 次の瞬間。風より早く直線距離で丘の上の聖堂に向けて精霊馬が突っ込んでいく。

 そのまま精霊馬は砲弾のように、聖堂のドームを派手に突き破る。


 ドッカァァンッ!


 精霊馬の風圧を感じさせない不思議な防御壁に守られ、あたしたちは無傷だ。むしろ衝撃でドームの上半分が吹っ飛んで、霊泉はもはや露天風呂の様相だ。


「聖堂をぶっ壊すたぁ、景気いいな神様」

「これが一番早い」

「はは、あたしもこれが一番好きだ」


 枯れた霊泉の浴槽は痛々しいほどに乾燥していた。湯口に刺さっていた聖遺物は当然失われている。廃墟と化した聖堂には、防御壁に守られた影があった。


 赤銅色の短髪で、鍛えて分厚い体をした高貴そうな少年。

 身に纏った灰色が基調の礼装には、正統な王家の血をひく者しか身につけられない紋章が描かれている。彼はあたしではなく、神様を見て微笑んだ。


「ここに必ず来ると思っていたよ、土地神カヤ」


 若い男の姿をした神様を見て、すぐに神様とわかる、第二王子ケイゼン殿下。

 第二王子はあたしを見て怪訝な顔をする。


「土地神カヤ。なんだその子供は」

「彼女は、」


 言おうとする神様を制し、あたしは彼に一歩踏み出す。


「……あなたが、この国をめちゃくちゃにしようとしているんですね」

「めちゃくちゃにしたくもなるだろう? 閉鎖的で保守的な凝り固まったこの国を変えられるのは実質的な王太子である僕だ。そして弱体化した土地神などはこの国に必要ない。必要なのはーー時代に即した、強い神だ」


 彼の傍には、彼の身長と同じくらいの大きさの豪奢な姿見が置かれている。

 その鏡面には、この場にいない妖艶な美女の姿が映し出されていた。

 二十代くらいだろうか。髪は長く鋭い銀髪で、肌は青く、眼は白目が黒く瞳は銀。体にぴったりと張り付くような革の服を纏っている。

 彼女はこちらを一瞥すると、第二王子ケイゼンを見て恋人のような甘い顔で目を細めた。


『ケイゼン。全ては妾の思うまま。よくできたわね』


 第二王子もまた、恋人を見るように目を細めーー鏡面に口付けた。


「当然だよストレイシア。……僕の愛しい女神様」


 鏡にうっとりと頬を寄せた彼を見て、あたしは戦慄きとともにつぶやいた。


「……異国の神に籠絡されちまったのか、この色ボケボンクラ王子が」


 王太子は病んでいる。次男の王子は色ボケだ。

 もういっそ潰したほうがいいのでは? この国は。

 ーー神様の国だからやらねえけど。


 神様が隣で呟く。


「ストレイシア……聞き覚えがない。大陸の下位神のことは大体わかるはずなのだが」


 ぴく、と女神ーーストレイシアの眉が不快感を示した。

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